アラズヤ商店

日々のナマキズ

お尻の方が、よほど目的に近い気がしてしまうんである。

“7Pay”が終了する。

 

端的な表現は、メッセージに重みをもたらすものなんである。

例えば、

“7Payが終了する”

“嵐が活動休止”

どうであろうか、双方ともに引けを取らない重みで文意がミシミシと音を立てて迫り来るようではないか。

慣れ親しんだものが終焉を迎える、そんなものすごく重大な感じが、感じだけ滲む感じがするじゃないか。

何だか嫌な感じのもの言い方をしてしまった。

いや、嵐ファンの方には失礼極まりないことを、うっかりクチを滑らせてしまったもとい、フデを滑らせてしまったもとい、あたしのフデは常にツルッツルに滑りまくりなので実に申し訳ない。

そんな自覚がありながら、日々長文を垂れ流しているんである。

言うなれば、鋼の長文術師だ。

書いていてイヤになる。

 

 

北朝鮮の黒電話ヘッドがまたしても“飛翔体”をぶっ放しやがったんである。

その度に”我が国には影響はない“と、我らがドルーピー・安倍が眠たげにコメントする。

“影響のない飛翔体”ということらしいんである。

一国民の素朴な意見の一つとしてなのだが、その寝ぼけたようなドルーピーフェイスに言われても何だかイマイチ、信用ならない気がしてしまうんである。

かつて幾度も鼓膜を揺さぶられ慌てて浴室に逃げ込んだ、あの忌々しいアラート音も今となってはオオカミ少年の寝言か何かだったかのようにすら思えて、何だか懐かしいくらいなんである。

我ながら、糸を引きながら浅瀬を泳ぐナマコとかウミウシみたいな緊張感のなさである。

書いていて、ほとほとイヤになる。

 

 

話題の新人議員さんたちが初登院なんである。

バリアフリー

“介助費用”

公費で負担するのかはたまた自己負担なのか、一つ一つが壁によじ登るような困難の連続であるにも関わらず、事態の動きの早さに凡人はただただ無能の人然としてその情勢をテレビを通して見守るばかりなんである。

介護タクシーのハッチが開き、いよいよ国会議事堂へ向かう彼らの周囲は揉みくちゃにされんばかりの人集りなんである。

四方八方から向けられるカメラやマイクは、弁慶を討ち取らんとする弓矢や槍のごとくなんである。

シャレにならんぞおまえらっ、などとあたしは気が気でなく見守ったものなんである。

バリアフリー”とは、一体なんぞや。おまえら。

書いていて、全くイヤになる。

 

 

もう、働きたくないのだ

船後、木村両議員の話の真後ろで、あたしはいきなりそんなことを言い出してしまうような輩なんである。

しかしながら誤解しないでいただきたい、あたしはとにかくまったく働きたくないという意思において、“働きたくない”と言っているわけではないんである。

“働くべくして働きたい”と言っているだけなのだ。

ややこしいだろうか。

平たく言えば、“お店頑張ろ”ということなんである。

ならば最初から平たくして言えばいいものを、あたしの言葉は何だか常に回りくどいのだ。

キャリアの半分以上は常に二足の草鞋で、本業を本業とも思わずにのらりくらりと目先のお金にばかり釣られて生きてきたクチなんである。

クチも生き方も回り道ばかりなんである。

書いていて、絶望的にイヤになる。

 

 

 

本音はつまり何ですか? と言いたくなるようなことばかりなんである。

何だか、嘘臭いのだ。

もちろんそれはあたし自身も含めて、ということに違いないのだから、何ものぼせたようなことを言っているつもりはないわけなんである。

“7Pay”だ。

つまり、あのセブンイレブンがやっているやつだ。

セブンイレブンと言えば、一先ずは誰もが認めるコンビニの王様ではないか。

超メジャーではないか。

泣く子も黙る…”的なことを書くと文字数稼げるしリズム的にも何だか良さそうな気もしたのだけれど、今どきそんな言い方するやつ普通にいねえしな、 なんて思った瞬間色々キツくなってきたのでこんな風になっているんである。

ジェネレーションも文字数稼ぎもアップデートしてしまうオレって天のサイじゃんまじ卍

書いていて、まじでイヤになるんである。

そんなセブンイレブンが、3ヶ月で諦めるんである。

これからいよいよ本格化するらしい“キャッシュレス”の独自決済方式を、なんである。

”2段階認証のプロセスで対応が難しくなった“といったようなことが記事にあったのだけれど、“まじか”と秒で思ったのである。

こんな素人ですら、ということだ。

個人的には“2段階認証”というやつにはあまりいい印象を持っていない。

Apple ID や Google アカウント、LINE、Twitterなど、今となってはインフラといっても過言ではないそんなあちこちの手続きにおいて、あたしはIDやパスワードがごちゃごちゃになりすぎてログインが出来なくなったり、アカウントをロックされたりしたことは、まあまあ面倒なくらいには経験済みなんである。

特にAppleのときはまじで最悪だった。

キャリア、Apple日本、Appleアメリカ本体までたらい回しにされて、ようやくロックが解除されたときには何故かPC用とスマホ用に、2つのIDを使い回す羽目になっていた。

どっちがどっちのIDやらパスワードなんだか、とっ散らかってしまうのは簡単なんである。

そういう人間なんである。

今現在、あたしは4代目のApple IDとGoogleアカウントを4つ抱えている。

そのうち2つはメールアドレスがぶっ飛んでログイン出来ない状態だ。

もはや原因は、4回こじらせないと何も飲み込めないらしいあたしばかりのせいらしいんである。

だからこそ、あまりいい印象を持っていないのだ。

とんだクレーマーもあったもんである。

いや、そんなことはどうでもいいのだ。

何しろ天下の“セブンイレブン”なんである。

“2段階認証でつまずいた”が本当なら、”セブン銀行大丈夫かよ“ってことにもなり兼ねない気がしないでもないんである。

所詮、素人が言っている。

つまり、その程度のものにも通用しないことが理由になってしまうらしいその“嘘臭さ”というようなことこそを言ってるんである。

何しろ、まだ残り8万円残ってる(恥)キャッシングの返済は、いつもセブン銀行ATMでお世話になっているんだぜ。

よろしく頼みたいんだぜ。

 

 

”飛翔体“は影響ない“

何だか語呂が良すぎるじゃないか。

ふざけてるのかと、あたしのような人間はつい思ってしまうではないか。

うっかり受話器のやつが弾頭ぶっ込んでたら、あたしはピカッとなった瞬間には終わりである。

下手に生き残るよりはマシだもんね、痛いのも苦しいのも、お腹空くのもイヤなんだもんね、なんて腹の中ドス黒い根性ナシのあたしはむしろウェルカムエンドロールなのかもしれないが、そこのところはやはり地球上の全人類のためにそんなことはあってはならないことなので、ドルーピー、なんかちょっとヘンなんじゃないのか、と。

ゴルフしてた、ってまじかと。

そんなものを横目に、日本と韓国がまたしても国際痴話喧嘩の様相なんである。

しかしながらあたしはロムってばかりの熱心というほどでもないツイッター民なんだぜ、などとふざけるからには少しだけ、その手のツイートに触れないこともないのだ。

あくまでも人並みではあるのだけれど、人並みだからこその”嘘臭い“という所感ということなのだ。

反日ムード“と報道されている。

日本企業や製品のロゴを貼り付けたダンボールをこれ見よがしに踏み潰す。

あたしも日本人だ、そんなもの見せられたものならまあまあエグいくらいには腹も立とうというものだ。

何だかかんだ言っても日本人、あたしも根っからのクズではないんである。

あなたはハングル読めますか。

いきなり申し訳ない。

しかしながら国際教養は、この先あるのとないとじゃ大違いらしいんである。

もうそんなこと勉強したくないあたしは、ピカッと死ぬか、まんまと洗脳されてジトッとした陰湿な怒りを抱えて生きるかのどっちかしかないらしいんである。

何だか乱暴な話ではないか。

しかも実際には、“反日デモ”と報じられる彼らがその手に掲げるプラカードに書かれているハングルは、”反日“でも”日本製品不買“でもなく、”反安倍“がそのほとんどを占めるそうなんである。

そうなんである。

あたしはハングルが読めない上に、ツイッターで読み齧った程度の認識に過ぎないので”そうなんである“としか言えそうにないんである。

日本のメディアは”反日“と伝えるのだ。

輸出規制がさも適切な措置のように報じられているけれど、その製品たちが港に生えてるものをただ船に積んで運び出すだけのものとは、さすがの平和ボケ日本人でも思っていないはずなんである。

いかん、勢いで平和ボケ日本人などと全体を省略化してしまった。

あたしこそそれにも収まれないポンコツ自営業のぶっ壊れ非国民だというのに。

”政治のことは仕方ないこともあるかもしれないけど、それが韓国嫌いになる理由にはなりません“と、新大久保でチーズドッグを頬張りながらインタビューに応えていた少女が何とも大らかに清潔に映ったのは、あたしがロリコンだからとかアイドル好きだからとかそんなわけではなく、確かにアイドルは好きだけれど何より何となくその日頃からの報道姿勢に不信感が根付いてしまっているからに他ならないはずなのだ。

国民が本当のことを知ることと、黒電話の受話器アタマがぶっ放す“飛翔体”。

ドルーピー・安倍は一体どちらをより危険と考えているのか。

反日”の影でいよいよ現実味をます消費増税や水道法改正、けっしてキャッチーな単語として認識させたくないらしいインボイス

そんな手はずがいつまでも通用すると思っていても、国民はさドルーピー、あなたのそのぶったるんだ頬の肉をつまんで引っ張ってタテタテヨコヨコ丸描いてチョンしたいなあ、くらいのことは普通に思っているんだぜ。

ホルムズ海峡の本当の行方になんか少しも興味ないのかもしれないけれど、誤魔化したってそんなこと国民はとっくにお見通しなんだぜ。

本当のことをちゃんと知って、任せたいだけなのに、政治というものはちっとも国の話なんかしてくれないらしいんだぜ。

 

 

橋下徹さんも、山本太郎さんも、お二人とも好きなのだ。

政策の方向性云々など難しいことはあたしはわからない、けれど単純に、熱量の多い人というのは眺めていて気持ちがいいものではないか。

むしろ政策だの物言いだのと揚げ足を取りたがるばかりでしかないような意地の悪い論争の方があたしはどちらかと言えば苦手で、そうせざるを得ないその人柄のようなことばかりをむっつりと観察してしまうタチらしいのだ。

カストロより、チェ・ゲバラなんである。

頼朝より義経、ハブよりマングース、モブより霊幻さんなんである。

偶然ではあるが、思った以上になかなかの連射に仕上がって、自分でびっくりしている。

特にハブとモブの韻関係を見逃さないでいただきたい。

あたしの熱量なんて、所詮こんなもんなんである。

橋下氏は、打算を飲んだ先のことを話されている気がするのだ。

山本氏は、あけっぴろげた先に待ち構える数多の困難を猛々しく鼓舞する。

あたしにはやはり難しいことはわからないのだけれど、どうあれ余計な不信感を思いつかされることはそれほど多くないように感じさせられるのだ。

託す以上、騙されるしかないのが国民の意思であるなら、気持ちよく騙してほしいものだと常から思っているものなんである。

難しいことはわからないからこそ託すのであって、託すということは騙される覚悟にも似たつまり信託ということで、気持ちよくなかったらそれはただのヘタクソでしかないように思うのだ。

もはやドルーピー・安倍は老いぼれて酔いも回って中折れも甚だしい、とは言いすぎかもしれないけれど、高齢化社会における介護問題は国民全員に確実に訪れる問題で、しかもあたしのような団塊ジュニア世代が高齢者と呼ばれる頃は高齢者人口のまさに頂点で、福祉の充実よりよほど現実的に“尊厳死”という名の公的死刑宣告がまかり通ることだって考えられなくもないはずなのだ。

あたしはそれでも構わないところも実はなくもないのだが、それに食い下がらんとする山本氏のスニーカーを誰も笑ったりはしないんである。

 

 

 

“もう働きたくない”というメッセージの不正確さは、もしかしたらドルーピー的言い方なのかもしれない。

“この商売に励みます”

そうまっすぐにメッセージを発信することが出来ずにのらりくらりとしたままでいることは余りにも今の日本の状況に似ていて、あたしは今更になって身につまされるような思いで社会派の人々の熱心な発信にいよいよ注目させられるものなんである。

見習わなければ、とひしひしと胸に迫られるのである。

迫られるだけで、何をしたらいいものかはさっぱりわからないままであることは言うまでもないのだし、無責任すぎて我ながら嫌になるけれど、そんなことこそ今更な感じなんである。

しかしながらツイッターで眺めた、船後、木村両氏がいよいよ議場に入場する際の一枚の写真は、もはやピューリッツァー賞にも相応しいほどの歴史的一枚ではなかろうか、などとよもやの感激にあたしのような人間ですら目頭を熱くさせられたもんなんである。

視覚に明らかにされなければ実感出来ない、そういうあたし自身の鈍感さをも痛感させられる、そんな衝撃ですらあったのだ。

橋下氏は懐疑的な意見も述べられている。

それもまた、この先に想像される様々な困難や課題を示唆するべく述べられたものに違いないのだ。

山本太郎氏が思い描きながら突き進む景色は、どうやら見るものの想像の遥か先を行っているらしい。

些細な不信感など思いつきたがっている場合ではない、そんな気にさせられてしまうほどの気持ちの良さなんである。

 

 

因みにあたしが今日ネット界隈で見かけた“社会派”諸氏の記事の中でもっとも注目させられたのはR25の連載記事、“尻職人”こと倉持由香さんである。

もちろん真面目だ。

書いていて、イヤになんかならないんである。