アラズヤ商店

日々のナマキズ

猫はタピオカなんかいらない

昨日の朝は雪曇り、今朝は快晴で雲一つない。

今年の空は何だか目まぐるしい。

寒いし暖かい、降るけど積もらない、海の向こうではロケット。

備えるべきは、例えば”予感”という名の想像力ではないのか。

朝っぱらからどうした。

 

猫がキャットタワーの頂上で朝日に照らされながら、窓外に広がる透き通るような朝をしきりに眺めている。

何なら、いつもより熱心なくらいに。

彼女の全世界はこの狭い2LDK。

つまり窓外に広がる透き通るような朝の景色は、所詮届くはずもない宇宙を眺めることと違わないはずなのに、憂鬱を知らないらしい猫の後姿はやけに清々しく、改めて思わされてしまうのだ。

 

猫を飼っていて、よかった。

 

朝っぱらからどうした。

 

 

 

新年早々、世間は年末年始疲れで露骨に死んでいるので、きのうは朝っぱらからまたしてもLINEによる絨毯爆撃を仕掛けてしまった。

年初より顧客の皆々様に鬱陶しがられること甚だしい、といったところだ。

 

そんなことを確と自覚しながら、”これは勤めなのだ”と自らに言い聞かせるのは実に意欲的な取り組みであることよ、と殊更に自らの努めを賛美する。

”努め”という”勤め”

清々しいではないか。

清々しいのはあたし一人で、受け取る人のほとんどが”鬱陶しいなあ新年早々”と眉を顰める。

”あけましておめでとうございます”とは受け止められないことこそが、商売という名の”胆力”の正体、つまり”挑み”たる”努め”かつ”勤め”ということなのではあるまいか。

朝っぱらからどうした。

 

 

あたしが仕掛ける”商売”が、朗報になり得るための方法を常から考えているけれど、上手いことはなかなか思いつかないので、気の赴くままにペンキを走らせている。

商売のことを考える結果、へんな絵を描いてしまうのはまあまあぶっ壊れた有り様には違いないのだけれど、驚くことに実は、もう飽き始めている。

 

だんだんと、つまらなくなってきてしまったのだ。

 

表から見る有り様は、いよいよヤバい感じにはなりつつあるのだけれど、ヤバいだけで、実際には何も生んではくれないらしいことに納得し始めている。

気が早いだろうか、しかし何だかつまらないのだ。

思いついたあたし自身がつまらないのだから、描かされるお客さんが面白いはずもない、気がする。

”絵心がないから”と遠慮されるのだけれど、”絵心”などほとんどの人があるはずはないし、むしろそんな”絵心”のなさを恥ずかしがらずに披露してほしいのだけれど、そうさせてあげられる”何か”が、あたしにはどうもたりないらしいことがつまり、何よりも面白くない気がする。

 

”LINE絨毯爆撃”よりは、”へんなペンキ絵”のほうが断然面白いとは思っている。

けれどやはり、何かが足りないから満足できるほどには面白くないのだ。

”絨毯爆撃”は十中八九鬱陶しがられるけれど、”ペンキ絵”は誰に鬱陶しがられるわけでもなく、ただ単純にヤバいだけだ。

いや、むしろそれは広く世間に向けてマイナスではなかろうか。

 

そうではない、のだ。

そんな”マイナスっぽさ”こそを、プラスに転換させたいようなことばかりを考えている気がするのだ。

 

 

微動だにせず、熱心に窓外の景色を眺める猫の後姿がやけに凛々しい。

猫のクセに、ものすごく思慮深い気配を誇ってすら見える。

ものすごいハッタリ感。

 

その気配を、あたしにも授けてはくれまいか、猫。

ただの猫なのに、タダモノではなさそうなその感じ。

あたしにもそのハッタリのコツを教えてはくれまいか。

タピオカで行列とか、そんな馬鹿っぽさ程度なら軽くぶっ飛ばせるようなハッタリを。

 

頼むよ、毎日のご飯とトイレ掃除、なでりなでりとか、そのお礼にどうなんだよ、猫。

 

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