アラズヤ商店

日々のナマキズ

占い=トリートメント相似形反発論

傍らで猫がゴロゴロと喉を鳴らしている。

猫飼いにとって間違いなく堪らない瞬間である。

 

可愛らしいのでそっとアタマを撫でようとしたら、両手で掴みかかられて軽く噛まれた。

意味がわからない。

ゴロゴロの意味がわからない。

猫は、奥が深い。

猫飼いにはもちろん堪らない瞬間なのだ。

 

 

本性など、わかりかねる。

それは人間にこそ言えることで、だからというわけではないのだけれど、近頃はどっぷりと手相にハマっている。

あまり”ハマる”タイプの性分ではないのだけれど、思い込みが激しい性分ではあるつもりなのでつまり、初速が激しい。

 

いきなり入門書のようなやつをAmazonで3冊ほどゲットして、読み耽った。

ヒマ人ならではの一気読み全開である。

手相のレクチャーは反復のような記述も多いので、端折りながら読み進めるとマジで早そうだ。

しかしながら、あたしはあまりアタマがよくないクセに完ぺき主義という一番面倒なタチなので、端折るなりにも一字一句読み飛ばしたくないあまり端折り風総ナメ読書といったかなり負荷のかかる読書を選択してしまい、薄暗い執念がまあまあヤバかった。

何しろ初速が激しいから、一刻も早くにわかに染まりたい一心だったのだ。

ラグビーのおかげで、”にわか”はすっかりポジティブなイメージとして便利に認識が改まったことも一つの要因かもしれない。

とにかくあたしの”にわか化”には、一片の曇りもなかったのだ。

 

二日ほどで全て読み終え、基本的なことからそれに付随する同じような別のようなよくわからないけど所詮同じっぽい線のことだとか、手のカタチ爪のカタチ指の長さや指紋による性質に至るまで、大体一通りのことはわかったようなつもりでいる。

何しろ初速が激しいタチである。

思い込みも他人がイラっとするほどには激しいのだ。

気分はすでにイッパシの手相鑑定人爆誕、といった感じなんである。

 

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”手相”を思いついて数日が経つけれど、激しめの初速は未だにその余韻を残しているのであたしは日々、お客さんの手相を見まくっている。

 

見まくって、慄きつつ、かなりいい加減な見立てをしまくっている。

いい加減かもしれないが、恐らくそうでしかないだろうつもりで言いまくっている。

何しろ、相手は勝手知ったるお客様なのだ。

性格くらいは何となく心得ているつもりだから、手相よりもむしろあたしの想像にゆだねる割合の方がかなり高い。

何ならそれは占いなどではなく、むしろ”事実確認”のような魂胆ですらあるといっても過言ではないのだ。

 

 

 

占いにおける”当たる”とは、どういうことなのか。

わからなくもないけれど、だからこそあたしはそれにあまり興味がないのだと思っている。

何なら、間違っている方がいいとすら思っていかねない薄情さでいる。

誤解してほしくないのは、手相をいい加減に扱っているわけではないということだ。

 

つまり、占いを鵜呑みにしたがることと、トリートメントで髪がサラサラになることを盲目的に信じること、その依存的な思考傾向に一体どれほどの違いがあるというのか、という率直な反発のようなものに違いない。

あたしの中には、常にそういった反発が第一義として存在してしまうのだ。

 

 

手相を以て、その人の性格や性質的なことを客観的にあぶりだしてみる。

それはたんなるキッカケに過ぎないはずなんである。

そうして、その人が何を思うのか。

現在でも過去でも未来でもなんでもいい、所詮はその人次第ということに過ぎないのではないのか。

それを率直に映してくれるのが手相であり、あたしはそれをキッカケにしながら根拠として預けるつもりは毛頭ないようなお話を、お客さんとまじめに話したいような気がしている。

 

 

 

そのために、あたしは”手相”というものがとても有効な手段になってくれるような気がしているのだ。