アラズヤ商店

日々のナマキズ

一粒万倍日と天赦日の合計で照らすサイフと空き家問題で炙る願掛け的アレコレというそれの苦手さ

本日は、“めちゃくちゃ良き日”なのだそうです。

 

“一粒万倍日” (いちりゅうまんばいび)

と、

“天赦日” (てんしゃにち、てんしゃび)

 

といって、それぞれが暦の上で“めちゃくちゃ良き日”とされる日なのだそうで、本日はそんな“めちゃくちゃ良き日”がなんと重なってしまう“ハイパーめちゃくちゃ良き日”なのだそうです。

何だかとにかく最高っぽいらしいですから、最高ってことにしてしまうタイプ、そんなやつですあたしは。

そういう、“ノリ”みたいなことってやっぱり大切だよな、と近頃とみに思うのですが、一体どうしてしまったのだろうと自分でも思うくらいにはメンタルに気合をけしかけて暮らす実にわざとらしい毎日を生きているわけではあります。

それもまた“ノリ”ということで。

 

 

新しいことを始めるとか、欲しかったものを買うとか、習いごとを始めてみるとか、何なら好きな人に告白してしまうとか、とにかく何でもやってみたら、オマケみたいに結構いい感じになってしまう感じの日ですよ、ということらしいので、努めて前向きに、案外欲張りに、大したことなくてもそれが上乗せ込みと思って不満を覚えず、つまりは生きててよかった、死んでなくてよかったくらいの大らかさ、あるいは少し馬鹿っぽいくらいの鈍感さで、そんな“ハイパーめちゃくちゃ良き日”に期待を託してみたところで誰かに迷惑を掛けるでも不快を与えるでも何でもないはずなので、託してみたらいいですよね。

それもまた“ノリ”ということで。

 

財布ボロんボロんすぎて恥ずかしいから、新しいの買おうかしら。

なんてな。

ここまでボロんボロんだと、むしろ意地になってくるけどもな。

人が好き好んで古いような汚いような家に住みたがらないのと同じように、お金も古い汚いようなお財布には入りたがらない、などと風水だったか何だかで聞いた気がするのだけれど、あたしは割と古いような、瓦葺の屋根が幾重にも重なる武家屋敷みたいのは嫌ですけど、平屋づくりで梁のあちこちからやたらと柱が下りているような結構邪魔っぽい作りの家とか、南側の縁側がガラリ戸(ガラガラって全部開いちゃうやつな)で庭先剥き出し日向ぼっこに最適みたいな家にかなり憧れがちなんですけど、それって悪趣味ってことなんですかね。

 

作り的な趣と、古い汚いは別問題ですかね、そっかそっか。

 

日本のあらゆる田舎地域で問題化しつつある空き家問題とかは、どうなんですか。

古い汚い家には暮らしたくないし、田舎地域は単純に不便だし、よほど興味や目的がなければ好き好んで移り住むでもないよな。

なんてな。

 

つまり都心部と田舎地域での人口格差、物価格差って、古くて汚いところに入りたくない“お金”っていう性質にこそ振り回されていることなのではなかろうか。

 

何言ってるんだろうか、たぶん全然違うぞ。

古くて汚いから田舎なわけではない失礼なことを言うでない。

 

 

考えが古くて汚いらしい人は、もしかしたらその人なりに存在するかもだけどな。

都会も田舎も関係なかろう、だけれどもな。

まいっか、社会派じゃないからめったなこと引っ張り出して恥かくのもアレだしな。

 

 

サイフ、買おうかなどうしようかな、と。

 

ちなみに、買ったお財布の値段の二百倍が、なぜかしらその人の年収と大体近くなる、というお話を聞いたことがあります。

ちなみにちなみに、あたしは人生半分以上自分でおサイフを買ったことがないからたぶん貧乏、ということなんだと思います。

元手ゼロ円だから、二百倍もへったくれもないのだと思います。

 

謂れが確かなのであれば、ですけど。

 

自分で自分のことを“貧乏”なんて言っちゃいかんよな。

そんなものは気持ちこそ“貧しい”ことであるよな。

なんてな。

 

 

やっぱりサイフ、買おうかしら。

でも、一万円のサイフ買っても年収二百万とか全然ワクワクしないんですけど、どうなんですか。

サイフに一万円投資するって、結構どえらいことのような気がするんですけど。

そんなケチ臭いことでは嫁は来んぞ、ということなのでしょうか。

お金を迎えるとは、嫁を迎えるような心意気あってこそということなのでしょうか。

どんなに立派な家であろうと、女の人というのはすでに出来上がった家に入ることはあまり嬉しくないのだとも大概言われがちなことなような気がするのですが、どうなのでしょうか。

 

 

 

そんなことばかり言っているのなら、もうやめちまえ。

“ハイパーめちゃくちゃ良き日”

 

 

欲を掻くやつは、その手前で誰よりも疑り深いようないやらしい根性を覗かせるものなのだ。

そいつが、あたしだ。

 

いやいや、そんなことないって何言ってるの自分。

おサイフに一万円投資することにも躊躇してしまうことを、そんなにもねちねちと卑下するものではないことであるよ。

そんな根性こそが、例えば“金運”のようなことから嫌われがちだったりするのではないのかい。

 

 

なんて、世の中ではすぐにそんなこじつけ臭いようなことをさももっともらしく言いたがりがちのような気がしないでもないのだけれど、正直もうそういうの、面倒くさいですよね個人的には。

ハッキリとまさに。

 

 

行いや心構えのようなことを正しく持ちたいのは誰しも当たり前のことと思うんですけど、それをダシに“何かいい目を寄こしてください神さま”みたいな魂胆もなんだか、アレな気がするじゃないですか、普通に。

しかもそんな望みの最たるものが、“お金”とか。

 

 

あたしも“お金”は欲しいですけど、欲しいですけどそれってたぶん“おまけ”みたいなものとしてのような気がする、というのはけっこう昔から考えていることで、どうしてもそれを“目的”のようには考えられない気がしてしまうんですよ、人生全般。

 

朝っぱらから、またキレイゴト言ってら。

なんですけど。

 

ですけど、あたしの場合めちゃくちゃ説得力のあること言うとすれば例えば、こんな朝っぱらから起きだして、こんなくだらない日記みたいなことをご立派にもブログなどとのたまって書きつけるようなことなんて、“お金”が目的と思うならするわけないじゃないですか、眠いだけじゃないですか。

傍らで、猫のコマさん爆睡してますし。

 

ならば、こんなことをしながら一体何をあたしは望んだものなのか。

 

望んだものなのかどうなのかは知らないですけれど、単純にこういう意味のないようなことをせっせとやるような面倒を受け付けられないと、これから先、いよいよ人生ってのんきに死にやすい世の中になってくるような気がするんですよ、何だか。

そもそもディズニーランドとかに行きたいとは少しも思わないようなタチなので、“お金”でどうにかなるようなことにそもそもあまり興味がない、というか“お金”で手に入るものだって欲しいものはたくさんあるんですけど、それと人生が満たされることはたぶん別のハナシだろう、ということも昔からずっと思っていることなので、やっぱり”おまけ”みたいなことにすぎないのではなかろうか、と。

 

ミニマリズム”とか、“断捨離”とか、まるで生活スタイルの如く軽薄っぽく吹聴される感じこそキレイさっぱりとムカつくんですけど、要するにマインドとしてそんな感じのことが何となくしっくりこないでもなく注目されがちな時代でもあるわけじゃないですか。

 

満たされてみた結果、案外いらないもの多いぞ。

みたいな感じなんでしょうかね。

 

でもそれってやっぱり物質的な話ではないことくらい、普通の感覚があればわかることじゃないですか。

引き出しの中に入りっぱなしのわけのわからない何かを捨てるのって、物質的なことばかりではないはずじゃないですか。

“イズム”って、そういうことじゃないですか。

 

 

世の中にはつまり“ノリ”のごとく、キッカケを“目的”らしく履き違えて面白がる有難がるようなことは少なくなくて、それは一年の始まりの初詣からそんな心持ちであることさえ否めないでもないところはあるはずで、普段は家のお仏壇にすら手も合わさないくせに、行列してでもお詣りに託したがるあやかりたがる人は少なくないわけじゃないですか。

 

まあ、人それぞれと言ってしまえばそれまでのことなんですけど、それぞれのこととして、個人的には黄色のサイフを持ちたがる感じとか、やっぱりあまり好きではないというか、欲しがり方ってそういうことじゃないでしょ、みたいなことはやっぱり思ってしまうなあということなのですけれども。

 

 

“ハイパーめちゃくちゃ良き日”に、あなたは何を始めますか。

何を期待して、願いますか。

 

あたしも欲しがりなことには違いないのでいろいろ考えたくなるんですけど、やっぱり願いこそすれ、それを理由に手に入れて嬉しいものなんて別にないなあ、なんてややも生意気なようなことにやっぱり行き着いてしまう気がするんですよね、何だか。

 

例えば言い方なりにも、“願い事は確かにあるので、どうにか自分なりの何かでそれに辿り着けますように”くらいにしか願えないというか、むしろそんなことこそを奮起するキッカケにさせてもらえるなら、何だかむしろ有難いことだよなあ、“ハイパーめちゃくちゃ良き日”ともなれば、もう何だかサイコーだよなあ、なんてことこそを思わないでもない、と。

 

 

結局のところ、こうして日記のようなことを書くくらいしか思いつけないようなので、いつも通りよりは少しだけまともに朝五時より先に目覚められて、こうしてモーニングルーティンを繋げられて、実に“ハイパーめちゃくちゃ良き日”であることだなあと受け止めるよりほかにないのでした。

 

そんなことをせめて神さま、“キレイゴト”などと言い訳などせずにいられるあたしとして、今日も一日どうかよろしくお願いしたいです。

どうかよろしく。