アラズヤ商店

日々のナマキズ

負けすぎて、どうにかなってしまった

とにかく、面倒臭いことはやりたくない。

 

それは誰しもが思うことなんである。

そして案外、誰しもが面倒臭いことを人生のどこかのタイミングでちゃんと受け入れ、何だか立派な感じになっていくのだ。

いくのだ。

 

 

……いかない場合は、どうしたらいいのか。

つまりそれはあたし自身のことなのだが、全然いかないのだ、立派な感じに。

自慢ではないが、というか本当に自慢どころか恥ずかしくてみっともなくて全然言いたくないのだけれど、人生のほとんどを二足のわらじで歩き続けているあたしははっきり言って、ものすごく面倒臭いことばかりを受け入れまくって今日まで辿り着いている気がして仕方がないのだけれど、どうなのだろう。

とんだ勘違いなのだろうか。

こんなにもくたびれ果てたあたしに向かってあたしは、そんなことが言えるだろうか。

いや、それは危険だ。

心が軽く死んで、とんでもないことを仕出かしかねない。

トチ狂う、とは多分そんなタイミングに訪れるアナーキー・イン・ザ・ライフということなのではないのか。

手づかみでアイスを頬張ったり、ガソリンスタンドでチャリを洗車するとかそんな感じのやつだ。

 

 

のっけから調子がおかしい、そう思われても仕方がない感じだ。

何しろ疲れている。

ジャンケンに果てしなく負け続けているせいだ。

今日、久々に勝ったが、その後またすぐに負けた。

勝ち癖をつけろ、とは誰の言葉だったか。

つけられるものなら教えてほしい、ジャンケンなんて一瞬の出来事ではないか。

グーを出してパーを食らったときのあの感じ、きみにはわかるかい。

それは、チョキを出してグーを食らったときと同じなんだぜ。

 

 

疲れているのだ、許してほしい。

 

 

 

アホなことをして、その結果自分に落ちてくる何ごとかを期待したかったのだ。

自惚れていたのだろうか。

とんでもないものが落ちてきて辟易している。

赤字だ。

帳簿などつけてはいないが、赤いことくらい馬鹿でもわかってしまうレベルのやつだ。

タダ働きがすぎて、ヘソを曲げつつある。

負けの絶望が顔に出すぎて、お客さんに心配される始末ときている。

勝ってしまったお客さんにしてみれば、もはや拷問に違いない。

もうやめた方がいいのではないのか。

サービスの意味がわからない。

「本当に良かったんですか?」

と、お帰りになられた後にLINEを頂いたときは、まじで閉店した方がいいと思ったくらいだ。

こんな陰鬱な爆弾を落っことす店なんか、迷惑なだけのただの貧乏クジである。

 

 

しかしながら、今日もやっている。

たった一回、勝ってしまったが、お客さんが無邪気に悔しがってくれたからだ。

……救われるぜ。

枯れて朽ちかけていたはずの私のサービス精神は、まだ死んではいなかったらしいんである。

 

 

馬鹿げた企画だ。

しかしながら残すところあと一週間、全然やりたくないが、やらないとつまらない気がしてしまうらしいのだ。

我ながら、複雑なんである。

勝つと、何だか悪いことをしてしまった気がしてしまう。

しかしながら、負けると明日さっそく死にそうな気がして、みみっちい気分になる。

どちらがつまらないかといえば、悪い気がしてしまう方に決まっているんである。

 

 

ジャンケンは、イイ。

何だか遊んでいる気分になるからだ。

もとより、あたしの店なんか遊んでいることと何も変わらないのだが、それはあたしの思うことであって、お客さんはちゃんとお金を払って依頼するべくお出かけ頂いていることに違いはないのだ。

だからこそ、ジャンケンは何だか、とてもイイのだ。

 

ペラペラとおしゃべりなあたしは聞くよりも話す、というもてなす立場として最悪の対応を惜しまず発揮してしまうものなのだけれど、近頃は喋るなりにお客さんにバトンを託すことも今更ながら何となく意識することにしているし、自分のことは程々にすることを心掛けてはいるのだ、今更。

結果、コミュニケーションはそこそこ順調のはず、と勝手に考えられる程度には楽しくお付き合い頂いている。

しかし、それだけではいつもと何も変わらないんである。

いつも通りでは、何だかもう集中力が続かないことは明らかなのだ。

ジャンケンは、イイ。

「最初はグー」

と言った瞬間に、空気が締まる。

「ジャンケン、ポン」

ポンでも、ポイでもなんでもいいのだ、けれど確かにその瞬間、その一瞬だけ子どもに返ったような気分になるんである。

そして、目の前にいるのはお友だち、なんである。

 

 

伝わるだろうか、このすっぱい馬鹿さ加減。

しかしながらジャンケンとは、もしかしたら人間がもっとも手軽に共有できる最小の友好手段、遊興手段なのではないのか、などといったことを馬鹿なりに感じさせられないでもないのだ。

鏡の中で向き合うときとは、また別の距離感がそこにはある気がするのだ。

何しろ、大人はあまりジャンケンなどという無邪気なことには興じない。

つまりそれは、忘れかけたような新鮮な距離かもしれないんである。

 

 

落ちてきたんである。

赤字という現実すぎて恐ろしいものが落ちてきたけれど、もっと別のものが落ちてきた気がしないでもないのだ。

お客さんにとっては、得をするか、いつも通りかの瀬戸際でしかないのだ。

しかしながら、そこにジャンケンというアトラクションが介在することに、あたしはすこぶる能天気のような価値を感じている。

お客さんとジャンケンをしている、その全然大したことない感じが何やら、全然大したことなくない気がしている。

楽しみのように、感じているのだ。

もちろん、負けると死ぬ。

けれど、勝ってはつまらない。

その辺のことはまだ、未熟なのだ。

勝っても負けても、どちらも楽しいくらいには図々しくなりたいと思っている。

お友だちとは、そんなものではないのか。

 

 

来月もやろうと思っている。

もう少し余分なことを付け加えて、お客さんの意思を試したいと思っている。

とんでもなく面倒臭い店だ。

けれど、ジャンケンの距離では何だか、気が済みそうにないんである。

 

これは、商売の話などではない気がしている。