アラズヤ商店

日々のナマキズ

コンビニという最高さ尊さ

“24時間営業を終了する”とか、“イートイン税率問題”とか、“フランチャイズ謀反”とか、わりと問題が尽きないような、時代の変革迫る、みたいな話題がここのところ尽きない印象のコンビニエンスストアですが、のっけから何を言っているのか自分でもよくわかりません。

お店で食べるのと持ち帰るのでは税率違うんでしたっけ。

その辺のところを皆さん上手くつかったり、怒ったりしているんでしたっけ。

所詮よくわかっていないです恥ずかしながら。

 

しかしながらそんな話題とはまったく別腹におきまして、って別腹とは単純にごく個人的な受け止め方、といったような意思には違いないということなのですが、近頃のコンビニエンスストアって、商品のラインナップとかそんなこと以外にも例えば接客態度とかも、すごく意識が高くて感心させられること多くないですか。

勝手にそんな気がしている、という話なんですけど、どうなんですかね。

 

 

あたしは割とダメな感じの生態を繰り返すタチ(わかってるなら変えないといかんよな)なので、基本的に日常立ち寄る場所と言えば、スーパー、コンビニ、ガソスタ、ホムセン、ドラッグストア、くらいのもので、イオンもユニクロも蔦屋もスタバも行く機会は極少です。

そんな微妙な観察において、極めて感心させられがちな印象であるところのコンビニ接客。

 

営業努力、すごくね。

 

といつも感心させられるなりの、熾烈な過当競争というものも想像させられつつ、それにしても各店舗それぞれの直截的な接客レベルというものはそれこそ、それぞれの意識や努力が行き渡らないと印象レベルでもお客さんに伝えること、伝わることってものすごく大変なことのように、当たり前に感心させられずにはいられないわけなんです。

 

すげえな、と。

そんな素晴らしい接客姿勢に対して、敬意の如くもう一品、予定になかったものもつい買ってしまう善良な購買姿勢を褒められたことはないんですけど、まんまとそうさせられてしまうだけの“すごさ”のようなものは、やっぱりあるなと。

 

高校時代はずっとコンビニバイトをしていたのでなおさら、というところも個人的にはあるのかもしれません。

もう二十年以上も前の話になりますから、その成熟の度合いというのはあるのかもしれないですけど、あたしがお世話になっていた頃とは明らかに質の違う接客姿勢を感じさせられる気がするし、それはマニュアルとか、そういった運営側によるシステマティックなアプローチとはまた別の、スタッフの方それぞれの個人レベルでの意識の高さ、というよりはもっと良心的な、職務として要求される以前にその人個人としての良心こそが思いつかせる職務に対する姿勢の良さ、意識の高さのようなことが如実に表れている人が案外少なくない気がしていて、やっぱり何だかすごいなあと。

 

格差社会のようなことを言われ始めて久しい世の中ですし、早期希望退職だの副業解禁だのと、これまでの就業意識やら雇用体制やら社会的認識も含めて急速な変化が起こっていることは明らかな中で、働く人ぞれぞれがその職務について張り詰めたことを思いつかされることも少なくはないだろうし、だからこそ目の前にある仕事に熱心に取り組む姿勢、それこそ良心的に差し出さなければならない姿勢というのはある意味そういった世の中の情勢を反映してのことももちろんあるのだろうとは思うのだけれど、それにしても、それに応えて余りある個人レベルの意識の高さというのは、庶民レベルでの日本人という成熟度を思わされないでもないところがあって、いろいろ心配なようなことを言われがちな現代社会においてもその実像は、生活レベルでの実際の景色や姿勢というものは、まだまだ捨てたものではないどころかむしろ、良心的な意識をベースにとても意識の高いものに着実に成熟しているように思わされる気がしてやっぱり、なかなかだなあ、すごいなあ、と。

 

願わくは、そんな良識的な意識の高さが、良識として然るべく評価される世の中であってほしいなあ、まんまとつけ入られるようなことが蔓延することのない世の中であってほしいなあと思うのは当然のことで、そうでなければせっかくの個人レベルで提供される良識は、それを差し出して然るべきと思える意欲と労働環境は維持されるはずもないのだし、維持されてほしいものだとまったく疑いもなく、日々利用させてもらう一ユーザーとしても切に願わずにはいられないところなのであります。

 

スーパーでも、コンビニでも、ガソスタホムセンドラッグストア、いずれにおいてもスタッフの方にタメ口をきく輩な感じにはかなり抵抗を覚えます。

何なら、朗らかな調子でちょっと余計な一言をレジで交わしたがる人好きみたいなお客さんも面倒くさいです。

あのぉー、待ってるんですけどぉー。

とは言わないですが、単純にイラっとした感じくらいは確実に思いついてます。

あれほどコンビニスタッフさんの接客を称賛しながら、自分自身はわがままなばかりって、どうなんですか。

世の中の悪しき循環の末端として存在していやしませんか、あたしみたいのは。

 

 

まあ、一例として自分を死なせてみたのですけれども。

なんて。

 

ということにしておいてほしいのですけれども。

 

あたしは所詮気が小さいので、いくらレジでおじいちゃんおばあちゃんがお財布から小銭を掻き出すことに手間取っていようが、マイバックのヒモを縛るのに手間取ってよちよちしようが、ジッと待ちます。

お待ちして差し上げます。

そんなの当たり前ですよね、いちいちアピールすんなボケですよね。

 

 

だからって、国道を三十キロとか四十キロくらいで悠然と走って憚らないタイプのドライバーには“もう返しちまえ。返せ、免許。やべえぞいくらなんでも”くらいのことは普通に思いますけどね、ええ。

所詮サイテーですよね、わかってますとも。

 

でも、制限速度に明らかに順応出来ないドライバーは、ちゃんと路肩に避けるなりして後続に道を譲る義務があることが交通法規でもちゃんと定められていることについても、“あおり運転すんなチンピラ”と同じレベルとまでは言わないまでも必要程度には啓蒙されるレベルでつまり啓蒙してほしいものですよねメディア諸氏におかれましては。

絶対言わないでしょうけれども。

 

 

何について書きたかったのか忘れてしまった。

完全に脱線してしまった。

 

ああ、コンビニの接客姿勢のことだった。

そういうの失くしたくないってハナシだった。

 

差し出してくださる方にはご苦労をお掛けしてしまうのだけれど、そうしてもらえることで差し出された側でも思いつける然るべき態度というものはたぶんあるはずで、そうして正しく循環するマナーというものがいろいろな意味で豊かな結果をもたらしてくれるなら、それって実に当たり前という素敵なサイクルだよなあとは、やはり思わされるわけです。

そういった意識に加わることのできない一部の心ない人の行動ばかりにヒステリーを覚えて、せっかくの高い意識が汚されるのはやっぱり損失としてとても大きなことだと思うのだし、こちらとしてもたとえ高校生のアルバイトだろうと敬語やお礼は欠かしたくはないものだと心掛けるのだし、そうして当たりまえの如く目の前の一つ一つの仕事やお互いのマナーが気持ちよく循環するなら、例えば“労働格差”とか、そんな意識すらももっと別な意味で、たとえ意識レベルのハナシであっても緩和されそうなところはあるような気がするし、心ないことを仕出かせることが当然として恥ずかしいことであることがより公然と認識されることは職業差別とかそういうサルみたいなレベルの差別意識こそをさっぱりと刈り取ってくれるものと期待させてくれるもののような気がするんですね。

 

 

接客業って、案外割の合わないところがかなりある職業ではあるんですけれど、だからこそ要求される高い意識というのは確かにある気がして、案外、いややはり、かなり尊いな、と。

 

日常レベルで様々な人格の対面に立って、施す。

間口が広くて、要求が高くて多くて、それが毎日二十四時間。

もう、まじで尊いコンビニエンスストア

ユーザーはそんな尊いばかりの“聖域”について、お金以外にも差し出せるものは絶対にあるはずで、もちろんそれはコンビニに限った話などではなく、そういう意識を働かせることこそがあるいは“社会生活”という意識の働かせ方なのではないのか、と。

 

一体何を言っているのだ、あたしは。

 

 

単純に、学ばされるなあということですよね、結局。

差し出される意識について、他人はやはり自らも正したくさせられるものだ、と。

そうさせられるものでありたいなあ、という憧れを以て、曲がりなりにもあたしも商売人なので、そういった意識をまずはお客さんに差し出せるように、そうしてお客さんにも気持ちのいいようなことを思いついていただける、そんな接客やお付き合いを、しっかりと差し出してゆきたいものだなあ、とやはり考えさせられたりするわけです。

 

村田沙耶香さんの「コンビニ人間」っていう小説があるのですが、ものすごく独特な世界観のお話なんですけど、その終盤、主人公が咄嗟にコンビニの棚を整えだしてしまうシーンが何度読んでも好きです。

社会的には“不完全”らしく思われがちな”自称コンビニ人間”の彼女が、天啓の如く売り場を捌くあの意識の尊さ。

あのシーンひとつで、現代の社会の構造や意識をどれほど清涼に刈り取って見せたものなのか。

作家さんて、やっぱりすごいなあ、とまざまざと感じさせられます。

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”意識高い系”という言い回しのようなものとは全く別の意味で、社会的な立場において個人レベルで積極的に差し出される”意識の高さ”って、なんとも尊いものだなあ、と近頃とみに感じさせられることが多いような気がしています。

日本という国はやっぱり、日本の人っていうのはやっぱり、丁寧なのだなあとややも自分すらそうであるかのような自慢気な気分すら思いつかされます。

 

どんな縁があってかあたし自身も商売人であることに、もっと感謝のようなことを思いつくべきであることだなあ、と柄でもないことを薄暗い中パソコンのモニターの明かりに照らされながら、一人思わされるのであります。

 

傍らでは、猫のコマさんが爆睡しております。