アラズヤ商店

日々のナマキズ

本音なんて当てにならない日々

午前中は働かない、という姿勢が常態化している。

もちろんそれは結果論ではなく、そうするつもりでそうしているだけなのでつまり、あたし自身の意志によるもの、ということなのだ。

 

そんな他愛もない”意志”について、ときに他人は”気楽でいいね”とか”余裕じゃん”といったようなことを具体的に言葉で表してみたり態度のみにとどめてみたりするのだけれど、こちらにその感情は確かに伝わってくるのだから、意思の疎通という意味においては立派に成立しているということには違いないのだ。

 

”意志の疎通”という事態が成立することと、ことの本意が正確に伝わっているのかというとそれはまた別のハナシで、つまりあたしなんかは結構不毛な気分をかみ殺すしかないこと度々、といった感じでいたりもするのだ。

 

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”気楽”なんてことは、少しもないのだ。

 

当たり前だ、世間の人々が眠い目をこすりながら動き出す午前八時。

あたしはようやくカーテンを開ける。

急がなければ、今日のゴミの回収に間に合わない。

今日は燃えるゴミの日か、違う、プラスチックごみの日だ。

プラゴミの回収はいつも九時頃に来るから慌てなくてもいいか。

先にお風呂でも入るか、いや、どう考えてもゴミを片付ける方が先だろう。

少しずつ動き出し始めた窓外の様子を眺めながら、そんなことを考える。

猫も一緒になって眺めている。

 

”気楽でいいね”

 

そう思うなら、やってみたらいいのに。

あたしは”気楽”だからやっているのではなく、そんな風にしか生きられないからそうしているだけなのに。

出勤する会社があって、自分の役割があって、黙っていても仕事があって、決まった時間に働き、決まった時間だけ休む。

務めを終えたら、やれやれとした安堵の中帰路につく。

 

”気楽でいいね”

 

それはあたしのこととは思いたくないけれど、あたしみたいな人間以外の人のことともいうつもりは少しもないんです。

じゃあ一体何が言いたいのかって、つまり人間なんてその人なりにしか生きられないということに過ぎないわけで、そうしたくてそうしているだけではないのか、ということなのだ。

 

会社に所属して、決められた職務をこなして給与を得る。

決められた日数働き、決められた分だけ休む。

そうした暮らしをちゃんと勤め上げられる人が、例えばあたしみたいな放蕩暮らしを許されて、果たして”気楽”などと思えるものなのだろうか。

 

あたしは、基本的に所属することが出来ない人間だ。

”所属する”ということはつまり、そのために承諾すべき条件や決まりや協調や辛抱が数多存在するわけで、あたしはつまり人間が出来ていないので、そういったことのすべからくを理不尽と感じてこの上なく不幸な気分を思いつかずにはいられない性格なんである。

 

イヤだとか、面倒だとか、そんな感情は軽く飛び越して”生きてる価値ない”くらいの自己嫌悪に陥ってしまうくらい子ども染みた性格なんである。

 

我ながら、改めて文字に書き起こしながら最低な感触がハンパない。

けれど、朝の八時にようやくカーテンを開けるような鈍らさを享受しないと、何だか人生ツラすぎてやってられないような気分になってしまうのだ。

こんな時間から働きたくない、と思ってしまうのだ。

 

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あたしが馬鹿馬鹿しく過ごしているこんな暮らしの意味を、あたしなりにも考えたくなるタイミングは日々の中でも決して少なくはない。

あたしは一応商売人なのだが、あまり商売的な気分で営んでいる意識がない。

だからと言ってお金を稼がなければ暮らしていけないので料金は頂戴するのだけれど、次回予約を煽ったり、商品を売りつけたり、メンバー化を促したりといった販促行為は一切しないし、未だにそういった働きかけは苦手だし怖いとさえ思っている。

 

どうして、だれもがそうして商売として勤しむ営業行為について怖いとすら思ってしまうのか。

それは苦手とか、嫌われたらイヤだ、とかそんなこと以上にもっと単純な理由がある。

いちいち言葉にするのもはばかられるようなくだらなさ、嘘臭さかもしれないのだけれど、思い返せば結局のところ、あたしはこの十五年間というものずっと、ただそれだけのことをずっと裏切れずに意地を張り続けている気がするのだ。

 

そんな意地のようなことを疑いたくなること、否定したくなるタイミングは日々の中でも決して少なくない。

けれど、やっぱりどうしてもダメなのだ。

 

それは例えば、”こんな時間から働きたくない”と呆気なく思ってしまうことと、根っこは少しも変わらない気がしているのだ。

 

あたしにはそんなことが、これっぽっちも”気楽でいいね”なんてことにはなりえない気がしているのだ。