アラズヤ商店

日々のナマキズ

雪曇りによる支離滅裂

“大雪警報”と昨日の夕方辺りにネットニュースで知って、身構えていました。

あたしが暮らす地域は田舎なので、地域各所に設置されたスピーカーから“広報○○”という連絡放送が必要に応じて行われる風習があって、しかもそれは風向きによって聞き取りづらかったり、エフェクタートレモロがぶっ壊れたくらいの遅さで木霊してまったく何を言っているのかわからないような調子であることも少なくないようなクオリティーのものなんですけど、そんな“広報○○”もネットニュースから遅れること一時間、“大雪警報が発令されました。積雪に伴うスリップや凍結などに……”と地域住民に向けてまったく聞き取りづらい注意を促す、というかつて空襲警報に怯えた日本国民らしく遺伝子レベルで思いつかされるらしいややも物々しい雰囲気にこそ意識を傾けつつ、“大雪”という久々に耳にするワードに気も心も構えさせていたわけなのでした。

 

何しろ、雪がキライなもので。

 

 

昨日は一日、ずっと家に引きこもって過ごしてしまった。

プラスチックごみの回収日だったので、家の分とお店の分、二袋をゴミ置き場にポイポイと置きやって、そそくさと玄関のドアを閉めたきり、一日を引きこもって過ごしてしまいました。

仏壇の掃除は毎日のモーニングルーティンなので欠かさず、猫のエサ金魚のエサはモーニングルーティンではなく単純に生物の命を繋ぐ行為なので欠かさず、自分の朝食もまた然りで欠かさず、納豆こそ欠かさず、納豆は匂うので食事が済んだらダルいなりにも食器類をさっさと片して、また寝てしまいました。

 

再び目を覚ましてみると、13時過ぎでした。

我ながらよく眠るおっさんであります。

 

そんな時点のおいても、空の様子は朝から少しも変わり映えなく、どんよりと薄曇り。

つまらん。

それは、“もう今日は一切何もせんぞ”とあたしに決意させるには十分な空模様で、そんな空模様一つで十分なくらいには、そもそも何もする気がなかったということなんでありました。

その後、少しYoutubeを眺めつつ寝落ちして二時間ほど眠り、起き抜けにうどんをすすりつつ読みかけだった今村夏子さんの『こちらあみ子』を読みました。

軽薄な“読書熱”のようなものが相変わらず続いております。

 

ちなみに、コロナウイルスに感染して発熱している人は、人里離れたところでひたすら眠って過ごすのがよろしいのだそうです。

まじですか。

”天然のウイルスでないらしい説”によりますと、つまり人工ウイルスというものは天然のウイルスに対して脆弱な性質にあるそうなのです。

つまり、陰圧治療室などに隔離して対処するのはむしろ、“コロナウイルス様、スイートルームへようこそ”みたいな歓待にも似た行為と言えなくもない、といったややもマッドな説もあるようなことを軽々しく書き辛うあたし自身も所詮社会性マッドですよね。

どうもすみません。

発生源である武漢にはかねてよりBSL4の実験施設がある、なんてそんな事実を知らされると、まったく真に受けて“バイオハザード”なり“アウトブレイク”のようなことを想像したくさせられてしまうのは近年のエンターテイメントに毒された所詮“対岸の火事”とでもいうべき意識レベルの低さでしょうか。

 

インターネットって、難しいですよね。

情報のアウトブレイクですよね、馬鹿が扱い損ねればそれこそ。

あたしみたいなすっとこどっこいにこそ。

 

 

そんなすっとこどっこいにこそあって然るべき感性の安息こそが、読書。

 

馬鹿こそ努めて本を読め。

 

それは誰に対するものでもなく自分ばかりのために生涯を通じて口酸っぱく罵り続けてきたせめてもの自戒であり、その実行であり、いつの間にかそんなに苦手でもなくなったあたしという“低能ウイルス”への積極的対処療法。

 

本を読んでいると、そのときばかりでも何だか少しだけまともな人になったような気になれるのは、かなり安上がりなエンターテイメント体験には違いないはずなので、よろしければ皆さんもいかがですか。

Youtubeばかりみていると、あたしみたいになってしまいますよ。

おススメ動画にスピ系のヘンな動画ばかりが寄り集まるへんなホーム画面こしらえちゃえますよ、お気を付けください。

 

とりあえず、今村夏子さん。

尋常じゃないです。

キャラクターにははっきりと“妙な”背景があるのに、それについて何一つはっきりとは言及しないまま、物語の根本としてちゃんと成立させながら読ませる圧倒的な造形にため息が漏れます。

共に収録された『ピクニック』、『チズさん』も文章の温度のようなものが今村さんらしくてひたすらに読み心地がいいです。

この人が生み出す物語の世界に暮らすキャラクターたちは、どこか共通してノスタルジックな気配を纏っているような感触で、それは単純に“人間らしさ”というつまりは“物語らしさ”を作用させる何よりの特性のように個人的に思わされていて、実際には世の中にこんなにもささいな情感をいきいきと纏いながら暮らす人々などそうはいなかろう、とすら思わされる体温なのか皮膚感覚のようなものをいちいち感じさせられて、“らしい”といういい意味での“作りもの感”という物語への上品なエスコートに誘われるまま、まんまと楽しまされてしまうのです。

『こちらあみ子』の、忘れられてしまう同級生の男の子や、 『ピクニック』のルミさん、生意気な新人の子、あたりのパーツ的に存在しながらまったく手抜きを感じさせない“らしさ”のような感触が必要以上に背景の如く物語に加担していて、あるいはそう感じさせられるのは読者として勝手に思いつく思い入れのようなことに違いないとすら思うのだけれど、単純に“すごいなあ”なんて所詮馬鹿みたいな言い方しか思いつけない自分がまじで悲しいです。

そんな言い方しか思いつきようもないような、書き手として拾い上げたくなるらしいフックの鋭さ、その感覚や目線に独特な観察と筆力を感じさせられる作品でした。

 

もし映画化するとしたら、『こちらあみ子』と『チズさん』は何となく是枝裕和監督的、『ピクニック』は松尾スズキ監督的、なんて勝手にイメージしてしまうんですけど、どうなんですかね。

 

 

 

“大雪警報”はどうやら免れたのでしょうか。

空の様子は相変わらずどんよりと、浮かない感じであります。

急に馬鹿みたいな読書感想文とか、あたしのアタマの中も朝っぱらから浮かない感じです。

 

朝ご飯を作ろう。

猫が腹を空かせてうるさい。