アラズヤ商店

日々のナマキズ

早起き、甘えさせてくれよ

今日から三年ぶりに専業に戻る。

 

そう思うだけで気合が入りすぎるのだろうか、耳鳴りがすごい。

あたしは環境に依存しながらストレスフルに労働することが苦手なので、生意気にも好き勝手に生きたがるのであればせめて、早起きのストレスくらいは余裕で受け容れようではないか、と言った心意気においてそれを自らに課しているのだけれど、やっぱり早起きなんてことはツラい。

耳の奥からキーン、ヒーン、である。

 

 

わかっている。

あたしは甘い。

環境に依存しつつストレスフルに早起きしなければならない人だって、世の中にはごまんといるはずなのだ。

言いながら、“ごまん”という意味はわかっていない。

実に申し訳ないが、ググるのも面倒だしたぶんそんな感じのことなのだろう、くらいのつもりで使っている。

そこそこ伝わればいい。

あたしが思う“好き勝手”は、所詮その程度のことにすぎない気がしているのだ。

 

 

だからと言って、当たり前だが実際にはそんなに楽な暮らしをしているわけではない。

身の回りのことはすべて自分でこなさなければならないし、お金を稼いできてくれるのも自分だけだ。

大した額ではないけれど、わずかに残された借金の返済程度は普通にあるし、全然払いたくないなどと言ってしまえばただの不謹慎でしかない年金や税金なども納めなければならない。

美味しいものを食べたいし娘にも食べさせなければならないけれど、そのためには調理する必要はあっても外食に当てるお金はないのだし、空を見上げながら口を開けて待ってみたところで降ってくるのは雨と花粉およびPM2.5の類と鳥のフンくらいのものでブリューゲルの例の絵のようにはいかないのだし、自宅においてもハウスダストや猫の抜け毛などアレルギー物質には枚挙に暇がなく、勉強もゲームもしなかったせいで驚異的な視力を持て余したあたしの目はお節介なほどにそれらを認識させて、狂おしいほどのお掃除熱へとあたしを駆り立てる。

 

 

しかしながら勘違いしてほしくないのは、これは間違っても愚痴などではないということだ。

つまり、“だからどうした“ということなのだ。

”So,what?“なのだ。

 

くだらないことを言ってしまうかもしれない。

あたしは、怒られることが苦手だ。

もうすっかりいい歳なのだが、未だに怒られることには慣れない。

いい歳をして怒られ慣れている自分を想像する方がもしかしたら相当恐ろしい気もするが、そんなことは文字通りそんな気がするというだけで勘弁して欲しいとまじで思っている。

怒られるとヘコんでしまうし、イライラするし、ムカムカしてしまうし、そういう自分には何度出くわしても慣れることが出来ない。

誰だってそうだろうが、それにしてもあたしはそれがまったく無駄なことみたいに受け入れ難く感じてしまう、そんな割りとクソなタイプの人間なのだ。

 

何故そんなに怒られることが苦手なのか、なんて疑問は愚問でしかない。

想像してみて欲しい、”怒られるのが大好き“などと告白してしまう人間を。

何だかエキセントリックな趣向を察して引いてしまうし、何なら少し病的な気すらしてこちらとしても心構えが必要な気がして身構えてしまうではないか。

少なくともあたしはそんな前のめりでエロティックな御仁と友好を温められそうな気はしない。

そんなハードなメンタルとスライムっぽいマインドを持て余したエロティックなやつがそばにいる毎日など、こちらばかりが気後れしてアタマがおかしくなったついでにうっかりそっちに引き込まれてしっとりとパンチの効いた生物に変化させられてしまうのがオチに決まっている。

あたしは精神年齢が絶望的に低いので、ポケモンにでも進化させられてゲットされた方がまだ諦めがつきそうだ。

怒られたがりのおっさんなんてまあまあ、アレじゃないか。

酷いことを言っているだろうか。

だとしたらさっさと謝ってしまいたいと思う。

何しろ、怒られるのはイヤだからだ。

そのくらい苦手なのだ。

 

 

怒られたくないから、せめてでも早起きをする。

言葉にすると何だか夏休みの小学生みたいだが、これはれっきとしたあたしの覚悟なのだと思っている。

簡単すぎるだろうか。

世のお父さんお母さん方は、そんなことどころではなくもっと大変な思いを一つずつ乗り越えながら、大切な家族を守っておられるのに違いない。

キレイなお家を建てて、立派なクルマに乗って、年に二度くらいは家族旅行、月二で外食、子どもたちを不自由なく大学まで送り込んでも飽き足らず、結婚、孫の世話を今から懸念して抜かりない。

スゴすぎる。

まじでスゴすぎるが、それは日頃からあたしの生活を取り巻く普通のお父さんお母さん方の実像だと思っている。

まじでそんな人たちばかりだ。

それにもかかわらず、あたしがあたし自身に掲げるハードルは、”早起き“

我ながら、本当に馬鹿なんじゃないだろうか、とまじで思う。

とっくにアタマはおかしくなっていたのかもしれない。

 

 

毎日けっこう大変なのだ。

それはあたしばかりではなく、立派なお父さんお母さん方も一緒らしいのだ。

あるお母さんが、「毎日朝五時に起き出して、家族四人分のお弁当作るのツラい」と言っていた。

でもやらないとならない、と。

それは大変に美しいことで、幸せにならないはずがない、と臆面もなく思わされることなのだ。

あたしも五時に起きることにしている。

けれどやることは、ブログを書くことだ。

もちろん自分と娘の分のお弁当と朝食も作るけれど、所詮二人分程度だから六時半くらいからでも間に合ってしまう。

 

 

あたしはあたしに甘い。

それは決定的な事実で、もしかしたら死にかねない理由にすらなってしまうのかもしれない。

それにしてもそんなことを比して、“甘い”などと自ら唾棄してしまうことは、何だか怒られたがりのそれと似てなくもない気もしてしまうのだ。

所詮、甘いクソなのだ。

あたしにはやはりよくわからないのだが、わからないながらも出来るだけ環境に依存しない、怒られて苦手な思いを出来るだけしなくて済みつつ、必要な物やコトや心を自分なりに満たせる、そういう働き方暮らし方を何とか発明したくて、今日も何とか言い訳のごとく早起きしている。

生活の転換期におけるイレギュラーなスケジュールのため、二時間もかけてこのブログを書くことが許されている。

恵まれているのではないことくらいは理解しているので、気を抜かずにいなければとは思っている。

実にあたしらしくないのだが。

 

 

割とまじめなつもりではいるのだけれど、前途多難には違いないのである。

いや、それはイヤなんである。