アラズヤ商店

日々のナマキズ

マッチングだなんて、そんなにあおらないでくれよ

後輩がダメ女好きなんである。

 

何しろ悉くダメな感じの女とばかり付き合うんである。

選択肢が超タイトに限られがちなブスメンだとか、そういうのではない。

何なら、鳥山明さんが描きそうな感じの幼顔のイケメンだったりする。

ライブ参戦が趣味で、自らもバンドでギターを弾いていたりとプライベートもアクティブで、田舎育ちのせいか朴訥とした天然キャラも含め、場に一人置いておくと何かしら使い勝手のいいファニーフェイスな彼なんである。

 

にもかかわらず、付き合う女は悉くダメ女ばかりときている。

自己中、メンヘラ、バツイチ、子持ちバツイチ、ここ3年の間でもこのありさまなのだから、その質の手強さは枚挙にいとまがない。

何ならそのダメさ加減が徐々に複雑化していなくもない気にさせられるところも見逃せない。

その嗅覚はほぼ、”本能“としか思えないレベルなんである。

クセになっているのか。

傍で見守りつつ、その気持ちは疑わしさを増すばかりだ。

 

 

マッチングアプリ“なるものが、あるらしい。

平たく言えば“出会い系アプリ“ということらしいのだが、そんなことを言うと何だか不純なもののように扱われたらしく拗ねてしまう人もいかねない世の中なので、もっと上手い言い方くらいは思いつきたいものだが、生来極度の人見知りのあたしには適当な言葉が何だか見つからない。

ますます他人のことが苦手になってしまいそうな予感が我ながら酷いではないか。

 

“マッチング”なんである。

その昔、まいっちんぐマチコ先生という漫画があったが、私はまだその頃は子どもだったので何となくマチコ先生とキューティーハニーデビルマンがわやくちゃにミックスされたよくわからない永井豪ワールドが心象として紐づけられている。

マチコ先生が宙空で半裸を晒しつつコスプレ変化の後、哀愁漂うデビルマン姿で東京タワーから下界を見下ろすというアホみたいなザッピング感覚。

マチコ先生とデビルマンを中継するキューティーハニー、という永井豪先生の世界の連携バランスに敬服して惜しまない気分である。

しかしながら、実際にはまいっちんぐマチコ先生は永井作品ではないというミスマッチな現実が待ち受けているんである。

まいっちんぐ

 

 

”マッチング“なんである。

それを望むのは、若者ばかりではないらしのだ。

それはそうだ、世界は皆寂しんぼうなのだから。

あおってイキってぶっ殺すぞぉ、なんて輩すら寂しんぼうらしいんである。

圧倒的存在感につき、2記事連続の登場である。

実に使い勝手がいいので許して欲しい。

マッチングアプリで知り合っていたらしいウブウブ5ヶ月目のイカれた熟年カップル。

とてつもなくエキセントリックなキャラクターではあるまいか。

そのエグみはもはやハンパないんである。

あるのかないのか、はっきりしなくて申し訳ない。

 

 

爆裂に不思議なんである。

人は、何をキッカケに恋に落ちるのか。

ここ何年もそんな感情にすら触れていないセカンド童貞どころではないあたしが妙な単語を持ち出したものだ、微妙に恥ずかしい。

しかしながら、なんである。

マッチングアプリ

それは果たして、“出会い”と呼べたものなのだろうか。

ときめいたものなのだろうか。

いかん、ときめきなどと我ながら単語のチョイスがちょいちょいヤバい感じだ。

恋愛偏差値の低さがバレそうだ、ヤバい。

 

”心理カウンセラーDaigo監修のマッチングアプリ“なる広告をTwitterで見た。

すでに完璧に餌食にされそうな感じがすごすぎないか。

しかしながら、世間はむしろそれを期待として受け止めたがるものらしいのだ。

今をときめく心理カウンセラーにすっかり見抜かれてマッチングされて、ときめきたいらしい。

もはやときめきのお裾分けだ。

やはり、所詮お客様ということではないのか。

それは果たして、“出会い”と呼べたものなのだろうか。

 

 

しかしながら、どうやら出会ってしまったらしいんである。

ヘンな帽子にコソ泥ヒゲのぶっ殺すぞ男と、これまたヘンな帽子にマスクとストールのガラケーパシャパシャ女。

それはたまたま出会ってしまった一つのケース、ということでしかないらしいんである。

何なら、江原啓之氏はそれぞれの行いによって引き寄せられた悪い出会いだと言っていた。

ふうん、と聞きながら私にはあまり意味がわからないことは言うまでもない。

スピリチャル、なのだろうか。

それにしては乱暴な結末のような気がするのは、私のただの誤解あるいは不心得ということなのだろうか。

 

 

どうやら出会ってしまうらしいんである。

イケメンの後輩は、所詮ただ事では物足りないちょっとトンマなところがあるっぽいのだ。

アピールがいちいちぶっ飛んでるあまり、友だちがいなすぎの自己中女。

俺がそばにいてやらなければ。

自己愛をこじらせただけのポエムな感じがウザいメンヘラ女。

俺が支えてやらなければ。

DVに怯え、稼ぎの全てをパチ代に巻き上げられるバツイチ女。

俺が守ってやらなければ。

DVに怯え、稼ぎの全てをパチ代に巻き上げられながら浮気され捨てられ、安直に見繕った新しい彼氏に子どももろともぶっ飛ばされる子持ちバツイチ女。

俺が安全な家庭を築いてやらなければ。

 

つまり、ノーと言えないただのお人好し、というかもはや人生丸ごといたぶられたいマゾヒストである。

「わかってんのかコラ、お前はイケメンなんだぞ」

言いながら馬鹿馬鹿しくなるのだが、言うしかないんである。

「そうっすねー」

彼の答えは要領を得ないどころか、すっからかんの空返事ばかりだ。

「おまえ、不幸になりたいのか? 一体何の趣味だ? 神サマか?」

「何つうか、ただ幸せにしてやりたいんスよ」

 

そんな迷言が発動した1ヶ月には、大体別れている。

 

 

そんな彼が、別れの際に殴ったりリベンジポルノを仕出かしたり、あおり運転で憂さ晴らしをするのかというと、そんなことはしないんである。

それは推測の域を出ない話ではあるが、たぶんそんなことはしないはずなのだ。

何しろ彼は、”マッチングアプリ“なんてものは少しも当てにしない、愛すべき馬鹿だからだ。

 

自己中女もメンヘラもバツイチも、彼が彼として自然に選びとってしまう文字通りの出会いに過ぎないんである。

「アホか、もっと普通の可愛い新品ちゃんとステキな恋をしろい」

「出会いがないんすよ、それが」

彼はアホなので、少しぶっ壊れているくらいの欠陥女しか、目に入らないらしいんである。

障害あってこそ燃える、もとい萌えてしまうアホみたいな吊り橋効果男なんである。

 

 

それは果たして、“出会い”と呼べたものなのだろうか。

マッチングアプリで出会った二人は、あおってぶん殴り、訴えてやるパシャパシャ、らしいんである。

何が大切なのか、信じたいのか。

そんなものを、彼らは何に預けたがるのか。

その間違いを、逮捕されてようやく気付いたものらしいんである。

「やり過ぎました」

何だかやはりおかしい。

 

 

「別れました。もう、ああいう女はこりごりっス」

「あっそ」

そんな調子で、清算出来てしまう恋はあるらしいのだ。

何しろ彼は、自ら選んで向き合い、知って傷ついてばかりいるからだ。

しばらくは音楽の話ばかりして、飽きた頃には全く問題もなく可愛らしい共通の女友だちの話になる。

あたしは全然いいと思いながらそそのかすのだけれど、彼は見栄っぽくちょっと鼻を上向かせながら言う。

「そもそもそんなに興味ねえすから」

 

仲間内では、誰よりも彼女の近況に詳しいくせに、そんなことを言うのだ。

燃えないのだろうか。

厄介な萌えポイントが足りないのだろうか。

しかしながら彼は、マッチングアプリなど当てにはしない男なんである。

 

何だかやはりおかしくも、安易には愛したがらないピュアな男なんである。