アラズヤ商店

日々のナマキズ

Youtube見すぎる価値

 

近頃はテレビを見ることが本当に少なくなってきて、少なくなってきたどころか、まず点けないのが普通の暮らしになってしまったらしく、近頃ウチのテレビがテレビらしく働いたのは、ムスメが正月でウチに帰ってきていたときのみで、正月が終わると同時にウチのテレビもひとときの仕事を終えて、再びむっつりと黒く黙り込んでいます。

年末年始、お仕事に励まれた皆様と同じく、ウチのテレビも年末年始を忙しく働いておりました。

つまり逆さま組。

皆さまのおかげさまで楽しい年末年始が無事にありました。

誠にありがとうございました。

ウチのテレビもまた然り。

 

 

もう一月も終わるというのに、今頃そんなことを言っているのはつまり、まるきり見なくなってしまったテレビに入れ替わってYoutubeを見る機会が爆増している、ということを言いたかった枕詞的配置でありました。

まことに回りくどい。

 

依然にも申しました通り、あたしはYoutubeに取っつくのが結構早かった世代ではあるはず、という自己認識でいるはいるのですが、確かにその当時は日本語のコンテンツなんて今とはまるきり比較にならないほど少なくて、今よりは些かモダンな印象の、いかにも外国情緒とややもアングラな違法感漂う未開のコンテンツという印象であったのです。

その後の爆発的普及はみなさんもご存じのところなのですけれども、なぜかあたしはそんな段階においてピタリと、Youtubeには触れなくなってしまった時期がありまして、それはつまりヒカキンさんとか、とか、あとはあまりよくわからないんですけど、つまりそのくらい見なかったということで、いわゆる“Youtuber"と言われる方々が台頭し始めた頃と時期を同じくして、蛇がスルスルと脱皮をするが如く離脱してしまったのです。

奇しくもYuotubeが“お子様コンテンツ”などと揶揄され始め、そうして一時期離脱された視聴者の方は案外少なくなかったのではないか、と個人的には思わないでもないのですが、いかがなものでしょうか。

 

確かに世の中からの需要もあったからこそとはいえ、一時期Youtubeに溢れたいわゆる“やってみた系”のパフォーマンス動画、それも加速度的に過激化する馬鹿っぽさは視聴者の目を食傷ならぬ視傷(そんな言葉があるかどうかは別として)させたことは想像に難くないのだし、ある意味そんな有り様に理解を思いつくのであれば、何の分野でも黎明期にはとかくインパクトが求められがちであることは必然で、例えばあたしらの業界なんかでもカラーとか、一般に広く普及した歴史はまだここ二十五年、三十年くらいと意外に浅くて、細かいことを言いだせばもっと古くからあるのだけれど、いわゆるファションカラーという認識において日常的に受け入れられたのはやはりその程度の歴史、ということなんですけれど、その黎明期においてはやはりどぎつい赤とか青とか緑とか、まるきりの原色みたいな色を人間の髪色として表出来るというそのインパクトだけでもその価値は十分で、世間に向けて衝撃的でアヴァンギャルドで最先端だったんですよね。

デヴィッド・ボウイとか忌野清志郎さんとか、カルチャークラブ、シンディーローパー、マドンナ、かつてのニューウェイブ、ニューミュージックの先駆けと言われる人たちはこぞって白々と脱色した髪に好き好きの原色を纏って、ステージやグラビアを飾ったわけです。

それから様々な変遷や洗練を受けて、今はさりげないグレートーンの艶髪とかシルバーヘア、グラデーションやウィービングによるマルチカラーなんてことまで、バリエーション豊かな表現が考案されているわけで、そんな感じそのままにYoutubeというメディアにあってもさまざまな日本語のコンテンツが溢れて、多彩なアイデアで様々なコンテンツを提供するYoutuberが激増して、やがて再びあたしもその世界にずるずると引き戻されてしまった、というわけなのです。

テレビがあまり面白いと感じられなくなってしまったせいなのか、Youtubeがメディアとしていよいよ成熟しつつあるからなのかはわかりませんが、恐らくはその両方であることには違いなく、どうせ今日も朝ご飯の納豆と味噌汁とともに、Youtubeの何かしらのコンテンツを漁ってしまうことには違いないのです。

 

コロナウイルスの話題ひとつとっても、テレビのニュースやワイドショーで懇切丁寧に知らされる情報と、Youtubeをはじめネットにおける様々なメディアで個人的に精査する情報、その需要や根拠となりうるらしい理解のウェイトというのは個人レベルでも明らかに変化してきている気がするのだし、むしろテレビで流れる情報がすでに個人レベルでもネットで取得済みの既知情報だったりすることはもはや少しも珍しくなかったりするわけです。

口の悪い言い方をすればつまり、“テレビって、だりぃよな”なんて気が全くないと言ってしまえば嘘になる、ということなのかもしれなく……。

 

 

ただ、そんなことをあたしなんかは例えば商売人として、いよいよ世間に広く蔓延する“インターネット”という情報あるいはその理解、という有り様について、すべてを便利で素晴らしいなどと快く受け入れるばかりのモノかと言えば決してそんなつもりではなく、むしろその弊害とすら言えなくもない世間のまるきりせっかちのような“価値観の変容ぶり”とか、“損得勘定至上主義”みたいな無邪気すぎる進化、などと言えなくもなさそうなその情勢にはむしろ何だか、ものすごく面倒な気分を思いつかされないでもないでいる、のようなことはかねてよりずっと、感じ悪く言い続けていることではあったりします。

言っても仕方のないことであることを、遅まきながらようやく理解し始めたらしいあたしなりに、積極的にそういったことには触れないことにするところなのですが。

 

 

近頃のYoutubeを見ていよいよ思わされるのは、世間にはこんなにも自分の好きなものや趣味にハマりまくっている人が、熱心な性分の人がいるのだなあということで、ただひたすらに感心させられるばかりなのであります。

機械を弄ることに長けた人や、情報に長けた人、占い、料理、DIY吹き出しのワードセンスや単純におしゃべりの能力にずば抜けた人、あらゆる分野に恐ろしいほどの能力をまざまざと発揮している人がごりごりに存在している今のYoutubeは、本当に面白いですよね。

そんなまさに成熟期に向かわんとするYoutubeにおいて、Youtuberとして収益を出している人は全体上位のたった3%に過ぎない、なんていう恐ろしい統計もあるらしいんですけど、本当なんですかね。

しかもその“収益”のカウントライン、月あたり収益¥1,000らしいですよ。

もうはっきりと意味わからないレベルの話ですよね完全に。

そんな驚愕の背景にありながら、様々な人々があのレベルのコンテンツを個人レベルで配信して何万人というファンを集めているという現実。

テレビ、堪ったものではないですよね。

もはや脅威ですよね。

これからはテレビ制作のプロたちが次々とYoutubeなどの動画コンテンツに参入して、プロならではのノウハウとクオリティで素人をバキボキと駆逐していく、なんて見通しもあるそうなんですけど、まあ、時代の変化って、進化って本当にすごいですよね、まじで恐ろしいです。

いや、有難いです(態度)

何だかちょっとズルくね? なんて気もしなくもないですが(石頭)

素人がんばれっ、負けるなっ(感謝と本音)

 

 

ウチのお客さんでも、例えばまだ高校生なのにほとんど異常なレベルでクルマについて詳しい男の子とかいるんですけど、やっぱりそういうのってやっぱり性分らしく気配が違うんですよね。

ヘンな言い方かもしれないんですけど、もうほとんど本能で遊んでるみたいな気配がすごいんです、その彼なんかも。

ただ好きなだけ、好きでしょうがない、っていう興味がうずうずしちゃってジッとしてられない、らしく漏れ出す気配がすごい。

ほとんど可愛らしいくらいなんですよね、見ていて。

羨ましくなる、という感情の中でもかなり、上等な部類の魅力なんだと常々思わされるわけなんです。

 

あたしにはそういうもん、ないのか?

なんて、やはり考えたくなるじゃないですか。

考えたくなるんですけど、でもそんなに考えなくてもすぐわかるんですよ、当たり前なんですけど。

 

そんなもん、ねえ。

 

悲しいほどはっきりと。

いろんなことに手を出してきましたけど、これでも。

でも所詮、“そんなもん、ねえ。”です。

はっきりと。

 

わりとずっと引きずっているものがせめて読書と音楽のような気がするんですけど、それだって人に余分に語れるほどのモノは持ち合わせていないことくらい知っているので、なんだかなあ、という気しかしないですし。

近頃思いついたのは手相なんですけど、大体わかった気がしたら、何だか自分で思う手相という意識と、世間が求めるらしい手相という意識が案外すれ違っているらしいことに気が付いてきて、近頃はちょっとやはり、なんだかなあ、みたいな感じになっていたりします。

 

 

ただ、そういったわりと自分がこだわりたがることの、つまりは何だか惹かれる興味のようなことを掘り下げてみて近頃思ったのは、あたしはわりと“人生フェチ”みたいなところがあって、嘘臭い言い方をすると“その人の生きざま”なんて、高倉健さんかっ、みたいなことを言いだしてしまうんですけどつまり、年を取ってきたということに過ぎないとは理解しながらそれにしても、それにしてもやはり読書にしても音楽にしても、それに携わる人がそれを生みだす人として成り立つためのその“生きざま”のようなこと、あるいは“人となり”のようなにものすごく興味が働く性分で、例えば読書となればやはり作家さん推し読書があまりにも顕著で、その作家さんばかり、その作家さんの言葉ばかりに憧れてその執着がもはやキモい、くらいのところがあって、つまりはどうしたらそんなことを思いつける人間になれるのだろう? といった事情こそが興味深くて、つまりその人の生い立ちなり性分ない生きざまのようなことが、つまりは以上にクルマについて詳しい彼もはっきりとその部類の道を歩んでいるように見える、ということなんですけど、なるべくしてなる人の姿というものは、実に美しいものだなあ、という感触に惹かれる瞬間が大好き、という何なんだこの着地。

 

 

もう人生も半ばを過ぎて、まさに今さらということには違いないんですけど、今さらだからこそらしく何だか“生き方”のようなことが殊更に気になってくるお年頃らしく。

それは何かを仕出かしたがるような思い詰め方とは少し別の、例えばこの先の自分がどんな風でありたいか、のようなつまりは日常の延長線上にある話しで、それはだれもが生きていればそうには違いない話なんですけど、それを以下に意識的に生きるのか、生きられるのか、みたいなことが生意気にも身の程知らずなりにもとても気になるわけで、実はかなり鬱陶しがられながらも変わり者らしく見られがちでありながらも、近頃は惜しまずさらけ出すことを心掛けて毎日を過ごすように心掛けていたりします。

 

それは商売にも言えることで、これまでにしてこなかったようなこと、良かれとして遠慮をして控えてきたようなことを、近頃はあえて積極的に持ち出して、嫌がられたならそれならそれでハナシはええや、くらいのつもりで、むしろ良かれとして提案できることはゴリゴリと提案して鬱陶しがられていたりします。

そうして上手くいくなりダメになるなり、といった結果にちゃんと出逢わないとやはりダメだろう、と何となく思ってしまうからです。

 

 

ウチのお客さんは、とくに男性のお客さんはズボラというわけではないけれど、マメにおしゃれに気を遣う人が案外少ないので、まずはその辺の意識改革から、ということでかなり図々しくスタイルの提案をしています。

さっさとスタイルチェンジをして、必要なスタイリングとスタイリング剤の使い方のレクチャー、それに便乗して店販商品売りつけるとかそういった阿漕なことは一切せずに、それどころかウチで使うスタイリング剤はそこらのドラッグストアで普通に買えるものに徐々に切り替えていて、ちゃんとおススメしてウチジじゃなくてもいつでもそこら辺で買えるから帰りにでも買っていきなよ、それのが安いし、サロン商品なんて無駄に高くて馬鹿っぽいでしょ、ウチも在庫負担とか面倒くさいからウィンウィンでしょ、なんて嘯いたりしています。

 

要するに、正解も不正解も何だかどうでもいい気がしてきているというか、あたしは商売人なんですけど、一体何を売りたいのか、ということが近頃ようやくわかり始めてきている気がしていて、それが世間的に正解だったり不正解だったりすることなんて、全然関係ないな、とかなり実感こめて思い始めている感じでいるんです。

 

それってもしかしたら、月あたり収益¥1,000で見積もっても上位3%としか食いこめないYoutubeという世界で、自分ばかりでもっぱら夢中になれるコンテンツを熱心に配信している人たちと、マインドという意味ではそれほど違ったものでもないという価値観が思わせること、行動させることには違いない気がしていて、それはもちろんあたしばかりの勝手な理解には過ぎないんですけど、せめて思うのはこれまでの世の中で当然のように思われていたこと、偉くならなきゃいけない、儲からなきゃいけない、結果を出さなけれないけない、といった脅迫であったり他人を蔑すむための恰好のエサにすらなり得る羨望のような価値観から軽々と離れた、とても自己充実度、実現度の高いシンプルな欲求とかマインドのような気がして、それは希少でも崇高でも何でもない、これまでの歴史から醸成されただけの今の時代という普通の正常な価値観でしかないような気こそするわけで、つまりは素直にそれに従うことこそが、“人生フェチ”らしいあたしなりの判断ではあることだなあ、といった確たる心境になりつつあるわけです。

文脈大丈夫だろうか。

長文過ぎて読み返すのもダルいし。

そんなもん、誰が読むかよだし。

 

 

おっさんを格好良くする、を目下のウチのアクションとして励んでおります。

 

そのためにはまず、あたし自身が格好良くならなければ、ということをおこがましくも日々心掛けているわけなのであります。

 

一緒に格好いいおっさんになりましょう。

まずは見た目から、という触れ込みをナメてかかるやつは、百パーきったないおっさんになるだけです。

まじなハナシです。

 

今日も頑張ろう。