アラズヤ商店

日々のナマキズ

欲しいもの、わかってんですか?

 

アラズヤ商店の収入源はヘアサロン業なのですが、やってる本人は本業のつもりも専業のつもりもほぼないので、マインドとしてはほとんど ”趣味” みたいなスタンスにいたりつつあります。

良し悪し、とかその辺の物議は案外どうでもいいつもりですらいます。

それだけで無事に生きているわけではないのですし、不真面目なつもりもないんですし。

 

”ヘアサロン業” はもはやペンペン草も生えない斜陽業界と化しつつあるんですか。

個人的にはそんなこと、どうでもいいと思っています。

あたしんちみたいなミジンコ商売が、どんな状況であれ、今さら何を仕出かせたものか。

身の程を知れ、と。

 

いやいや、”足るを知れ” とこそ。

 

自分にこそ言い聞かせるものではあるのですけれども。

 

 

 

 なんとかパレスの建築偽装とか。

ああいう話題やその糾弾の仕方とか、あんまり芯食ってない気がして個人手に何だか関心持てない感じがしてしまいます。

 

悪いことした側と、被害者。

端的な二元論って、タイムテーブル上に撒かれた極論でしかないのはテレビなんだから仕方ないんでしょうけど、そういう知見を鵜呑みにするだけの人っていうのが世間には案外少なくない、っていう問題もなくはない気はするんですよね個人的には。

エラそうに何言ってんだ、なんですけど。

 

例えば商売人目線で見たなら、極論として ”どうしてわざわざ偽装のようなことをしなければならないの?” っていう単純な疑問はどうしても置いてきぼりには出来ない気がしてしまうんですよね。

商売人に限ったことではないか。そっか。

 

 

”ゲスいこと企んで、もっと儲けを出したいから” ?

 

もちろんそういう仕組みが機能してしまう仕組み、のようなモノは資本主義なんだからいくらでも存在しうるということくらい、馬鹿なあたしにも想像はつきますよ。

だとしたら、”どうしてそうまでして儲けを見込まなければならないの?” って疑問が湧いてくる。

それも普通か。そっか。

 

”商売する人” っていうのは、みんな悪巧みして儲けを得ているんですか?

そういうものだと思っているんですか?

 

そんなはず、あるわけないじゃないですか。

っていう言わば ”性善説” 的思考をあえて優先させて慮るとしたなら、”そうでもしなければ儲けが出ないからでしょ?” なんていうひん曲がったような極論を展開することは、末端とはいえ商売というものにかかずらわって生きている者として、いたって異論とは思えない気はしてしまうものなんですよね、個人的には。

 

買い手あってこその、商売?

商売あっての、買い手?

 

タマゴが先か、ニワトリが先か。みたいな感じですけど。

 

値段って、つまり ”適正価格” のようなものって、一体誰が決めるんですかね。

理由は様々あるはずなんですけど、後天的に定まる市場価値、適正価格のようなものって、やっぱりあると思うんですよ。

 

それを甘んじて受け容れて、価値のようなもの、お客さまの購買意欲を刺激して適うものに仕立て上げていかなければ商売にならない ”適正” なんていうひん曲がったような実状っていうものも、やっぱり遠因ですらない一つの事情として看過できないもののような気がしてしまうんですよね。

 

 

そういうことって、何もこうしてテレビで騒がれて一斉に糾弾を浴びるようなことに限った仕組みではないような気がしてるんですよ。

個人的には。