アラズヤ商店

日々のナマキズ

お得な自転車操業、結局誰がお得なの?(欲しいもの、わかってんですか?完)

自分で言うのもなんですけど、本当、メリットの少ない生き方だと思うんですよ。

本当、馬鹿なんじゃないのかと思うくらい。

 

いろんなお店のポイントカードや入会特典とかキャッシュバック、あの手この手で宣伝喧伝される ”お得” 情報のようなものってあるじゃないですか。

限定的なケースとしては結婚式の引出物でいただくカタログ商品とかも、あたしに言わせたら何だかありがたいお得特典、みたいなもののような気がしてしまうんですけど。

 

 

何一つ、利用したことない。

ほとんど。

 

 

ときどき会計するときにレジの方が「〇〇円分ポイントご利用いただけますよ?」的なことをおっしゃっていただけると、本当にたまになんですけど「あ、じゃあ端数分だけポイントでお願いします」くらいのことは言ったりします。

まじでたまに。

小銭増えるのイヤだから、とかそんな程度の動機のみにおいてなんですけど。

 

 

 

今どき、アホなんですかね。

っていうか経済観念、とんまなんですかね。

 

世の中、”お得” がふつうなら多分、とんまなんでしょうねえ。

 

 

 

 

だからって、考えてもみてくださいよ。

”せっかくなんだから、使わないと損じゃんか” って、言われるんですよ。

 

でもなんかそれって、わかるようでなんか、わかんないんですよ。

なんかなんかばっかでうるさいんですけど。

 

 

その商品がいくらです、と明示されているものについて、その割引きであったり付加されるポイントであったり還元されるものだったりとか、本来はなかったものに対して感じるべき ”損” って、何なんですか?

 

本来ないものが、たまたま適用されてお得な感じで嬉しい、はわかるんですけど、予め設けられている風な ”お得” に対して、それを前提に勘定したりコツや要領のようなことを思ったり、ましてそれを利用しないことを ”損” と名付けたがるのって、何かおかしくないですか?

 

売る側がお客を得るために講じる手段なんだから、別に問題はないんでしょうけど、上手く言えないんですけど、なんか、違うんじゃないのか、なんて気がして仕方がないんですよ、個人的には。

 

講じる側も側なら、それを当てにするほうもするほうで、その原理みたいなものっていうのは後天的に作用の仕方が変わるものなんだなあ、なんてもしかしたらまぬけでしかないようなこと言ってるかもしれないんですけど、でも考えてみて下さいよ。

 

 

某有名ファッション通販サイトの本当も嘘もわからないような盛衰記事も、某外来総合通販サイトのポイント還元問題も、その根本にある原因って、一体何なんですね。

 

上代維持” っていう業界的な暗黙の了解を犯しても売りたいと考える人がいて、メーカーが考える本来の価値を損ねるとか、一極集中で影響力を持つ会社が本来の商売というベクトルの逆方向ともいえる圧力策で儲けようとすることを ”還元” という見かけのみで歓迎してしまう消費感覚とか。

 

安く買えることはそれはありがたいですけど、そればかりなのかなあ、と。

嬉しいのは。

 

 

少なくとも何かを差し出して対価を得る、いわゆる ”商売” というものに関わるものとして当たり前に思うことは、売る側にも買う側にも双方に対するリスペクトのような意識というのは最低限でも忘れてはいけないように思うんですけど、何かヘンなこと言ってますかね?

アタマオカシイですかね?

今どき、呑気すぎますかね?

 

 

”お金あげます” ってそんな宣伝、おかしくないですか?

お買い物をしたのに、もしかしたら全額お金返って来るかもしれないって、おかしくないですか?

だれが負担するんですか? 

モノは確かに動いているのに。

 

タダでも大丈夫なものにお金払わされるとか、馬鹿にされてる感じしないですか?

全然大丈夫なんかじゃないはずなんですけど。

普通に考えれば。

 

そんなことを、たとえ期間限定だとはいっても ”お得” なんて真に受けて思えるの、オカシクないですか?

 

何が、欲しいんですか? 結局。

 

モノが、欲しいんですか?

”お得” が欲しいんですか?

 

 

そんなチャラいようなコツばっかみたいなうっすい知恵で、しかも所詮差し出された仕組みに利用されてるだけでしかない経済のカラクリに踊らされたようなことで手に入れたものなんて、どうせどうでもいいようなものばっかなんじゃないんですか?

すぐに飽きちゃうようなものばっかなんじゃないんですか?

お得だからって、ついでに余分なものばっか買ってるんじゃないんですか?

 

そうやって世の中の経済は正常に回るんじゃないか、って?

そりゃそうだ。

 

 

急にそんなときばっか ”経済” とか言い出すかよと。

 

 

そんな ”経済” を圧迫するばかりの ”お得” を価値のようにありがたがりたい人々がそんなときばっか ”経済” なんて語っても、そんなもの所詮言い訳でしかないと思うんですよね、個人的には。

 

 

本当に欲しいもの、叩き売りみたいな調子で買いたいですか?

大切に出来ますか? そんなもの。

 

あたし、全然お金ないんですけど、どうしても欲しいものなら無理しても買わずにはいられない大馬鹿者なんですけど、その代わりどうしても買いたいものなら払えるだけのお金、それになら払っても仕方ないと思える金額、全力で払いますよ。

 

だって、その方が喜び大きいじゃないですか。

大切に出来そうじゃないですか。

 

 

世に出回るものにはそれぞれにあった価値がちゃんとあって、それに見合った価値を認めて適正な金銭が流通することが当たり前に機能しないと、世の中なんて絶対におかしくなるのに決まってるんですよ。絶対。

 

世の中の消費者といわれる一番振り回されがちな人たち、あたしももちろん含めてなんですけど、そういういちばん脆弱で流動的な経済の中にいる人間に向けて差し出される ”お得” なんてものはようするに、負担になる圧縮ポイントを順繰りに持ちまわらせて誤魔化しているだけの自転車操業みたいな状態と何も変わらないと思うんですよ。

 

いつも、どこかが苦しまなければならない。

 

みんな、それがイヤなのに。

自分さえそこにいなければいいと思ってる。

 

 

そうじゃなくて、問題はもっと簡単なことなんだと思うんですよ。

必要なものについて、適正な値段で振舞われて、適正な価値を認めて、適正なお金が支払われる。

流通する。

 

経済の当たり前のカタチじゃないですか。

 

モノが溢れて、競わなければ買ってもらえなくなった。

商売の苦しいところです。

あたしだって、その末端に立っている一人です。

 

 

でも、イヤなんですよ。

目的を目的としてだけ計られて、損得だけで流動するようなカタチでなんて、関わっていたくないと、常々思うんですよ。

 

だから、これからも何だかややこしいことを考えなければならないんですけど、面倒臭いし全然儲からないんですけど、今一番に考えることは、必要最低限をちゃんと維持しながら、儲けとかメリットのようなことはまず自分からあまり考えないことを心掛けていきたいと普通に思うのだし、目的はあるけれどもその価値の基準は金銭ではなく、そのためにアラズヤ商店に来なければならない、面倒でもウチに来なければ意味がないような、楽しくないような、そもそもの目的とは全然無関係でも全然価値になるようなことこそをウチの価値として認めてもらえるように、そんなことばかりを目指していきたいと、これからではなく、今までもずっと考えています。

 

積極的にメリット少ない生き方選んでやるっ、って思ってます。

 

 

 

検索してわかりたいようなことなんて、そのうち何の価値も持たなくなると、個人的には当たり前ほどに思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか、エラそうなこといってしまった……

馬鹿な上に無能で人格破綻なのに