アラズヤ商店

日々のナマキズ

香取くんがつまらなそうだ

“ぼくたちロトもだち”

 

朝っぱらから、香取くんの目が死んでいる。

パラリンピックなんちゃらアンバサダー”とか何とかなのだそうだ。

スッキリ生出演である。

大丈夫なのだろうか。

 

2記事連続のジャニーズイジりである。

率直に申し訳ない。

朝の時間帯のジャニーズ重宝度数うなぎ上り、といった嘘くさいプレゼン的よいしょどっこいしょで一つご勘弁いただけないであろうか。

ジャニーズに恨みはない。

もちろん偏見もない。

それどころか近頃に至っては、いよいよ誰が誰なんだかさっぱり見分けがつかなくなってきた始末だ。

アルファベットや坂道な女の子がいっぱいいることと、何も変わらない。

HKTとかSKEなんていいだした頃からさっそく覚束なくなってきた、Sexy zoneとかキスマイなんとか言い出した頃からいよいよ戯れる小学生くらいにしか見えなくなってきたクチである。

アイドルの増殖スピードは細胞分裂の如く微生物じみて活発で、量産的かつ商業的なコピー感がハンパないではないか。

まじ細胞分裂感、ハンパなくね。

軽薄な口調を安易に用いてしまって大変恥ずかしい。

しかしながら商業的であるということは例えば、敢えてそれを侵す、というまさに大変恥ずかしいといったような打算すら平然と使いこなしてはばからない強かなる利益第一主義、そんな頑丈かつふてぶてしいまでのメンタリティを平易な表現に置き換え馴染ませたある種ベンチマーク的な価値の標榜、ということではありますまいか。

しまった、勢いだけで文字を連ねている。

何を言っているのか自分で全然わからない。

 

 

 

目が死んでいる。

なんちゃらアンバサダーなのに。

いつもの“ロトもだち”が、脇を固めてくれていないからだろうか。

心細いのだろうか。

相変わらず、……昨夜の酒がまだ残っているのだろうか。

心なしか瞼周辺いや、顔全体がむくんで見えなくもない。

SMAPとはいえ彼も立派な四十路のアル中、もとい独身貴族ながら、むくみたるみは平等に訪れる人類の憂鬱。

朝早いお仕事は、ダルかろう。

気乗りしなかろう。

“バーターでもいいじゃん”

ロトもだちへの希求が、はっきりと死にまくった目の奥で薄暗く淀んでいる。

 

 

人は感情や思考を記憶して、コピーしてしまうのかもしれない。

簡単に言うと、繰り返してしまいがち、ということだ。

ジャニーズの商業的価値は、アイドルを主食とするイナゴの侵略的経済効果の変遷、のようなものだと個人的には思っている。

何も特別なことではない、それは流行りのスイーツでも、iPhoneでもなんでもいいのだ。

経済とは、群がるイナゴの侵略的経済効果、それを操る一部の人間のための下世話なキャッシュフローでしかないと思っている。

愚かな政治経済の時代的変遷という所詮ただの繰り返しと、ジャニーズのめくるめく時代の変遷は、イナゴの侵略というその操作の歴史の繰り返しという意味において、何も変わらない気がしてしまう。

ジャニーズは、芸能界における永遠与党。

まったく違和感がないではないか。

 

 

そんな時代の順当なる変遷に追いやられつつある、朝から死んだ目もはばからない“ロトもだち”もまた、繰り返してしまうのだろうか。

与党の看板として長らく芸能界に君臨したSMAPは、熟した末にその幹から離れたのだろうか。

その身は地に落ちて散りじりに飛び散ったのだろうか。

 

いやいや、“ぼくたちロトもだち”なんである。

 

 

潔癖症、ナルシスト、ゲイ、変態、アル中。

SMAPという実は、実に多彩なイメージを頑丈に受け入れてなお、多くの国民に愛された類稀なるアイドルグループなんである。

丁寧そうに、なんだか酷いことを言っているかもしれない。

あくまでもイメージというユーティリティを楽しませてもらっている、ということを表現しているのに過ぎないのだから、まじで邪険な感じの反応はご勘弁いただきたい。

 

 

解散。

大切に守られて、縛られ続けた彼らの限界ということだったのだろう。

潔癖症と、ナルシストは一人でも成り立つその性質を疑うことはなかったのかもしれない。

ゲイ、変態、アル中。

とかく夜の街で戯れがちな性を予感させるその素性が、彼らを止まらせたのかもしれない。

 

“ロトもだち”

 

そこそこにいい歳であるベテランアイドルたちは、縛られるという未練に託した夜の街トリオと言えなくもない。

しかしながら、あたしは勝手に危惧しているのだ。

トリオながら、そこにはすでに異分子の存在を隠しきれない事実が露呈されている気がして仕方がないのだ。

すでにお気付きの方もおられることだろう。

そう、“ミノキ兄弟“である。

彼らは、二人兄弟なのだ。

 

つまりゲイは、トレエンのじゃない方的中途半端なハゲを嫌ったらしい。

 

”ぼくたちロトもだち“の危機。

夜の性は、一蓮托生とはどうやらいかないらしいんである。

 

 

思えばゲイは、元来異分子としての性質が濃かった気がするのだ。

例えば、リズム感ゼロ。

同じステージにいながら、ゲイの周辺だけは絶望的にリズムが存在しなかった。

彼のダンスは常に、妙な舞踊感に満ちていた。

摺り足、差し足、及び腰である。

明らかに、ではなく、何だかすごく変な動き。

ステージの彼は常に、異分子として異彩を放っていた。

 

トークの場においても彼は、異分子感を絶妙に発していた気がする。

潔癖症は冷徹なまでにMCに徹し、ナルシストはここぞという要点を見逃さず、トレンドを意識した若干しつこめの見栄を撒くことに長けていた。

変態はスベりを恐れ、アル中はシニカルにひねくれることで鉄壁のガードを敷いた。

 

ゲイは、積極的に空気に鈍かった。

 

もしかしたら、あの五人の中で一番のアイドル気質は、ゲイだったのかもしれない。

今になって思い返すと、ますますその印象は色濃いもののような気がしないでもないのだ。

彼は、自身では場の空気に沿ったつもりでも、その発言の性質は常に彼という一人称視点を離れることはなかったように思える。

“俺はアイドル”

彼は誰よりもその境遇を、無意識下で愛していたのかもしれない。

ワインを愛でた彼を、周囲は明らかに持て余していた。

かつての川島なお美さんの如く。

ゲイもまた、孤高の道を選ぶのだろうか。

 

 

“ぼくたちロトもだち”

 

人間が繰り返してしまう生き物であるなら、彼らはきっとSMAPであることを繰り返してしまうのかもしれない。

死んだ目が、それを予感させるのだ。

SMAPとして死んだ目。

香取くんは、依然SMAPのままなのだ。

死んだ目が、そう言っている。

一生逃れられないと言っている。

世間はすでにそうは思っていないのに、時代の変遷にこびりついた事実だけが、この先もずっと彼を縛り続けることを、彼は知っている。

うんざりと、死んだような目をしている。

 

ロトもだちが、ミノキ兄弟へ。

それは彼らの覚悟のように、思えなくもないのだ。

もっと馬鹿なことをさせてくれ。

SMAPから、ジャニーズから俺たちを剥がしてくれ。

その覚悟はもうとっくに出来ている。

なんちゃらアンバサダーなんて、こんな俺たちをそんなに甘やかさないでくれ、もてはやさないでくれ。

イナゴはもうとっくに、次の田んぼを侵略しているじゃないか。

嵐も、もう終わるじゃないか。

 

 

変態は、シリアルバーに噛り付きながら、素人臭い馬鹿なCMでおどけている。

ドラマもCMも、所詮素人臭いだけなのが変態のいいところではないのか。

全然イケメンでもない。

デニムやギターにどハマりして買い漁るただの変態。

公園での出来事なんて、とっくの昔に過ぎ去ったことに違いない。

変態をただの変態として、解き放ってはやれないものなのか。

 

 

ゲイは、依然として無自覚症状が続いているらしい。

もしかしたら、SMAPが解散したことにも未だに気付いていないのかもしれない。

何しろ、彼こそは孤高のアイドルだからだ。

アイドル = 偶像

偶像という彼の一人称は、彼自身を永遠に無自覚のままでいさせてくれるのかもしれない。

 

 

ロトもダチからミノキ兄弟が分離する。

ゲイが分離するのか。

いや、彼はそんなことは意に介さない孤高のアイドルなのだから、やはり分離するのはミノキ兄弟たちの方に違いない。

やがてそれは義兄弟であるという認識を得て尚分離を繰り返し、変態、アル中それぞれがそれぞれの個性として解放されて活き活きと変態らしく、アル中らしくようやく目を輝かせることに繋がるのではないのか。

 

潔癖症とナルシストの高みからの本当の悔恨は、ようやくそこから始まるのかもしれない。

それが自己に対するものなのか、他に向かうものなのかは所詮それぞれの腹の中でかねてよりグツグツと煮詰まっていることに違いない。

 

SMAPは、嵐より先輩なのだ。

そして、後輩である嵐は未だにその影にも遠く及ばない。

先輩である彼らほどにはそれぞれの個性を、嵐は背負い切れてはいない気がするからだ。

だがしかし誤解してはいけない、それぞれの個性を背負わせなかったのは周囲の人間たちが求めた結果であって、決して彼らが背負いたがらなかった訳ではないということだ。

つまり、やはり彼らもまたアイドル = 偶像という宿命を淡々と受け入れてきた類稀なるアイドルということには違いないはずなのだ。

大野くんを死んだ目のままにさせてはいけない。

嵐なりの結論だったのかもしれない。

先輩であるSMAPよりは上手く、アイドルをアイドルとして生き切るのかもしれない。

先輩がぶちまけてくれた道を踏んで、嵐がまた一歩、アイドルという宿命のその先を切り開くのかもしれない。

なんちゃらアンバサダーなんて、そんな退屈など押し付けられない、必要としない新たな道を。

 

 

書き出すと、止まらないんである。

そもそもSMAPも嵐も、そんなに好きでも思い入れがあるでもなんでもないんである。

とりあえずアップを済ませてから推敲したりするのだけれど、これは何だか面倒臭いぞ。

全然興味がない。

シビれるほどない。

 

しかしながら、勢い書いてしまった。

中途半端だが、極力固有名詞は避けたつもりである。

絶対に怒られたくないはないのだ。

 

 

たまたま香取くんがつまらなそうにしていたので、つい気になって書いてしまった。

 

すみませんでした。