アラズヤ商店

日々のナマキズ

タダで知る価値《アタマオカシイの希望観測的将来譚》

勝率5割と言ったところである。

いや、もしかしたら負けることへの怯えが記憶を改ざんして、勝率6割はキープしているかもしれない。

 

 

そうでもなければやっていられない、ということなんである。

 

 

生憎なのか幸いなのか、もはや自分では判断しかねるところではあるが、ハサミの調子はいい。

スタイルを眺めるイマジネーションと、ハサミをコントロールするボディーフィール、あるいはレスポンスがソーグッドにフィットしている。

言葉遣いはトゥーマッチな感じだが、勢い鬱散くさくなってしまうほどにコンディションは極めてフレキシブルなポジションにある、ということなんである。

まったく胡散臭くて我ながら参ってしまうが、ハサミはあたしほどトゥーマッチな嘘はノンノンなんである。

面倒臭くなってきた、もうやめよう。

 

 

自分なりにめっちゃいい仕事をして(おしゃべり含む)、ジャンケンのせいでタダになってしまうんである。

一体誰が得で損で、サービスで失礼なんだか、もはやあたし自身では判断がつかない状況になりつつある。

体力があるうちに何かアホなことをやっておこう、などと思いつきでぶち上げてみたはいいが、想像していた以上にダメージは深刻だ。

まじで死ぬかもしれない。

何しろ昨日、一昨日の二日間だけで一万五千円もぶっとんでいる。

まじでシャレにならないレベルだ。

ヒマな上に、安売りどころかタダ売りである。

いや、タダなのだからもはや売っているうちにも入らないではないか、つまりただの“奉仕”に成り下がっている。

 

 

バカなんじゃないのか、まじで。

 

 

いやいや待ってくれ。

ちょっと待ちたまえそこのおれ。

“奉仕”である。

奉仕とは、言わば“無償の愛”である。

海より深い“母の愛”なんである。

何という大らかなる“社会貢献であろか。

 

 

 

いや、あたしは父だ。

母のみならず嫁さえもすでに他界した、ただのおっ欠けた父さんなんである。

”とうさんなんである“と打ったら変換候補の一位表示が”倒産なんである“と出た。

そういうことにいちいち引っ掛かりがちな性分の、父さんということだ。

 

 

 

”無償だなんてそんな崇高な感じなわけがあるか“

抗いようのない本音である。

あたしは仙人でも聖人でも偉人でもない、厨二的破滅思想をこじらせた清潔なだけのぬらりひょん、つまり、ただの商売人なんである。

電気水道ガスを消費して、時間と体力、何よりサービス精神焚き付けて一時間に及ぶフルサービス。

 

¥0

 

まじで狂ってる。

商売というものを根本から冒涜している。

商売の神サマにまじで殺されるかもしれない。

正月の縁日でダルマとか熊手くらい買っておけばよかった。

買わないけど。

 

 

 

負けると、気分が死ぬ。

当たり前だ、おまんまが食えなくなる。

今どきの世の中で“食いっぱぐれる”なんてことは、普通に地獄だ。

食べることくらいは当たり前くらいの世の中だからこそ落ちてくる“食えない”という深刻な”地獄度“

子ども食堂ライフラインの一つとしてとても重要“のようなことをヘラヘラとのたまったとある政治家はまじでアタマおかしいと思う。

そんなものが必要な世の中がすでにまともではないことに政治家として責任を感じないのか、まじで狂ってるとしか思えない。

昨夜は朝のうちに仕込んでおいたハッシュドポークを頂いた。

余っていたカットトマトを入れすぎて少し酸味が出過ぎてしまったが、熱の入ったトマトはまじで美味いから何も問題はないのだ。

食えているではないか。

ジャンケン程度に動揺して、つい甘ったれたことをゲロしちまったぜ。

なさけないぜ。

 

 

 

ジャンケンに勝つと、みんな喜んで帰っていく。

”まじでいいの⁈“なんて言いながら、所詮嬉しそうに帰って行くんである。

それを見送るあたしの燃えカスみたいな気分などおかまいなしなんである。

あたしの仕事など、タダで済むならそれに越したことはないんである。

そう思うと、何かが悲しい。

 

 

しかしながら、なんである。

ジャンケンに勝ってしまうと、それはあたしがということなのだが、勝ってしまうと何だか、つまんないんである。

ちょっとまじでアタマオカシイみたいな感じになってしまうが、まじなんである。

”ジャンケン勝ったら¥0‼︎“ と謳ってしまったんである。

謳ってしまうなりには、勝算はないのだけれどそれなりの覚悟はあったつもりでいるのだ。

売り上げが惜しいのか。

惜しいに決まっている、しょうばいなのだから当たり前だ。

しかしながら、何かつまんないんである。

わかるだろうか?

 

 

ジャンケンに勝つと、お客さんは当然嬉しいのである。

良いではないか、たまにはそんなことがあっても。

帰りに立ち寄るスーパーで、夕食のおかずを予定より少し豪華にしてみようか、なんて気になるかもしれない。

”タダだよ⁈ あの店まじでアタマオカシイんじゃない?“なんて、食卓で話したくなるかもしれない。

あたしはタダ商売を仕出かす上に、他所様の食卓で”アタマオカシイ“呼ばわりである。

 

何だか、悪くないではないか。

ジャンケンに勝ったら、売り上げが手に入る。

お客さんから”ありがとう“と一言いただいて、一仕事終える。

気に入っていただけただろうか、少し不安になる。

全てはお仕事なんである。

“お仕事”であることは、もはや物足りない時代ではないのかと、常から思うものなんである。

”アタマオカシイ“は、仕事の範疇を軽く飛び越えていけるチープなトリックでしかない。

しかしながらそんなものがちっとも悪くない気がしてしまうあたしは、ジャンケンに勝ってしまうとせっかくのチープなトリックが台無しになってしまうような気でもしてしまうのだろうか。

つまんないんである。

 

 

嬉しがるお客さんに、あたしは遠慮なく言う。

“シャレになんないからお客さん紹介して”

交換条件である。

下品にもほどがあるというものだ。

だからといって、そのくらいカジュアルでもなければ食卓でお気軽な悪口の一つも楽しく繰り出してもらえそうな気がしないではないか。

やはり、アタマオカシイだろうか。

しかしながら、今月はまだ半分にも至らないんである。

“地獄度”は、増すばかりなんである。

”つまんない“などと言っている余裕はないんである。

 

 

 

 

 

余談ながら。

タダになるのはカット料金のみで、カラーやパーマは対象にはならないのだけれど、お客さんは結構全て込みと理解されている方が少なくなくて、何だか割と遠慮ナシな感じに戦慄させられるんである。

距離感! といった面白みはまあまあではあるけれど、さすがにそこまでやってしまうとまじでシャレにならないのでカンベンしていただきたいんである。

ほどほどの悪口程度で、収まっておきたいものなんである。