アラズヤ商店

日々のナマキズ

欲しいもの、わかってんですか? その4

”口コミ” や ”レビュー” が消費者にとっての何よりの目安になってしまった。

売る側の宣伝文句なんて、当てにならない。

 

そう思っている人は、未だに少なくないと思うんですよね。

しかも、そういった口コミサイトや検索アプリなんか使うと特典やお得なクーポンなんかも付与されて、さらにお得感ましまし、なんてことすらもはや当たり前じゃないですか?

 

お客さんはよりお手軽に、お得に、お買い物をしたい。

 

当たり前だよな、そんなの。

だから、商売って大変なんですよ。

消費者は、よりイイものを、安く、お得に手に入れたい。

 

”よりイイもの”が、何故安く、お得に手に入れられるのか。

 

単純なハナシです。

売る側が、利益を削っているからです。

製造されて仕入れて店頭に、ネット上に陳列されるまでのどこかの段階で、利益が削られることで、結果的に ”お得” な値段が表示されるんですよね、馬鹿でもわかること。

 

見込めるはずの利益が目減りするっていうのは、大変なことです。

でも仕方がないですよね、そのままでは買ってくれないんですから。

買ってもらえなければ、仕入れの経費分がまるまる損になってしまうんですから。

 

ならば、とにもかくにもまずは売ってナンボ。

”売ってナンボ” わかりやすい言葉だなあ。

 

 

利益が目減りするなら、その分より多く売ったらいい、というのも馬鹿でもわかる理屈だと思うんですよ。

より多く売るためには、より効果的に宣伝しなければ。

お得に買えることを、知ってもらわなければ。

 

 

ネットや、SNSによって、 ”口コミ” のような選択肢が認識されるようになったのか。

”口コミ” という選択肢がそもそもから望まれていて、ネットやSNSがそれにとても相性が良かっただけなのか。

 

 

実際にそれを利用した人の感想を聞きたい、という目的意識のようなモノはかつては ”アンケート” なんて呼ばれて、それを差し出す側の人間が開発や改良のヒントを求めて知りたがるような機会が多かったのかもしれないんですけど、ネットやSNSの発達によって ”アンケート” は消費行動における ”判断材料” にすら成り得るようになったんですね。

”便利” なんて、例えばそんなふうに褒め称えられながら。

 

売る側の宣伝なんて、信じられない。

実際にそれを使ってみた人の意見の方が、より信憑性があるじゃないか。

 

そうして、”口コミ”、”評判” サイトのようなものに皆が群がって、確実だと喜んで、売る側の工夫や努力はバロメーター表示に数値化されて ”評価” が視覚化されて、消費者にとってとても ”便利” な ”判断材料” になった。

 

 

宣伝したり評判を得て、モノや技術を差し出したいのはいつだってその道のプロなんですけど、プロたちは例えば消費者が求める ”お得” っていう価値を付与して購入を決定してもらうために、お客さんによる ”評価” に自らの創意工夫、つまり自分たちの ”価値” を委ねることを選んだんですよね。

 

 

売る側から、消費する側へ。

例えばそんなふうに情報の発信源が入れ替わったり、形式が変わったりするのだけれど、形は変わってもそうして何かしらの ”判断材料” に皆が群がって、それを ”便利”とか ”価値” ともとめたがるその構造に、一体なんの違いがあるんだろう? なんてことはやっぱり、馬鹿でも思うことだと思うんですよね。

 

 

でも、そうでもない人も結構いることも現実で。

 

 

 

売る側の宣伝は、自らの利益を優先して消費者を欺いてきたんでしょうか。

そうして、”信用できない” とされてしまったのでしょうか。

 

消費者による ”口コミ” は実感に基づく感想だから、より確かなのかもしれないですよね。

髪がさらさらになって欲しい人が、実際にさらさらになったら、それはうれしいのに決まっているじゃないですか?

 

どうしてさらさらになったのか、その理由なんてわからない。

でも、実際にさらさらになったんだから嬉しいし、それ以上に何が必要なのか。

 

もっともですよね、それ以上に難しいことやらややこしいことなんてどうでもいい。

人は ”目的” に対して、”お金” を払うんですから、さらさらになる ”理由” なんてどうでもいい。

”理由” より ”実感”、そういってしまえば確かに、何だかとても正しそうだ。

 

 

”目的” に期待したい ”価値” って一体、何なんでしょうね。