アラズヤ商店

日々のナマキズ

誰が為のコストパフォーマンス

 

 

昨夜は、ムスメと一緒に某食べ放題焼き肉チェーンに行ってきたのです。

 

特に理由はないのですし、理由もなく焼き肉など食べていられるほどの甲斐性こそないのですが、行きがかり上そうなってしまったので、行ってきたのでした。

 

「何食べたいの?」と聞けば、「肉が食べたい」と思いつけるのは最早“若さであることだなあ”と、誰が言ってみたところで思いついてみたところで少しも珍しくもないことを普通に思いながら、やはり行きがかりの如く道端に辿り着いた某食べ放題焼き肉チェーン店。

「ここ、友だちとよく来るから」というムスメの勧めに従って、ならばならば、といざ入店、週末土曜夜八時にもかかわらず待ち組九組といった状況にひとまず安堵、受付を済ませました。

ムスメの口から「よく行く」などと、焼き肉について語られることについてあれやこれやと思い耽りつつ、あたし自身は初めて訪れたその店の活況をしげしげと眺めておりましたわけです。

 

“飲食って、やっぱ大変よな”

 

商売人として、なかなかに気の休まらない景色の散らばり、その騒々しさに嬉々としてばかりも許されず、「みんな、肉食ってるね」などと瞬間バグったようなことを脆く口にしてムスメを露骨に引かせてしまった父の情けなさよ。

いや、あたしのことなんですけど。

 

待つこと十五分ほどで席に案内され、たまたまそんなタイミングであったとはいえ窓際の席に案内されたことに気を良くしたあたくし、「普段ちゃんと食ってないんでしょ、しっかり米食えよ」と、そこは“肉”のはずではないのかとまたしても虫食い的バグに苛まれながらいそいそと周囲の情報をかき集めることに努めていたわけなのです。

基本、気が小さいですから、初めての場所で的確な情報収集と状況判断による適切な順応に努めることは、社会生活の正常な見栄、いわんや徒な恥のかき捨ては田舎者がやらかす己知らずという地獄の面会をや、なんであります。

 

“初めて”という状況において、条件反射の如く思いつきがちな先入観のような精神的反発に、快き人間はその感度を、容認こそを曇らせてはなりません。

しかしながら、いきなり目についてしまったのはテーブルの隅、壁側に低く積まれた小皿のフチにありありとその痕跡を残す、想像するには恐らくタレの残り染みらしきイキイキとした朱色。

そして、まさにあたしの目元手元付近でてらてらとその存在を自らの油性に任せて主張するテーブルの拭き残しらしき汚れ。

そしてそして、お店でのオーダーシステムやらトングの扱いなどを親切に説明してくださった見目麗しき女性スタッフさんの左の前歯がすっぽりと抜け落ちていたことは、この際目を瞑るにしても、いささかエキセントリックな驚きであったこともこの際つけ足してしまうのだけれど、それにしても、のっけから騒々しい歓待を受けてしまったものである、といった印象は否めない状況ではあったのでした。

 

「こっちが焼用で、こっちが取り用だって」

「え、逆じゃない?」

「いや、あのお姉さんが」

「言ってた?」

「言ってた」

「そう」

「そう」

「キレイな人だったけど……」

「……うん」

 

一先ず本音のような心の主語が失われた会話とともに、たまの焼き肉は始まったのでした。

 

 

回転すしでありがちなタッチパネル式のオーダーシステム。

テーブル内で共通のコースオーダー。

時間制限。

どれをとっても、これといって抵抗を思いつくものではなく、むしろスムーズなほどのそのシステムには、”さっさと食べられる”といったやはり回転すし屋系のカジュアルな安堵を思いつかされたものです。

何しろ、焼き肉でありながら、一人単価¥2,980とすでに決定されているという安堵こそが喜ばしく、頼もしいことではありませんか。

「ちゃんと食えよ」

と、そこには最早悠然として失われた主語の抜け殻ばかりがオーダー前の早る気持ちを遊ばせ、“さあ、食うぞ”と個人的にはわりと好きではない感じの意気込みこそを急がせるのでした。

 

「ドリンクのカルピスとウーロン茶になります」

 

何よりも先にドリンクが到着。

そして、カルピスを自らの手元に寄せたムスメの口から「うお」というくぐもったつぶやきが。

 

「どうした」

「いや」

「なんだ」

「イヤ、ぐら、グラスが……」

 

さぞかし忙しいことなんであろう、などと理解を思いつきたがってしまうものなのです、小心者というものは。

しかしながらここは、たまの焼き肉。

気持ちよくいただきたいではないかと、こいつはなかなかによからんことであるよ、と店員さんをお呼びたて致しましょうかと珍しくこのあたくしが思い至ったその瞬間に、ムスメの口からまたしても。

 

「イヤ、ちょっと韓国海苔らしきものが付いていただけだから……」

 

ウェットティッシュでいそいそとその疑わしきを拭きとって、「ストロー使えばいいかな」などとことを穏便に追いやりたがる目の前のムスメはやはり、あたしのムスメなのでありました。

ウーロン茶を、ややも飲みあぐねたことは言うまでもなく。

 

「牛カルビのタレでございます」

「タン塩でございます」

「鳥モモの塩でございます」

 

矢継ぎ早、とはややも言い難い時間差において楚々ともてなされる各種生肉の小皿。

その様相を見るにつけ、小心者親子はまたしても独り言の如く、しかしながらその発言は他の誰でもなく互いに向けて発信されていることを了解しつつ交わされたのでした。

 

「これ、何人前?」

「ふ、ふたり? ににんまえ、かな」

「だっけ」

「こりゃあ、ラチがあかんぞ」

 

“友だちとよく来る”のではなかったのか、ムスメ。

あえてそんな発言は飲み込んで、目の前にある食べ応えのなさそうなその消極的な現実の在り方に、理解を傾けることに努めたのでした。

恐らくはこの状況における“ラチがあかんぞ”とは、誤用に違いない、といった疑念もかなぐり捨てての努めであったことは言うまでもありません。

 

その後は、ひたすらにこちらの想像を的確に下回るもてなしに都度無言の了解をムスメと交わしつつ、粛々と食を進めつつ、その理解はもはや“社会学”へと進化する、よもやの展開に至ったのであります。

 

「こいつは、資本主義という名の地獄ぞ。ここは、地獄ぞ」

「う、うん」

「スタッフの皆さんは、誰一人悪くない」

「うん。悪くない」

「忙しく励んでいらっしゃる」

「忙しそうだもんね」

「誰がそんな皆さんを呼びつけて、あるいは無言の圧力を飛ばすとか、そんな態度に出られたものだろうか。思いつけたものだろうか」

「いや、そんなこと出来ないよね。人として、アレだよね」

「ならば、真の悪者は誰だ」

「えっと、うーん……」

「この悉く繰り広げられるせせこましいばかりのコスト最優先思考まる出しのもてなしを是としたがる者は誰か」

「え、……っと。……し、社長?」

 

これが父とムスメによるたまの焼き肉における会話であろうか。

つまり、全然楽しくないんである。

それどころか、何を食べても食べた気こそしないんである。

”ラチがあかん”とは恐らく、“食った気しねえ”のことで、ラチがあかんのは供されるものではなく、あたしたち親子の食欲のことなんでありました。

 

「もっとゴリゴリとオーダーせんとな」

「そうだね」

 

そんなつぶやきは所詮心ばかりのモノで、ちびちびと食べ進む食事というものは、咀嚼回数で食欲を欺くダイエッターの苦悩の如く、空の胃袋をストレスが粛々と埋める、というおっちょこちょいみたいな満腹を思いつかせるばかりなのでありました。

 

「なんか、もう腹いっぱい」

 

そんなアホな。

言いながら、あたしは思ったものでした。

 

「まだ時間あるよ。オーダーすれば?」

「うん。する」

 

若さであることだな、とあたしはムスメを頼もしく思ったのです。

“友だちとよく来る”

友だちとなら、この状況すらもそんなものと平と受け止め、じゃかじゃかと食い荒らすものなのであろうなあ、楽しげであることなのだろうなあと、自ら手に入れた金銭によって肉で腹を満たす、そんな生き物にいつのまにやら成長した我がムスメと、知らないでもないその顔つきを思いつかせる友だち諸君の成長すらも、あたしは何だか逞しく、誇らしく、何よりもうらやましく想像させられたのでした。

 

ジジイか、と。

 

 

食べた気がしない焼き肉食べ放題、お二人様¥7,000弱。

そうして今朝、あたしの胃袋はひっくり返ったのでした。

こんな日記など書いていないで、早く朝ご飯が食べたい。

そんな朝です。

 

 

そんな朝において、やはりあたしは頑なに思うのでありました。

 

楽しかったね、ムスメ。

また行こうね、焼き肉。

あのお店に行くかどうかはまた、検討の後。

 

 

そして、あたしは孤独な朝にやはり、思うのでありました。

真の悪者は、あたしたちではないのかと。

食べ放題、それを喜びたがるあたしたち自身が嬉々として受け入れたがる、そうして資本主義に飼い慣らされてしまったような何か。

あたしたちの“正体”のようなものが思いつかせる、ひた走らせる“何か”ということ。

 

あたしたち親子は、焼き肉を食べたかっただけなのです。

ただそれだけのつもりだったのに、あたしたち親子がその目的として縋ったものはもしかしたら、“資本主義”が狡猾に思いつかせるコストパフォーマンスという皿のシミ、つまりは、望まずして許されたがるケチ臭い喜び。

 

お肉が食べたかったのではなかったのか。

お得に食べたかっただけなのか。

 

 

いえ、清潔に美味しくお肉をいただいて、楽しい時間を過ごしたかったのです。

 

 

やはりそろそろ、あたしたちは正確に誓わなければいけない時期に来ている気がするのです。

“お肉が食べたい”

そのシンプルな期待や楽しみについて、もっと素直な“価値”を思いつくこと。

その“価値”に対して、正当な対価を払うことを惜しまないこと。

 

どうしてそんな簡単なことを誤魔化したがってしまうのか。

もてなされることを良しとして、つい甘えたくなってしまう。

だって、お金ないんだもん。

という資本主義に懐柔される優しく濁された経済。

 

いやいや何をわけのわからないことを。

 

 

ちゃんと働いて、食べたいお肉を惜しまず食べよう。

楽しもう。

 

そんな気持ちこそを惜しみさえしなければ、誤魔化さなければこの先の人生は、世の中はきっと豊かなものになるはず。

そんな当たり前のようなことを、昨夜から寝床でぐつぐつと思いあぐねてたどり着いた平たい境地なのでありました。

 

良き学びであった。

なあ、ムスメよ。

 

これもひとときと、ちゃんと経験として有難く楽しんで刻んでいこうよな、と。

 

また、焼き肉が食べたい気持ちには変わりないのですから、頑張ろうかと。