アラズヤ商店

日々のナマキズ

フラフラしてない師走、鬼が笑う

本気で、どうしていいものやらさっぱりわからないような毎日を送っている。

 

ハッキリ言って、今日も有り余るような時間をどうやって過ごそうか、のようなことをかなり本気で考えたりしている。

起き抜けからプログラミングの勉強をする習慣は辛うじて続いている。

HTML&CSSJavaScriptRubyときて、今はRuby on Railsなるものを学んでいる、というか、相変わらず促されるだけのカリキュラムをなぞっているだけ、といった感じである。

要は、未だに何かしらの教養や理解が身についた気は少しもしていないということなのだ。

 

一体何のために、毎日眠い目をこすりながら起きだしているのだろう。

我ながら全然意味の分からない執念を、朝っぱらから燃やしている。

少しも暖かくならないやつだ。

 

 

しかしながら、傍らにいるネコはとても嬉しそうにしている気がしている。

来年はついに十歳を迎える愛猫なのだけれど、このタイミングにきて共に過ごす時間が長くとれることはこの上ない喜びなのだ。

猫って、静かでいい。

しかも何も考えてないみたいなのに、ジッとしているだけの横顔がすでに過剰に思慮深い感じに見えてしまうところが詐欺っぽくていい。

ちなみにあたしはわがままで嘘つきみたいなタイプの女の子がいつの頃からかずっと好きなのだ。

だからイヌよりネコが好きなのだとか、そんな気持ちの悪い根拠らしきを述べたいつもりは毛頭ないので勘違いしないでほしい。

 

でもやはり、イヌはあまり好きではないかもしれない。

何しろ、あたしが暮らす部屋の隣の住人はおそらくちっぽけなタイプのキャンキャン犬(すでに嫌悪がヒドイ言い方ですな)を飼っているのだけれど、そのイヌがうるさいのではなく、鳴き喚くイヌを叱りつける飼い主の怒声がとてつもなく不快なんである。

イヌに向けて、本気で「うるせえっっ!」と怒鳴りつけるのだ。

まったく意味がわからない。

うるさくてイライラするものなら、なぜ飼うのか。

「うるせえっっ!」の意味がわからないのは他でもない、当事者であるイヌ本人に違いないのだけれど、気の毒なことにその”わからなさ”は人間の比ではなくつまり、”人間の言葉など知るか”がデフォである以上、その怒声から、あるいはその尋常らしからぬ奇人ぶりから推察する殴り殺されんばかりの形相にただひたすら怯えるしかないわけで、「うるせえっっ!」なる怒声については”何言ってんだかわかんねえよっ、つかメシくれっつんだよメシっ!”などといった悲痛な叫びを繰り返すしかない有り様なんである。

いや、もしかしたらお散歩に行きたいのかもしれないのだけれど。

 

 

猫はいい。

大きな声で鳴かないし、ごはんも少ししか食べない。

毛が柔らかくて気持ちがいいし、おなかのふにゃふにゃした感じの毛と肉の感触はまさに天然モノの人をダメにするアレみたいなものだ。

つい触りすぎて、しょっちゅう怒られてしまう。

なぜそんなに気が短いのだろうと、少しばかり残念な気持ちになる。

もっと触らせてくれよべえべ。

気持ちがよいのさべえべ。

しゃーっ、なんて怒らないきみはやっぱ優しいよな。

気遣ってくれてんだよな十歳だもの。

おとなだものな。

 

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不真面目な毎日なので、努めてまじめに過ごすことにしているのだ。

勉強を終えたら、仏壇の掃除をする。

かなしいほどおじいちゃんみたいな習慣である。

しかしながら、ほこりが積もっている感じは呼吸器系に不安のあるあたしのような人間には少しばかり、その不快さは別格なものなんである。

というか、仏壇に手を焼かないと何だか、ものすごくダメな人になり果てそうな気がして怖いのだ。

仏壇は、あたしというクソ人間のために開かれた懐の広い精神的コンポストみたいな存在なのかもしれない。

まじでバチが当たりそうなことを言っている。

先祖の皆さん、わかってますよねごめんなさい。

 

 

コメが炊きあがるのを待っている。

そのついでにブログを書いている。

炊けたら、蒸らしの間にみそ汁をこしらえるのだけれど、卵焼きを作るまでの手間はない。

一人暮らしとは、そんな手抜きが少しも迷惑にならないことのようなことを言うのではないのか。

近頃は、私生活を私生活らしく不自然にダダ流す感じの女の子ユーチューバーが異常繁殖しているけれど、かつて流行ったインリ〇ング的なやつはハードル高いけどこれならイケっかな、的な露出願望の底流決壊がむしろその価値こそをあられもなく瓦解させているようで、チラリズム愛好家のあたし(変態)としてはそんな片腹イタさがむしろ何だか妙に切ないんである。

ただ一人(かどうかは知らないけれど)一線を画す存在である”おにょこ”なる端正な暮らしぶりと態度を開陳されている女子さんのみは、何だか親しみが深い今日この頃なんである(変態)

 

 

皆さんが一生懸命に働いている頃、フラフラと、そんなものを見ていたりするけれど、フラフラとしているばかりでもないことは案外知られていない。

いや、そんなこと誰が知るものかと。

いや、むしろ知られてはいけないもののはずなのだ。

 

お。

コメが炊けたであるよ。

 

 

脱線。

 

 

おわかりいただけるだろうか。

フラフラしているけれどフラフラしているばかりでもなくいるよう心掛けられるのは、たぶん世の皆様のおかげのはずなのだ。

がんばる皆さんのおかげで、フラフラするあたしですら”ダメだこりゃ”的な脅迫を思いつけるはずなんである。

 

”ダメだこりゃ”

 

そうして、フラフラしてばかりでもないことにこそ努めて、眠い目をこすりながらエディタを見つめることよりは余分に興味深いことをこの有り余る時間という毎日の中にやつしながら、一体何ごとを仕出かそうものなのかと我ながらクソくだらない妄想を馳せつつもいかばかりか執念深く、やはり有り余るには違いない今日という時間をあっという間に過ごしてしまうのに違いないんである。

 

 

猫はいい。

プログラミングはわけがわからん。

しかしながら、思いつくばかりのことを今日もやらずにはいられないのだ。

 

 

師走を迎える気分ではない。

しかしながら、気配はすでにせっかちのごとく師走っぽい。

世間が幸せに向かいたがる前段階としての”ケチ臭さ”満々たるこの感じは、”師走の入り口っぽいなあ”という毎年の如くの感触には違いないんである。