アラズヤ商店

日々のナマキズ

いちいち言うための誤解ならいいのに

”自分のことは、自分が一番よく知っている”

 

ドラマや漫画あるいは映画だとか、要は自分とはまったく無関係のただの一方通行らしく向かってくるだけの世界で稀にでもなく耳にしがちなその手の言葉を、実生活で耳にすることはたぶんかなり稀なことだ。

そんな何やら人が打ちひしがれたタイミングばかりを見計らってぶっかけられがちのような湿気っぽさは、そもそも日常生活とはあまり噛み合わせが良くなさそうな気はするのだし、日本語であることに違いはない(たぶん)のだけれど、実際の会話ではおよそ用いることも用いられることもあまり歓迎したくない気もする、となると何だかアレだ、アレとよく似た感じのような気がしてこないでもないじゃないか。

 

“This is a pen.”

 

いきなりで申し訳ない。

しかしながら、英語のテストが0点の人でも知っているはずのとても有名なやつだ。

かつてその道においては定番のごとくひたすらに茶々を入れられ続けきたタフなやつ、ほとんど慣用句並みの活用を期待されながら今やすっかりただのポンコツキャラにまで落ちぶれたシャイなあんちくしょうだ。

勝手にひどいことを言っているあたし自身ですら、実生活でその活用に迫られた経験はもちろんない。

 

"これはペンです"

 

直訳(個人技)すると、たぶんそんな感じだ。

これでも中学までは英語が嫌いではなかったから、そんなに派手には間違っていないつもりでいる。

もし間違っていたなら、ツイッターをフォローしてDM(常時解放余裕)にて指摘して欲しい。

とりあえず、とても丁寧で真面目そうな文章だ。

けれど、丁寧で真面目そうなのに何故かどこか奇怪な印象を受けてしまうのは、あたしだけだろうか。

いや、そんなはずはないのだ。

何しろこれは慣用句並みに定番の、つまりポンコツ日本語活用だからだ。

定番であるという事実にはこれまでも何度も遭遇してきたのだから、れっきとした事実だ。

どんな場面においてそれを確信したのかについては説明するつもりはない。

せめてなら、”そう言う世代なのである“という今となっては辱めにしかならない歴然とした事実に基づいている、としか言いようがない。

“Hi,Mike.”

“Hi,Nancy”

“Do you have any friend?”

なんて、不躾を通り越してもはや奇妙奇天烈でしかない会話を“英語”などと名付けてまじで学習させられた世代なんである。

今現在の中学英語がどういった内容であるかなどまったく知る由もなく言っている。

そんなことちっとも知りたくもないのは、すっかり大人になってしまったどころか自分の娘がすでにあたしより余程安定した稼ぎを手にするまでに成長してしまった今現在に至っても変わらない何よりの事実なのであって、余計な文章は書いても余計な説明など面倒臭いしする必要もない、といった普通に日本語を話している人なら普通にわかって当たり前だ、という前提で書いている。

容赦なく勝手に決め付けている、ということなんである。

さらに勝手に今なりらしく想像したなら、前文に続く会話は恐らく”What?“くらいしかないはずで、日本語で直訳ではなく翻訳という口語的スタンスで表したなら、”何て?“といったやや関西風であることがカジュアルな努めて文脈を捻れさせるような、そもそも前文の文脈の方がむしろ普通に奇天烈であったことを冷静に修正しつつその不躾さこそを小馬鹿にするといった、つまりまったく直裁的でなく効果的なとても便利で率直な日本語、という使用感くらいはあたしたちのような奇天烈英語教育世代にだってわかるよ、といったことを言いたいわけなのである。

 

 

こんな丁寧で奇天烈な文章表現を必要としてしまうのは、恐らく円城塔さんくらいのものなのだ。

そんな言い方をしてしまうと、突然奇天烈であることの価値が上層トレンドを示しかねない感じにもなりかねないのだけれど、そうではなくて勝手にそう思っている、というだけのことを言っているだけなので勘違いしないで欲しい。

自分で言いながら意味がわからない。

そう思っている、というだけなので別にわかってくれなくてもいい。

あれを芥川賞とか言われて凡人丸出しでヘソを曲げたくなった、というとてもパーソナルなマインドのハナシでしかない。

まじで全然分からなかった。

普通に日本語を話すだけのただの日本人だから、その程度のことなのだ、とせめて思いたいのだ。

実に貧弱な欲求だ。

 

 

日本しか知らないただの日本人なのだ、あたしは。

"This is a pen."

だからと言って、そんなことくらいあたしでも知っている。

日本語でもそんな言い方はしないことくらい、知っているのだ。

当たり前だ。

大方の人間はただの人間で、ロボットだのAIだのそんなソリッドなオバケみたいなものにまんまと成り代わられるほどロジカルでもシャープでも何でもなく、もっとボーっとして曖昧で、そのくせ何の根拠もなしにいきなりまあまあなことを閃いたり勘ぐったりもしたくなるわけわからん脊椎動物の亜種でしかない。

時と場合によっては金属より冷たく数字より割り切れない、直感的な自己愛と反射的な同族嫌悪をぐしゃぐしゃに生やし散らかした毛むくじゃらのスモールフッドなんだぞナメんな、なのである。

しかしながらそんなことはどうでもいい、この度あたしが言いたいことはどうやらそういうことではないらしいのだ。

 

 

"自分のことは、自分が一番よく知っている"

 

シンプルかつ、何やらロジカルな気配すらある。

明快なメッセージに救いの予感さえふくんでいる。

そんな感じがする、ということを言っているだけだ。

事実なのかどうかは、恐らくそれを聞く人それぞれの日々の行いに深く根差すもののような気がするので、個人的にはすっとぼけておきたいと思う。

つまり、”勝手にしたまえ“ということではある。

ちなみに、あたしは自分のことなど一切知りたくない派だ。

しかしながらそんなあたしですら、この文章が持つポパイにくれてやるホウレン草みたいなドーピング臭さを差し引いても尚余りある、“お手軽感”のような割と全方位的に作用する肯定感のようなものを感じないわけでもないのだ。

だからと言ってやはりそれも所詮、"This is a pen."のようなポンコツ活用の気配が隠し切れないことに変わりはない。

 

 

 

無自覚であるよりは、自分なりにでも努めて自覚的にはありたいものだな、と常から思うのだ。

何しろ無自覚のままぶっコケるのは、咄嗟に手を突けないばかりに顔面をモロに打って鼻を黒く腫らしてしまう子どもやお年寄りの災難すぎるありさまと変わらない気がしてしまうからだ。

いい歳になっても、顔面の中心を黒く腫らすのは勘弁だ。

だからと言って、“自覚的である”ということも全肯定できることばかりかというと、そうでもないきがしてしまう。

人間とは、何よりもまず臆病に晒される生き物なのだ。

堂々と知った風なことをぬかしていやがるが、あたしの独断によることなので勘弁して欲しい。

そうでもしなければ、このクソ長い話が先に進まないのである。

 

 

”自覚”とは、何ぞや。

いきなり思想的な口調になってみる。

これといった効果はない。

けれどあたしにはごく個人的な、あまりにも個人的でしかない事情による一筋の道があるのだ。

 

 

 

今年も無事に確定申告を終えて(まじでマジな申告だ。ミジメすぎて商売をやめたくなるやつだ)、この春には現在の場所で7年目、独立してかれこれ15年目といういよいよシャレにならない領域に突入することになる。

 

15年、と一口に言うけれどよく考えて欲しい、とんでもないことだ。

人間なら中3だ。

受験生だ。

まじでとんでもない。

中二病を引きずるもの、反抗期真っ只中のもの、既にそれを過ぎたもの、そもそもないもの。

あたしは、家庭内で身勝手な疎外感ばかりを思いついてやたらと無口になっただけのブサイクな反抗期を過ごしたただの根暗だ。

数人程度ではあったがとりあえずいつメンがいて、露骨なイジメにあうことも加担することもなく、女子が苦手で教師には苦手にされる、恋愛脳で給食を食べるのが遅くて宿題をやらないただおしゃべりなだけのハッキリとイケていない方の生徒だった。

そんなさまざまな障害やただの性分を克服しなかったり誤魔化してきただけかもしれないけれどそれでも何とかたどり着いた15歳。

中3。

やはり、とんでもない。

 

 

 

 

 

つい先日、”面貸し”を相談されたのだ。

それは人づてですらなく、突然のことだ。

ウチの店は営業していない時間がかなりあるから、そのへんのところを目につけられたらしかった。

15年目を迎えて、そんな体たらくなのだ。

そしてその依頼者は、こんな言い方もなんなのだがまあまあの“ヤカラ”な彼であった。

軽く泣きたくなった。

 

 

近頃は”業務委託型”といわれるサロンが、あたしが暮らすこんなド田舎のあちこちにも増えてきている。

あなたはご存知だろうか?

某検索予約サイトなどを見るとさっそくどアタマから目に付く、あの飛び抜けて口コミ数が多くて上位表示にドンと居座る、あの店々のことだ。

検索系にご執心な人ほど、たまらない感じのやつだ。

値段はリーズナブル。

雰囲気はおしゃれ。

 

つまり、大衆にはたまらなくサイコーのやつだ。

安くて、おしゃれで、イメージ戦略も上手い。

非の打ち所がない。

 

 

お客さん目線なら、選ばない理由はない。

あえてそう言い切ってしまえるほどのインパクトに、これまで地元で人気だったあらゆるサロンさんが一斉に身構える非常事態。

某検索予約サイトに一斉に軒を連ねる異常事態。

業界内での影響だけでも相当なものに違いなく、その風下で細々暮らすあたしんちみたいな半分ふざけたような穴蔵商売に至ってはもはや執行猶予なしの実刑判決を言い渡されたこととほぼ変わらない。

 

 

こちとら中二病明けの根暗反抗期真っ只中、なのである。

ウチよりも若手でありながら、とっくに反抗期も受験も就活すらも乗り越えたような成熟ぶりを見せるサロンさんが道のあちこちに、そして未だに新規の出店さえ後を絶たないこの業界。

 

 

 

……死ぬのか、ウチは。

 

何のことはない。

それは開業以来変わらず、揺るぎなくそびえて消えることのないクセみたいな不安だ。

玉ねぎの皮を剥くサルの心境というやつだ。

 

 

 

 

“This is a pen”

これはペンです。

 

“This is a hair salon”

ここはヘアーサロンです。

 

ポンコツ活用などと感じてしまうから、ウチはいつまでもダメな感じのままなのだろうか。

ハッキリとイケてない方の中3なのだろうか。

“ヘアーサロン”は、髪を切るために行く場所である。

もはやそれをポンコツと感じてしまうあたしは、未だ中二病を引きずる根暗な反抗期のイケてない中3で、恐らく”髪を切る”ということを目的にして商売することに、実に青臭いまさに15歳の中学脳然とした疑いを思いついて、まったく疑いがないらしいのだ。

根暗反抗期、恐るべし、である。

 

 

戦略として今現在最も成熟した手法の一つとして認めざるを得ない”業務委託型サロン“と呼ばれる業界新勃興形態。

既存の優良店舗までもが慌てふためいても無理もなかろうと、一体あたしはどんな立ち位置から言いたがるつもりなのか、まったく中二病の闇は深すぎて参るのだ。

しかしながらあたしは、その深すぎる闇の中で尚も考えずにはいられないらしい。

中二病ならではの逞しさ、いや、鈍感さと言った方が様々な方面から反感も説教も食らいにくそうな気がする。

”認めざるを得ない“とは、誰のことなのか。

勘違いしてはいけない。

あたしたちは商売人なのだから、認めるのはあたしたち自身ではなく、たぶんお客さんの方であるべきなのだ。

べき、などと言ってしまった。

世の中にあるどんな“べき論”も、あたしはただの卑怯の論法に過ぎないと思っているというのに。

うっかりしてしまった。

 

ポンコツ活用だ。

あたしたちは戦略に長けた新業態に当てられて、まんまと認めさせられてしまうのか。

あたしはただのポンコツだ。

ポンコツポンコツに晒されると、同族嫌悪で跳ね返ってしまうのかもしれない。

磁石のようなものだ、などと言ってしまうと何だか勘違いも甚だしいことに自ら気付いて苦しくなるのだけれど、偶然にもそれは先ほどの”人間“という話に返り咲いてしまうことになるのだ。

驚いた、あたしはもしかしたら跳ね返ったきり天才になってしまったのかもしれない。

そんなことばかり言って敵を作りやすい性分には我ながら困ったものだが、それ以上に見過ごされやすい舐められ体質でもあるから大した問題ではない。

 

”This is a hair salon“

ここはヘアーサロンです。

 

いちいち言わなくてもわかるくらいに、この業界はお節介なほどおしゃれだ。

おしゃれな店舗とくれば、美容室かカフェか雑貨かスイーツと相場は決まっている。

お客さんは、きっとそんなことごとを期待して、選ぶのだ。

 

”Is this a hair salon?“

ここはヘアーサロンですか?

 

そうなんですよ、そんなこともやってるんですけどわからなかったですか? 

だからと言ってそれもそうでしょう、何しろ看板も何もあったものではないし、中を覗いて見てもヘンなものばかり並んでいて何だかアタマおかしいみたいな部屋だしいつも誰もいないし、何よりこの店のブログこそ何だかアタマおかしい。

 

 

同じ目的なら、お客さんは安くておしゃれがいいのに決まっているのだ。

 

”商売”というくくりの中で、”物販”といわれるジャンルが極めて過酷である理由はつまりそういうことで、商売の主な目的が”物”である以上、有利を担保できるのは単純に”値段”ということになってくる。

”物”だけが”目的”

”物“だけが”理由“

何だかポンコツな感じがしてしまうのは、あたしだけだろうか。

何しろあたしはアタマがおかしいのだし。

 

ヘアーサロンは”物売り”だけではないから、値段意外にも”理由”になることはたくさんあるはずで、だから”安売り”ばかりが有利というわけでもなかったはずなのだ。

あなたもご存知の通り、例えば”ブランディング”といういわゆるイメージ戦略。

目的は一緒でも、より上質な、満足度の高い、高感度の、なんでもいい、つまり目的プラス”イメージ”にという付加価値によってより多くの成果を期待できたのだ。

 

その目論見が今や、崩れ始めているらしいのだ。

情報にまったく疎いあたしはちっとも知らなかった。

ふざけたことばかり考えているせいに違いない。

 

 

”〇〇が得意なサロン”

”〇〇認定サロン”

”話題の〇〇”

 

何でもいい、それがイメージで付加価値としてアピールになれば、お客さんは高いお金でも払ってくれたはずなのに、今や、その全てを当たり前に持つサロンが、破格の値段設定であちこちに乱立し始めているという良好な地獄。

誰にとって良好で、地獄なのか。

 

 

 

”This is a pen“

これはぺんです。

 

何かヘンな感じがして、結局あたしはこの15年に至る間ずっと、それに組したくないと思ってきたのだ。

そう思ったまま、15年目を迎えようとしているのだ。

 

みんなが欲しくて期待したいものを、当たり前に提供できてしかもこれまで普通と思われていた価格より圧倒的に安く提供してくれる。

それは良好な事態なのか、はたまた業界を揺るがす地獄なのか。

未だに中二病を引きずる根暗反抗期のあたしには、そんなことわかるはずがないのだ。

 

 

”これからは、これが普通になる”

誰かが言っていた。

経済のなんちゃらという方面の方だった。

 

圧倒的な二極化。

 

”髪を切る”ということを目的とするなら、圧倒的な高級サロンと、イメージ戦略に長けた圧倒的にリーズナブルなカジュアルサロン。

そういう二極化。

 

 

あなたは、どちらを選ぶのだろう。

そんなことは、どうでもいいのだ。

何しろ、あたしにはそのどちらも出来そうにないからだ。

弱小プライベートサロンごときが、この圧倒的な二極化に向かう”業界再編”の流れの中で”ヘアーサロン”として打ち出したいことなんて何一つ思いつけない。

中二病で、根暗反抗期だからだ。

 

 

今日も馬鹿なブログを書いていて楽しい。

出来ればずっとそうしていられる方法を、その理由を思いついて、実行したいのだ。

“自分のことは、自分が一番よく知っている”

あたしには、“This is a pen”と同じように聞こえるのだけれど、その違和感のようなものは思いのほか噛み応えがある気がしている。

“This is a pen”は、あたしにとっていちいち気になる違和感という満更でもない価値のように思えるのだ。

 

“自分のことは、自分が一番よく知っている”

それは、疑うための自分への呪文のようなものなのだ。

たぶん、ということでしかないが。