アラズヤ商店

日々のナマキズ

積極的に許す(自分ばっか編)

働いてるんですけど、働いてないので、今日は何となく休みです。

何となく休みなんですけど、それは正義で真面目な休みでもあるので、まちがってはいないつもり、ということにしています。

 

近頃は、そういった ”都合よさげ” な思考がめっぽう得意になりつつあって、なんだろ、むかしのあたしはまあ何かにつけ ”呵責” のようなことを思いついたものでした。

思いつきたがったものでした。

 

”よかれと思って” とは積極的な善意であって、被虐的な ”呵責” です。

 

そんな学びが、人生にはあったもんですか?

といったような思考こそが繰り返させた ”呵責”

 

 

ろくなこと、なかったんだぜ。

 

 

まさか。

人生折り返して(多分)、そんな学びかよと。

 

いやいや。

 

 

 

”べき論” で、人は満たされながら不幸になる。

安定して過剰に流されて、見失う。

 

全然、平和なのに。

 

 

 

あたしの人生は、全然平穏ではないんですけど、これまでなんか平和ですらなかったんですけど、少なくとも ”よかれ” とは、健気なものでした。

 

そんなモノを土台にしてこの人生後半(多分)、信じて考えないこと、多分そんな感じのことを疑いなく気絶したただの人のようにゆらゆらと弛緩したような本能のような、もうすこし気を抜いてもそんなに滅多に死んだりすることはなかろう、といった大らかさも少しずつ、許してゆけるようになれたらなあ、という休日をば。

 

慣らすような休日をば。