アラズヤ商店

日々のナマキズ

当たり前になって、意外に作用するなんて素敵だ。

まったく驚いてしまう。

 

世の中の人々は、案外早起きらしいのです。

 

あたしも近頃は朝五時に起きることを目標にして、何とかこうして日記のようなことをしたためることをモーニングルーティンにして過ごしているわけなのですが、そんなことをいちいち自らに仕掛けるにはそれなりの、努力とまでは言わないまでの心掛けのような、戒めとまでは言わないまでの規律的な何かを自分に設けたいといった意識もなくはない、といった我ながらなかなかに意識高めの心掛けがさせることには違いないのだけれど、所詮眠いものは眠い。

いや、意識高いなんてことこそないない。

ただ言ってみたかっただけです、すみませんでした。

 

 

 

そんなあたしのような言い訳がましい早起きとはまったく違うガチな態度において早起きをされる方からLINEの通知が届く朝の五時。

実に、世の中はアクティブなのであります。

もちろん、あたしも眠いながらもすでに起きていますから、むしろ積極的に返信させていただくわけです。

何なら、即レスの方が面白いだろう、くらいの心意気ですぐさまメッセージを返信します。

 

 

電話を連絡手段として活用しなくなってから久しいです。

世間的にもその流れはかなり顕著になりつつあると思うのですが、そんな中にあってもウチのお店の“電話離れ”はかなり早かったと思っています。

何しろ電話というものは、コールされれば否応なしに対応しなければならない、というある意味暴力的な都合の側面があって、あたしみたいな一人で全てを賄うような働き向きの人間にはとってはことさらに暴力的な、仕事の能率や流れこそを暴力的に損なう性質をもつ連絡手段で、随分前から嫌気がさしていたのです。

しかも、何よりも苦痛だったのが様々な業者によるテレアポの頻度。

“電話なんて、もういらねえ”という判断には、それほど戸惑いはありませんでした。

 

 

今こそ広い年齢層にスマートフォンが行き渡って、パソコンにも触れたことがないようなおじいちゃん、おばあちゃん世代の方でも多くの方がLINEを連絡手段として用いることが出来るようになりましたが、三年くらい前はまだまだそうもいかず苦労したことを覚えています。

LINE のアカウントが原因不明のままログイン出来なくなり、顧客データがゼロになったこともありました。

アカウントは生きているのにログイン出来ないというわけのわからない状態でしたから、多くのお客様に“シカトしていやがる”といった誤解を振りまき、広く信用を失墜させたものでした。

あのときは参りました。

思い返すと、あの時期は呪われているとしか思えないようなことが頻発していました。

未だに意味がわかりません。

 

 

即時対応が求められなくなって、連絡手段としてむしろいろんな意味で自由度が上がった気がしています。

電話が連絡手段としてメインだったころは、予約対応も営業時間内に限られているのが当たり前だったのですから、今となってはむしろ不思議な感覚ですらあります。

仕事とプライベートの棲み分けが効かない、といった困惑は職業柄にもよることだとは思うのですが、幸いにもあたしのような職業にはほぼネガティブな影響はありません。

テレワーク、リモートワークといった概念が広まりつつある中、あたしたちの職業は相変わらず営業許可を持つ店舗内での業務を義務付けられていますから、実働は営業時間内に限られるという性質に助けられています。

あたしはそれほど働き者でもないので、居ながらにして仕事が出来る、といった際限のなさにはあまり惹かれないので、ある意味古い価値観とも言えなくもなさそうです。

 

 

朝の五時にLINEのメッセージが届くことに迷惑を感じる世の中では、とっくにないのだといよいよ感じさせられるわけです。

むしろ、即時対応を求められない緩やかさだからこそ乗り越えられる距離というものもある気がしていて、それは案外気遣いもなく、わりとただの都合に傾いたハナシですらあるのかもしれないですが、そんなことが個人的には昔返りするような心地よさとすら思えなくもない気がしていて、つまり、悪くないなと。

電話という当たり前に存在していたはずのインフラが徐々に衰退して、それにとって代わったメッセージアプリ、スマートフォンという新しいデバイスがむしろ懐かしさを思い出させるというのもおかしなハナシですが、やはり何だか、かつての電話とはまた違う感触があるような気がしているのです。

 

個別の番号やアカウントを交換して成り立つという意味では、電話もLINEも違いはないはずなのですが、テキストベースのLINEの方がよりパーソナルな関係の下に成り立っている気がしないでもないのは、あるいはかつて手紙をやり取りした感覚と似ているからなのかもしれません。

好きな子と面と向かって話すのも、電話越しに言葉を交わすこともそれはそれでうれしかったですけど、プレゼントだとか、たまの機会にもらう手紙から伝わる情報量というものは確かに特別なものを感じさせられていたことは確かで、つまり文章という適度な制限や手間が偶然の如くもたらしてくれるらしい視覚的な情報というものはある意味とても人間臭く、その人の人隣りをよく表してくれるものらしく親近感のようなものをより豊かに演出してくれるもののような気がするんですね。

喋ることは簡単ですが、それをあえて文章に起こすということは案外手間やコツや気遣いのようなものが必要になってくるので、苦手な人は苦手かもしれないし、だからこそ現れるお人柄というものは情報量としてむしろ優れたものとすら感じさせられなくもありません。

 

そんなものが、もはや一日の中の時間帯を問わずやり取り出来て当たり前という感覚であることは、もはや感覚的には“お友達”のような意識に近く、そうであれば尚更のこと朝の早い時間にやってくるメッセージにこそ努めて即事態対応したくなるようなパーソナルな動機すら紐図いてくるような気がしなくもないわけで、何だか楽しいなあ、と。

 

 

あたしはただのモーニングルーティンとして早起きをしているだけですが、朝早くからメッセージを下さる方は大体出勤途中のタイミングだったりすることが普通です。

単純に“すげえな、こんなに朝早くからお仕事に向かうのかよ”と感心しきりで、予約のやり取りのみに収まらず“いってらっしゃいませ”の一言とくだらないような少しふざけた顔文字の一つも付け足したくなるというものなのです。

気分はもはや、レレレのおじさんです。

“おぉ出掛ぁけでぇすかぁ~”

なんて、道端に立ついつものやり取りのような、つまりはやはりどこか懐かしいようなコミュニケーションの感覚、昔返りするようなこなれたコミュニケーションを思いつかされないでもないわけでつまりやはり、悪くねえな、と。

 

 

利便性や合理性のようなことばかりを“価値”のごとく追求することは、ときとして味気ないような気分を思いつかされがちなところもあるのですが、そうしたものがどういった形で世間の人たちに浸透していくのか、ということは案外見通せない部分は少なくもない気がして、効率的である中にも必然的に作用してしまう“人間臭さ”のようなことはちゃんと存在するものなのかもしれないなあと思うと、これからの様々な分野の進歩について、徒に構えたり偏見ばかりを思いつきたがるのも何だかつまらないことではあるよなあ、と個人的には思わされないでもありません。

 

 

これからの時代の速度はいよいよ尋常ではなく、努めて反応していかないと容易に取り残されてしまいそうな予感こそすごいですけれど、せめてあたしみたいな古臭いような馬鹿でも、新しいものを見かけた瞬間に“おや?”と少しでも興味を思いつけるのか、あるいは“ええ~?”と怪訝に疑って掛かるばかりであるのか、その違いだけでも時代に追従するレスポンスというものは差がついてくるものなのではないのか、なんてことも思わないでもありません。

 

 

すっかり浸透した“新しいもの”に思いつかされる“懐かしさ”

 

という満更でもないようなことを思わされつつ、即時対応できる早起きのすばらしさよ、というオチに何とか辿り着きました。

今朝もルーティンの一つを無事完了。

よかったです。