アラズヤ商店

日々のナマキズ

アリは真っ直ぐ向かうものです

こだわりとか、独自性とか、希少性、数量限定、なんでもそうだ。

 

胡散臭せえ。

 

勝手にそう思っている。

タチの悪いインネンと呼びたければ呼びたまえ。

あたしもそう思っている。

 

 

付加価値を認めて殺到してお金を払いたがるのはお客さんのことで、価値を標榜して差し出す側はただの企みとか戦略とかひいてはつまり、ただの商売。経済。

標榜、とか言ってる時点で筆者の全然フェアでもなんでもないスタンスこそ明らかすぎるけれども。

 

最早世間は"付加価値"なるものに狂喜乱舞して大満足だ。

いや、それはちょっと言い過ぎかもしれない。

だからといって、あたしのようなものに言わせればその景色は十分すぎる狂気の沙汰だ。

 

そんなこんなをつかまえて、"したたか"なんて言ってしまったら、まんまと置いてきぼりを食ってしまうのだろうか、いや、すでに散々食らっている。

そんな自覚こそ十分すぎるほどある。

あるのだけれど、とてもではないが付き合いきれそうな気がまったくしないのである。

その頑なすぎる意思は自分でも謎すぎて、最早手に余るほどだ。

 

 

"付加価値"

そうして回るのが世間で世界で経済、ひいては個々人の人生を満たす、ということならあたしは随分と"世界"から落伍したものであることよ。

 

行列が苦手。

流行りものを条件反射で斜に見る。

話題の動画に依存する情報番組こそ斜に見る。

イッタラの絶対礼賛ツイを見かけると不機嫌になる。

 

 

我ながら、実に疲れる性分なのだ。

疲れるとわかっているのに、やめられない。

行列は自己の否定と信じて譲れない。

なんぼのもんじゃい自分。

 

 

"こだわり"とは、贅沢さをほのめかす魔法の呪文なのかもしれない。

押し付けないけど当たり前にわかるべきのような、控えめながら埋もれるつもりなど毛頭ないような、迸るドヤ感。

しかしながらあたしは性格サイアクなので、何だか窮屈なような、むしろ強張ってケチ臭いようなニュアンスに都合変換してしまうらしい。

 

ビビってしまうのだ。

その自信に。ドヤ感に。

我ながら苦手さをこじらせるにも程がある。

だからと言って、考えてみてほしい。

 

"こだわり"だ。

世界は広い。

広いということはおそらく、バカなあたしよりももっとバカはいる、というまったく安定の事実が当たり前にあるということだ。

例え方がポチョムキン的恣意感にまみれていて泣きたい。

 

 

あたしにも自慢できる特技のようなものはわずかだが、ある。

少しだけベースが弾ける。バンド歴だけは無駄に長い。質は低い。

あたしより上手な人は、土下座しまくっておデコから頭蓋骨剥き出しで血まみれになっても足りないほどいるけれど、下手なのに上手そうに見えがちな立ち姿のみでステージに映える胡散臭さだけはなかなかのものだと思っている。

バンドで出オチはなかなかの新しさだ。

へんな掌編小説モドキを書いてしまう。

これでもネット界隈では少しだけ有名だった(自称)し、某掲示板では散々殴られ叩かれたものだけれど、恥ずかしいだけなのでハンドルは名乗れないから実態そのものも嘘と思われても申し開きはできない。

今やその実態はあたしのPCとあたしのアンチのみぞ知る、である。気味の悪いハナシだ。

猫の気持ちが割とわかる。

そんな程度の奴こそ世間にはごまんといる。

 

 

つまり、そういうことなんである。

 

上には上がいて、それが世間なのであろうなあと。

"こだわり"も結構だ。

しかしながら、"超こだわり"あるいは"神こだわり"はたまた"テラこたわり"とか何でもいい、つまり、そういうことなんである。

そういうことを、あたしは当たり前に恐れてしまうタチなのだ。

おでこ血まみれ、なのだ。

 

 

差し出されて殺到したいタチの人々に、"こだわり"なるものを惜しげもなくふるまえるタチの人々は、"テラ"な感じをものともしない。

つまり"言い切ったもん勝ち"的且つそれをおくびにも出さない清々しさ(稀でもなく例外アリ)、あるいは毒性を微塵も感じさせないナルシスティックなアピールを"付加価値"なる現代商用バズ用語にすり替えてお届けする、まったく真っ当なアキンドダマシーということなのである。

 

他人様のことなんて、どうでもいいのだ。

売りたい。

ただそれだけのための自慢の逸品がある。

 

 

まじか。

 

あたしは、斜に見る生きものだ。

"逸品"などと自らのたまう類のものは、努めて遠ざけたいタチだ。

なんか、騙されている気がしてソワソワしてしまうからだ。

行列する最中、あたしの頭上にだけ怪しげなドローンがホバリングしている。

操っているのはもちろんあたし自身、もといあたしの過剰な自意識だ。

群がることへの気恥ずかしさな正体はドローン。

つまりあたし自身というマヌケな着地。

アタマにドローンがちな墜落してプロペラが髪に絡む。その痛みはあたし自身というイタさに違いなかった。

 

殺到したがるタチの人々の目線はつまりシャープなのだ。

"イイ"とか、"欲しい"とか、それが理由で意思、それ以外に必要なのは"付加価値"なるものを奢ってくれるそれそのもので完結する。

斜に構える隙など微塵もない。

 

そうしてあたしはまんまと置いてきぼりを食らう。

 

"こだわり"とは、早く食べないと溶けて無くなってしまうアイスクリームみたいなものなのである。

甘くて美味しいものなのである。

 

アリのごとく殺到するべきものなのである。