アラズヤ商店

日々のナマキズ

アヴァンギャルドエキセントリックコンテンポラリーエキゾチックマジックポーションをください

副鼻腔炎とかではないつもりでいるのですが、単純に鼻のやや奥のほうの粘膜がズタズタな感じで、鼻水なのか膿のようなものなのかよくわからないものがずるずると日常的に垂れがちで、睡眠時はもちろん鼻づまりがちであり、口呼吸に傾きがちであり、もちろん喉が渇き口も乾き、志の輔さんがCMをやっている龍角散は当然の如く気になって今度使ってみようとはもちろん思っているのだけれど、薬局、ドラッグストアの類はお店で使う精製水を買いに行く時くらいしか案外行かないので未だに買いそびれているのはそこに向かう頻度ばかりの問題ではなく、ドラッグストアのレジに居がちな人はなぜ比較的愛想がなく、ポイントカードを持たぬ人、必要としたがらない人に対してはさらに愛想がなく、自分のペースと了見と当たり前、のような感覚に基づき他人を見下しがちのように淡々とした態度でお客に向かいがちなのだろう? といった勝手な思い込みのせいでさらに足が向かなくなりがちなせいでもあるはずで、行きがかりにしてもあまり他人様の仕事ぶりについてごちゃごちゃこそこそと悪口のようなことは言うものではないよなあ、と思い至るくらいのタイミングで一先ず、何について書きたかったのかすっかり忘れてしまったような、端から書きたいことなどなかったようなついでのようなことを書き散らしているのに過ぎないんである、のようなことを結びとさせていただきたいなあと思うものなんです。

意味もなく書きつらう長文ほどアタマ使うようで少しも使わないものってないよな。

おはようございます。

 

 

混沌とするものではないですか、所詮、人なんてものは。

そんな思いにおいて、馬鹿も利口もあったものではないのは人類最低限の平等だと、人生における最低限の自由だと勝手に思うものなのですが、そうしてたぶん人は例えば“迷い”のようなことを思いつくものなのだろうしそう名付けたがるはずのものなのだろうし、そんなことを自覚し始めるあたりとかでようやく、馬鹿とか利口の境目というものは出現し始めるもののような気がするので、例えば朝っぱらからクセのように書き散らしてしまいがちなこんな長文も、馬鹿とか利口、なんてそんな境目にありながら、嫌われたり鬱陶しがられたり端から滞在一秒でパスされたり、なんてことがあたかも当然のように振舞われて然るべきなのが世間であって世界であってグローバルだか何だから知らないネット社会の縮図、ということなのだろうなどということは脳みその先の一ミリだって考えたりはしないのだし、そうでなければこんな面倒くさいことを起き抜けからしたがるはずもないので、これはただあたしが勝手にしたいことだからしているだけのことに過ぎないので鬱陶しいだのみじめったらしいだの、ああやることがないんだろうなあ他に、なんてことをいちいち他人様に思いつかれるなんてことにこそは一ミリも興味も共感もないわけですからつまり、なげえな、と。

 

この時点で軽く千文字オーバー、所要時間にして約五分ほど。

アタマ使わないならせめてスピードだ、と。

どっかに才能の一つくらい、威力の一つくらいは自分自身ばかりでも勝手に思いついたような、認めてやりたいようなつもりにくらいなっても構わんだろうと。

だれに迷惑をかけることでもなかろうと。

それを掴まえて、どこかの誰かにいちいち足を引っ張られるような、つれなくシカトされるいわれもなかろうと、当然の如く思うものなんです。

図々しいですか。

鬱陶しいですか。

目に余りますか。

 

なんて、そんな複雑なあなたのことは爪の先の一ミリほどもわからないのですが、先ほど申し上げました人類最低限の平等だの自由だのといったことをひけらかしたがるぺらっぺらの卑怯さにおいて、自分ばかりにおけるそんな複雑さ、のようなことを逐一疑っていきたいような、見返して検討し直して改めたいようなことを努めて心掛けたいような意気込みを、ここのところ自らにけしかけて押し付けて願わくは、やらぬよりはやったほうがよかろう、という単純な一線に基づいて絞り出す自分ばかりの勇気を裏切らない行動、といった規範に従った行動にかまけて、わりと自由な意思に負けないように心強く過ごしているつもりではあるのです。

 

たとえそれが、常識的になんだか間違っているような、怠けて見えるような感じであっても、そのつもりはないのであればそれでもよかろう、のような白状の仕方をわりと信じたいようなことのつもりなのですが、わかりませんよね、そうですよね。

 

なにしろ、そんなのはあたしばかりの話には違いないことなのですから。

 

 

他人の変化には、気付きにくいものです。

髪を切った、メイクが変わった、ネイル可愛い、ヒゲ伸ばしてんの、カラーしたの、お腹痛いの、背中カユいの、恋してんの、不倫してんの、ストーカーなの、みたいなことを言っているのではないので早とちりしたらダメです。

こう見えても、他人と会うときは、特に女性に対しては入り口でとりあえず何か褒める、という態度には案外照れも恥じらいも思いつかないナチュラジローラモなところがあるあたしとしましては、外見上の変化とか本能から漏れ出すポケモン進化には案外敏感で言わなくてもいいことすら言ってしまいがちなところがあるのでむしろ、あまり気にしすぎないように努めるところすらあるのでやはり、早とちりしたらダメですよ。

 

他人の他人による他人のための変化なんて、なかなかわかりにくいものです。

それは何しろ、あたしだけのことであって他人様だけのことであったりするわけだから、世間に広くふれ回るべきでも努めて公表するべき義務を要求されるわけでもないのだから、やはり基本シャイな人類の本能として努めて秘めやかな企みとして虎視眈々と、いつかあそこのあん畜生をぎゃふんと言わせてやる、とばかりにしたたかにしたためるべき性質にありがちなものであってぎゃふんとは一体何のことなのかとかそういったことは関係なくつまり、むしろ他人様にはバレたくない魂胆でもって実行したがる性質に違いないもののはずですからやはりわかりづらいものには違いないんです。

わかりづらくさせたいものなんですから。

何言ってるのかわからないでしょ、他人というワードだけでも二視点で語られているからわかりづらいでしょ。

だって、自分以外は他人でしょ。

つまりこんなくだらなさは長文なんてものではなくむしろ、絵ですむしろ。

絵文字です。

混沌とする絵文字です。

たとえクソでも一先ず文章を装いつつその実、絵、などと嘯いて憚らないなんてなんともアートだなや。

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自ら白状するアートなんて、アートなんかじゃないって誰かが言ってました。

もちろん心得ているので、わざと言ってるのであります。

アヴァンギャルドだなや。

エキセントリックだなや。

コンテンポラリーでエキゾチックでマジックポーションだなや。

 

 

魔法みたいなお薬ください。

ああ、こじつけてしまった。

 

何しろあたしンちは商売処ですから、わかりづらかったらそれは、わからないままなのです。

ですから、秘めやかに、何てことは所詮ケチ臭いだけの見栄でしかないはずだっ、とばかりにむしろ努めて厚かましく振舞って参ろう、というのがたぶんあたしなりの他人事ではない変化のようなことのつもりでいるはずで、しかももちろんケチなつもりなど爪の先一ミリほどもないので、わかりづらい、なんてわけにはいかないと完全に思いながらやりたがる性質のもののはずなんです。

 

わからりづらい、ということはあるいは“わかりたくない”という態度でもあるのかもしれなくて、わかりたくないとは当然“知らない”という事実でもあるわけですから、他人というものはつまり、努めて知りたがらないものらしい、といった性質がかなりあるらしいモノらしいのです。

言った先からわかりづらい言い方をしている。

 

知らないものなんて、面倒くさいですものね。

面倒くさいですから、知ってるつもりの範囲で処理してしまいたいですもんね。

 

 

そんな面倒くさがりを解くお薬を、魔法をください神様。

円滑な商売というお薬を。

そうです、商売のマジックポーション

すかんちは、哀愁のヨダレから抽出される涙の色です。残響です。余韻です。ヨダレです。

 

アレ?

 

 

基本、わかりづらいんでしょう、あたしンちがすることなんて、したがることなんて、目指したがることなんて、信じたがることなんてさ。

 

だからって、知ってる範囲で処理したがるだけなんてつれないよな。

それだけのことに過ぎない、と言われればそいうことかもしれないのだけれど、それだけのことに過ぎないも、それまでのことに過ぎないのかもしれない、という視点はないですか。

 

知ってるつもりのこと、この先もずっと知ってるつもりで通用していくと思いますか。

 

知らないものを面倒くさがるのは人間だもの仕方ない、とはもちろん思うのだけれど、面倒くさがりに進歩がないのもやはり、仕方がないことなのです。

仕方がない、で済まされてしまうことは快適ですか。

楽ちんですか。

つまらなくないですか。

損してないですか。

近頃の人は、損したくなくて失敗したくなくて人より余分に得したくて、いろいろと手の平の中にあるやつで調べないと何も出来ないんでしょ。

 

5G

そんなもん、見たことねえ。

だけど、所詮手のひらの中にあるものにデジタルでもたらされるものなんて、所詮誰かが弄ってしゃぶって吐き出したあとの生ゴミでしかないことくらい、誰だって知っているはずなんですよ。

情報とはすでに起こっていること、過ぎたばかりのことには違いなく、もちろんあなた自身のことなんかではないことこそ明らかなはずでしょ。

 

知らされることと、あなた自身ということは、まったく別のことなんじゃないんですか。

 

 

あたしもご多分に漏れず知りたがりやですから、手の平の中にあるものなんてもちろん大好物。

めちゃくちゃ便利で有難すぎるものだと、完全に思っています。

だからって、やっぱりそれは所詮他人ごとでしかない気がして仕方がないんですね。

他人のことでしかないですから、所詮わからない。

わからないから、考えるんですよねたぶん。

わからないから調べて、鵜呑みにするんじゃなくて、自分というフィルターを通して考える。

他人のことを鵜呑みにするだけなら、たぶんそんなことのほとんどはただの誤解のような気がするんですよ。

だって、あなただって毎日、仕事や家庭や友人関係、様々な自分以外のことでも悩みは尽きないんでしょ。

わからないから、悩むんでしょ。

鵜呑みにしてどうにかなったことなんてそんなにないでしょ。

どうにかなったつもりで、相手の人はどんな顔つきしてるのか、ちゃんと自信をもって見られますか。

やっぱ考えないと、不安になるでしょ。

 

知らないままなんて、いられないはずだと思うんだけどどうなんでしょう。

 

 

興味がない、ということなのだと思うと何だか話は早いんですけど、なんとも嫌な気持ちにはなりますね、やっぱり。

だからこそ悩むんですけど、他人には悩むほどの価値も興味もないことらしいので、やっぱり難しいことだなあと、日々考えさせられるわけなんです。

 

そうではないのに、知ってるつもりの中で決めつけられて興味を持たれないのは、自分のやり方が下手糞、ということなのだよなあとは思います。

 

けれど、生意気な性格なので単純に、そんな程度の想像力で生きてて面白いかよ、何てことも実際、自分にも他人に対してもやっぱり思ってしまうんですよね。

 

 

神様に願うつもりなんて毛頭ないのだし、だからつまり毎日のクセみたいに企むんですよ、他人様に伝わる興味のマジックポーション