アラズヤ商店

日々のナマキズ

行列は依存のカタマリ《三波春夫の罪》

某ファッション通販サイトのネガティブ記事がバズワードらしく重宝したり、行列しても手に入れたいものが事情次第で手に入れられなくなった途端に猛烈クレーマーにポケモン進化するとか、全然関係なさそうなんですけど実は、根本は一緒なのではないのかと。

 

”出る杭は打たれる” とか ”可愛さあまって憎さ百倍” なんて、お誂えみたいな諺はちゃんとあるのだから、それは今にして巻き起こるような事柄なんかでは全然なく、所詮人類今昔物語とか生態観察のようなものに過ぎないとは思うんですけど何か、つまんないですよね。

 

タイムセールでしのぎを削る主婦の波とか、映える何とかで目的より事実優先みたいな満足とか、つまりそれってものすごく個人的な正義っていうか、せめてもの言い方とするならってことなんですけど。

 

何で某ファッション通販サイトがありがたいのか、なんで行列してまで欲しがるのか、何でタイムセールで争うのか、何で”映え”たいのか。

 

 

何で、それが叶わないとなると突如豹変するのか。

 

安いから、お得だから、便利だから、流行っているから、目立ちたいから、面白いから etc

 

言い出したら切りなんてないこともないほどには多分、単純な動機や理由に置き換えられることばっかのような気がしないでもないんですよ。

 

何より共通して言えることは、”依存” ってことだと思うんですよ。

”依存”っていうのは、原因あってのことに違いないですから、原因がなければストレスもない、なんてそんな簡単なことではなかろうものなんですけど、単純にそんなことじゃないですか。

 

原因となるものに依存することで生まれるストレスっていうのは、結局のところ依存する側には原因をコントロールすることが出来ないということで、もっと端的にいうなら、従うほかに方法はないってことなんですよね。

 

決定権は”買うか、買わないか”ということだけで、原因をもたらす側はそれだけを目的に様々な商品や価値やメリットを差し出して、依存する側の興味を得ようとするんですけど、依存する側の誤解っていうのは多分、そんなあたりの隙間に紛れてしまうものなんだと思うんですよね。

 

三波春夫の罪”なんて言われて久しいですけど、”お客様は神サマです”なんて思想はすでに、はるか昔の飛んだ商売魂に成り果てちゃったはずだと思うんですよ。

そんな”飛んだ商魂”が長い年月を経て育て上げたのがつまり、”モンスタークレーマー”とか、行列の果ての怒号とか、そんなもんばっかってことじゃないですか。

 

お客あっての商売だろう、何とかしろっ

 

も結構なんですけど、そんなアホみたいの相手に商売する気なんてさらさらないから気に食わないなら他に行けばいいだろアホかお前、っていう誠に辛辣でゴミクズ臭い魂胆もまったくないわけでもなく商売やらかしてる側の意思も汲み取れずに、未だ”お客様は神サマです”を神サマとして信じて疑わないような態度をはばからない”行列の果ての怒号”的な態度を恥ずかしげもなく振舞える人たちって、やっぱどっかアタマオカシイんですかね、って、商売人の端くれとして普通に思うってことをこんなにとっちらかった文章にでも叩き込まなければやってられないこんな世の中じゃポイズン。