アラズヤ商店

日々のナマキズ

安易に被ってはいけないのは、ハゲのことではない。

”何がダメなのか“と考えてみた結果、”あのヘンな帽子“ということらしいのだ。

 

あおり運転であろうが、因縁つけたであろうが、殴っちゃったであろうが、連れがガラケー女であろうがつまり、その惜しみなく品がない感じのトータル的要因が、個人的にはあの“ヘンな帽子”に集約されてしまう気がして仕方がないんである。

 

ニュースによると、”ヘンな帽子“43歳とのこと。

ガラケー“51歳。

ある意味とてもディープであり、むしろ余程リアルに即したような猥雑なる社会性を予感させるカップリングではありますまいか。

その真意の数々はあえて秘すものとして、尚且つその手の人々の深夜行動界隈に想像を逞しくさせることこそ百害あって一利なし、とまでは言い過ぎかもしれないが所詮余り好ましくはなさそうな風味ばかりを察してしまいかねない予感がもの凄いのでそこは一つ、“エグみを感じる”と言ったマス的表現に甘んじたいところではあるんである。

 

つまり、なかなかのキャラが現れたものであるな、と。

 

 

”あおり運転“とは、如何なるお行儀の悪さのようなことを指したものなのであろうか。

テレビで目撃した例の“あおり運転”とされる様子を垣間見て、個人的に最初に受けた雑感のようなものは、”あおりぃ⁈ これが⁈“といった感じのものだったんである。

何しろご確認頂きたい。

”ヘンな帽子“こと容疑者43歳は自らハンドルを握りつつ、全開の窓から半身を乗り出しコブシを振りかざしながらハコ乗りさながらの蛇行運転である。

もはや、あおりなどという範疇で語られて然るべきレベルではないと思われるものなんである。

現場は高速道路である。

一昔、いや二昔前なら、富士急ハイランドを目指すチバラギ仕様の族車軍団による大晦日パレードにおけるそれ式、言うなれば”ダサいお祭り“式振る舞いなんである。

皮肉にも”ヘンな帽子“こと容疑者43歳は、そんなダサいお祭り世代に見事にフィット、クリーンヒット甚だしい有り様ということなんである。

 

 

知らない人は知らないであろう、”ダサい世代“なんである。

一体何がどんな風にダサいのかと言うと、例えば何だろう、すぐにハチマキを巻きたがるとか、ワードセンスが演歌とか、そんな感じだ。

おわかりいただけるだろうか。

つまり何だか、ものすごく無邪気な感じがダダ漏れてしまうんである。

 

 

”ヘンな帽子“を、被っていたんである。

連行される彼を見て、多くの人が秒で思ったことを、あえて代弁させていただきたい。

 

”やっぱりハゲとるんかいっ“

 

伊達に連れが”ガラケー“なだけはある、でも別に構わない。

しかしながら、この度はぜひ”やっぱりハゲとるんかいっ“でなければやはり、お話にならないんである。

 

 

ここまでに、いくつかの重要なキーワードがいくつか登場した。

改めて確認しておきたい。

”ヘンな帽子“

”あおり運転“

ハコ乗りさながら“

”ダサいお祭り“

個人的にはその他にもじわじわキてしまう要因は果てしないのだけれど、キリがないのであえてシンプルなところで踏みとどまりたいと考えるものなんである。

 

個人的には、全部イヤなんである。

当たり前だ、物質的にも権利としても、いくら格安でメルカリに出品されていたとしても、どれひとつ取っても得るより失うものの方がどうにも多い気がして油断ならない気にさせられるではないか。

社会的ヤケドの予感がちょっと凄すぎるではないか。

つまりやはり、ハードなキャラに違いないんである。

なかなかのキャラが現れてしまったんである。

 

 

かたや”ヘンな帽子“いわく、「自分でいかせてくれっ」

かたや”ガラケー“いわく、「乱暴にしないでっ」

 

見事なんである。

”ある意味とてもディープであり、むしろ余程リアルに即したような猥雑なる社会性“と先に申し上げた通り、その素性は偶然の如く機能してしまう圧倒的淫らさおよび珍妙さらしいんである。

 

それにしても我ながら最低のこじつけ文書である。

実にお恥ずかしい。

 

 

何というか要するに、嫌いなんである。

およそ人生の半分を過ぎて、人としてあの手の仕上がりを見せるタイプの人間を、個人的にはかなり忌々しく思うものなんである。

それが“こじつけ文書”として珍妙に炸裂してしまったんである。

実にかたじけない。

しかしながら、”43歳、ハコ乗りさながら蛇行運転からの「殺すゾっ」“なんである。

パンチ五発にウキウキのガラケーパシャパシャ、なんである。

 

生物として卑猥というか、低俗にもほどがあるというものではありますまいか。

 

 

”絶対自分たちのセックスとか録画してそう“とか、”ヘンなグッズ抜きには夜は過ごせない“とか、その周辺の腐臭がスゴいというか、熟して腐った果実が地面に落下して周囲を汚す、という有り様の”周囲を汚す“というフェーズばかりがものすごく匂い立つ二人というか、つまりあの印象の汚らしさってなかなかの”腐り方“なのではないのか、ということなのだ。

世はお盆休みの真っ只中、装いも普段通りとばかりにはいかない程度には浮かれたものなんである。

そんな世の有り様に違わず、”ヘンな帽子“を被り、連れは年齢なりの嗜みらしくムームー的ワンピースにルーズパンツを合わせた感じであったろうか、恐らく足元は涼しげなサンダルか何かで、御多分に漏れず”お盆休み“だったはずなんである。

浮かれたものだったはずなんである。

 

 

浮かれてしまうとつい、”ゴルぁぁぁっ“みたいなテンションを傍に常備したくなってしまうのが、”ダサいお祭り“界隈の無邪気さという基本習性らしいんである。

“ヘンな帽子”であるにもかかわらず、ということには皆目検討もつかないのもご愛嬌なんである。

 

夏の日は、夏の日らしくありたいものなんである。

しかしながら事件当日の彼の装いは、アタマの先から順に“ヘンな帽子”、”レイバン的アレ“、”盗っ人ヒゲ“、”ダークカラーのシャツonジャケット“、”ホワイト系カジュアルスラックス“、”カジュアルブーツ”、という年齢なりでなくともグッタリと汗ばむような装いだったんである。

借り物のBMWはさぞかし空調も快適で、齢43の肌も汗知らずであったことではあるまいか。

しかしながらあたしが言いたいのは、そんなことではないんである。

 

 

その存在感そのものが、くっさいんである。

 

 

あたしも、日常的にクルマを運転する者なんである。

近頃はこういった“あおり運転”、“高齢ドライバー問題”などの報道を受け、良くも悪くも道路交通事情はより慎重に臨まざるを得なくさせられつつある、という言い方は語弊があるだろうか、しかしながら事実、近頃はいかなる時間帯を問わず制限速度50キロの国道を恒常的に40、あるいは30キロ台という過ぎて緩慢な速度で後続のクルマを数珠つなぎに引き連れたまま、まったく厭わぬ様子で走り続けるクルマもまれではなくなりつつある印象なんである。

 

あたしはあるいは当然として正しくない人間かもしれないので、制限速度についてその上下を適切に認識対応するべきものと考えるものなので、余り欺瞞的に安全を振舞われても普通にイライラしてしまうものなんである。

しかしながら、ということなのだ。

おあり運転はしない。

そこには全体論としての現代の闇のようなものがある気もどうしてもしてしまうのだけれど、それはまた別の問題のような気がするのだ。

あおり運転はしない。

良い悪いという観点で言っているつもりはないんである。

そんな話はノロマなほど一般的な話で、そうして今現在の“闇”のような有り様を生んでいるに過ぎないような気がしてしまうのだ。

 

あおり運転なんて、人格的に問題あり過ぎ。

カンタンに言ってしまえば、“クソだせえ”ということに他ならないはずなんである。

せめては、目の前で鈍調に過ぎる走りでイラつかせる軽トラックに対して仕出かすと同様に、黒塗りのレクサスにすらその傲慢なる圧力を振る舞えるだけの度胸的無謀を披露できるならもはや無邪気なだけの馬鹿と認められなくもないものなのだけれど、実際に世間で目にするそれらしき振る舞いは、概ね軽んじナメられがちな印象のものに対して振る舞われることがそのほとんどなんである。

だからこそ普通に常識的であるほとんどの人々は、そのいずれに対しても“あおり運転”のような”人格に問題がある“と思われても仕方がないような振る舞いは、往々にしてためらわれるもののはずなんである。

そういったごく普通で常識的な人々の円滑な交通を鈍らせ、見方によっては傲慢とすら断じられかねない緩慢なる走行で渋滞を巻き起こして状況を鑑みることすらしない“安全運転者“もまた、ある種の”無邪気“のような認定を避けられないことも、理解の一つとしては避けられないはずのような気がしてしまうんである。

”高齢ドライバー“問題は、ペダルの踏み間違えなどに焦点を当てられることばかりではないはずなんである。

 

 

”ヘンな帽子“は、無邪気なんである。

”ハゲとるんかい“と言われたくない43歳の取ってつけたような無邪気、それが”ヘンな帽子”なんである。

何ならちょっと生地も良さそうだし、合わせたジャケットのシルエットもタイトな感じで小金持ちっぽい。

お盆休みの行楽に向かう“ちょいワルハゲおやじ“の小金持ちカジュアル、それが”ヘンな帽子“

もう、ただの悪口でしかないではないか。

もちろんそのつもりなのだが。

あの身柄を拘束されるときの主義主張が、あの男の全てだと誰もが思ったはずなんである。

実に見苦しい。

”殺してやるっ“と見ず知らずの人を一方的に殴りつけた人間が、自分の意思で行動させてくれとこれ見よがしに主張する。

独りよがりにもほどがあるとしか言いようがないではないか。

なんて見苦しい仕上がり方なのだろう。

 

 

イカン、まじでイラついてしまった。

こんなすっとぼけたブログで何をあたしは一体。

 

 

 

安易に被ってしまう”ヘンな帽子“

値段など、関係ないんである。

何しろ、その中身はハゲてるんである。

格好悪い気がしてしまうから、被ってしまうんである。

あれだけヒゲが濃ければ、ハゲてしまうのもわからなくもない。

しかしながら、ハゲでもおしゃれさんは普通におしゃれさんなんである。

安易に”ヘンな帽子“で誤魔化したがるような、ナメたおしゃれなんかしないんである。

つまり結局のところ、”センス“ということに全ては尽きてしまう気がやはりするのだ。

 

 

借り物のBMWハコ乗りよろしくあおり運転。

助手席にはガラケーパシャパシャ五十路のクソ女。

もはや、センス最悪である。

 

 

安易は、罪なんである。

あくまでもごく個人的な見解に過ぎない。

しかしながらその感触こそ、個人的にはかなり明確なもののような気がして仕方がないのだ。

安易なアイデア、安易な欲求、安易な見栄、安易な怒り、なにごとにつけ安易なものはその行動を安くたぶらかすことに違いない気がするんである。

何しろ安易なものだから、そうして失うことや、見損なわれることについて配慮が回らないものらしいのだ。

 

 

かくいうあたしは、安易なアイデアに日々殺されかけている。

ジャンケンポン、の一声で度々死にかけている。

無邪気が過ぎただろうか。

しかしながら、思うんである。

それは、客観的に仕掛けている側面もなくもない、ということなんである。

大切なお店のために、何かしたい。

お客さんを楽しませたい。

それはあくまでも発展的な欲求であって、差し出した先に巻き起こる予測をはみ出すような展開を望む期待値のような企みのつもりなんである。

いい格好がしたいだけのような”ダサいお祭り“的発想は皆無なんである。

何なら、”やめなよそんなこと“なんて、気遣われたりさえするんである。

効果的に、予測不能な学習の毎日なんである。

 

 

ヘンなことはするが、ヘンな帽子で誤魔化すようなことはしないんである。

振る舞い方は様々あるけれど、そうして何を手に入れようとするものなのか、どうありたいと思い願うものなのか、そんな面倒くさいだけのようでいながら、やはり直感的にはどうにもそうとしか考えられない潔癖さのようなものさしにおいて、実に苛立たしく腹立たしく思わされたものなんである。

 

 

”ヘンな帽子“と。