アラズヤ商店

日々のナマキズ

進化するロジックに根付く”心意気”という進化

 

あたしはこうして毎日屁理屈のようなことばかりを書きなぐるわりには所詮ただのポンコツで、商売にしても文章にしてもロジックのようなものは欠片もありません。

 

そのくせNews Picksとか割と好きで、The Updateなんか毎週欠かさず観ますし、論客が何気なく用いる横文字をスマホでググりながら何となくわかったような所詮わからないような気分で、“何でこの人たちって、こんなにアタマいいんだろ?”なんて、所詮そんなことくらいしか考えられないだけのアカデミックかぶれな時間をついついだらしなく垂れ流しがちだったりします。

垂れ流しがち、と言っても何も下水を汚したり良からぬ噂を吹聴するといった反社会的と言えなくもないような魂胆など持ち合わせようもないものではありますから(日本語)、比較的人畜無害な、単純にごく個人的な知識詐欺的愉悦とでもいったところではありまして、それにしても知らないよりはマシ、訊いたことないよりはマシ、といった程度のひ弱さに留まりがちな理解で気取る知的冒険などというものは、所詮薄っぺらい一般常識に鼻持ちならない受け売り知識を添加してだけの胡散臭さこそ甚だしいものでありますよね、といった軽はずみのような有り様であることにこそ努めて自覚的であることよ、ということでありまして。

 

テレビのバラエティや情報番組、ニュースなどのいちいちが、つまりはやはり“テレビ”というメディアそのものが近頃はいよいよ何となくしっくりと来なくなってきて、その結果、そういったアホ臭い見栄臭いような個人的知識欲というか、安っぽい社会派気取りのような姿勢がむくむくと顔を出すならそれはそれで悪くもなかろうと、これでも努めるわけです、アカデミックなロジックをアンダスタンすることに。

 

とりあえずそんなものにでも触れなければ恐らく、“D2C"だの“C2M"などといった概念はおろか、その名すらも耳にも目にもすることはなかろうというものなのだけれど、生憎その程度のこと、らしく知るだけなら知れてしまうのが昨今のメディアの充実度、という敷居の低さもしくはカジュアルさ、とでもいったところなのかもしれなくて、やはりネット社会、素晴らしいぜ、とたとえ誤解であっても思わされないでもなく。

 

 

これでも商売人の端くれですから、ロジックなどといった大層なことではなくともそれにしても最低限時代の流れを意識したビジネススタンスと言いますか、そんな面倒そうな屁理屈はさておきそれにしても旧態依然のまま、ビジネスと個人商店では別のハナシなどと高を括りながら所詮面倒くさがりなだけのような相変わらずな価値観に留まりたがるような姿勢も一先ずは退屈には違いなかろうと、個人的にはわからないなりにも知るだけは知ろうといった姿勢をいちいち否定したがるつもりなどない立場を取るもののつもりではいたりするのです。

 

もちろんあたしらの業界にも“ロジック“なり“ビジネスモデル”のようなものは昔からあるはずで、古くは“メンバー制”とか“チケット販売”のような囲い込み系から、“髪質改善”や“ダメージケア”的なテクニカルアプローチによるイメージ戦略など、やはり業種なりの顧客の囲い込みや集客のためのロジックは時代ごとに様々存在してきたわけです。

“おしゃれさ”を全面に打ち出すことにも、戦略的に様々な意図が含まれていることは言うまでもなさそうですよね、ということ。

 

もれなくあたしもそういったアプローチには無関心なわけにもいかず、あれやこれやと知恵を使ったりお金を使ったりもしてきたものなのですが、そういったことにも所詮向き不向きはあるようで、様々取り組んでみた結果、あたしが個人的に学び得たらしい感触のようなものはつまり、“そういうの、あんまり好きじゃねえな”なんてまさにそんな気がしていたぜ、といった感覚的曖昧にこそ長けた“そんな気がする系”とでもいったようなふわふわの軟着陸に、わかってはいたけれどやはりといった感触とともに至るばかりなのでした。

 

 

先日のThe Updateを観ていてもやはり感じさせられたのだけれど、やはり論理的に優秀で感度も高く、これからの時代、とばかりに先進的な視点によって描かれるらしいビジネスロジックには感心させられるし憧れこそするのだけれど、個人的にはやはり“何のために、誰のためにその商売をするの? その商売はあるの?”といった言うだけならむしろ甘っちょろいような、しかしながら所詮良心的かつごまかしの利かない愚直な姿勢の方が好みであることは明らかで、それは感情に甘えるという意味ではなく、単純な姿勢という意味での例えば“おかげさまです”とか、所詮相手がなければ成り立たないことを裏切れないような態度で臨むことが何よりのような気がしてしまう、というわけです。

登壇した論客の中で、一番の大御所である年配の論客の方(小島さんというイカした御大)が、新進気鋭の若手論客に囲まれながらそんな姿勢をただ一人譲ろうとしなかった姿は極めて清々しく、時代の流れの中にあって一抹の良心をあえて請け負うかのような頑丈さはつまり、役割という懐の深さを体現する豪胆さこそを思わされる気がして、だからこそ時代という新しさこそもすくすくと意義を訴える舞台を惑いなく与えられる、議論が白熱すると言っても過言ではないような、公の場としては質の高い、懐を割ったらしい意見の交換を垣間見せられた気がしたのです。

議論の内容そのものとはまた別の視点としての、例えば“心意気”のようなハナシということ。

 

つまりはそういうことなのだと思うんですよね、“心意気”

ビジネス視点を見損なうつもりはあたしなりにも全くないのですが、その目的とか、やはり“心意気”のようなことこそを見損ないたくはないものだよなあ、といったことこそは常から無意識のうちにも見過ごせない理由になっているには違いない気がするわけなのです。

 

 

漫然とした姿勢で続ける商売はつまらないですから、いろいろ考えるわけです。

けれど何となく、どうしても気が向いてしまうことは“いかに売り上げを伸ばすか?”のようなことよりは、“いかにウチらしくもてなせるのか?”のようなことばかりで、それはつまりビジネス視点的には第一義を見失った“甘っちょろさ”のような有り様には違いない気はしないでもなく、事実あたしなんかはそういった感情論のようなことや、よく言えばお金に対する潔癖さのようなことばかりが先行して、商売としての結果はまさに散々というものには違いなかったようには思わされたりもしているワケなのです。

 

だからといって、少なからずあたしなりに試してきたらしい様々な“ビジネス視点”的な取り組みのようなことは、どうあってもあたし個人にとってはやはりお世辞にも快いと言えるものではなかったらしく、となれば当然ながら長続きするはずもなく、どっちに向いたものなのかもわからないような妙な反省ばかりを繰り返すような鈍い体験ばかりを積み重ねてきたような覚えしかない気がしてしまったりもしているわけなのです(日本語)

 

 

そんなあたしが近頃ようやく思い当たったらしいあたしなりの“ビジネスロジック”のようなものがあるいは、その大御所の論客の方が示されていたやはり“心意気”のような、結局のところ根本はそういったことを信じるべきとする“姿勢”のようなものが残るらしいそんな潔さにこそ共感させられるものらしく、何だか心強いような気持ちにさせられた、ということだったりするのです。

 

漫然と商売をし続けることはしたくないので、馬鹿なりにいろいろ仕出かしたりもするのですが、所詮は商売でお金という目的であることに違いはありませんから、革命的に目先が変わるようなアプローチやロジックなどそうそうは存在するはずもなく、所詮お客さんには何かと疎まれがちなようなことをそうとは感じさせずにいかに上手く価値らしく差し出せるのか、といったような企みを繰り返すことには違いないはずなのです、今のところは。

 

けれど、そんな所詮似たり寄ったりの繰り返しのような企みの一つ一つにしろ、その“心意気”のようなものの持ち方一つによっては、受け止めるお客さん一人ひとりにとってはどうあれ、まずは差し出す側としてのあたし自身の心の在りようというものはまた、少し違うものになり得るらしいようなことこそを、近頃になってようやく理解し始めつつあるのかあたしなりにも感じているところがないでもないらしく、つまりは“それは何のために、誰のためにやることなの?”という所詮愚直な、しかしながら所詮ビジネスであることを卑下するでも恐れるでもふんぞり返るでもなくあくまでもあたしだからこそ差し出せるただの“心意気”であることを信じられるような視点を、ようやく思いつきつつあるような気がしないでもないつもりでいるらしいのです。

 

たとえそれがただの誤解であったとしても、これまでとはその反省の色すらも全く違ったものになるのではないのか、といった予感も含めてということ。

 

 

あたしも“ビジネス”はしたいつもりなのだけれど、単純に“ロジック”として割り切れるようなシャープさで挑めるような“ビジネス”にはやはり、あまり興味が持てないらしいのだし、あたしがそんなことを言うまでもなくこれからのビジネスは“ロジック”も“心意気”もバランスよく呑み込んで、やはり“誰かのために”こそ良心的に提供されるとても質の高いものに進化する、そうでなければ評価されない時代になっていくのだろうし、消費者もまたそれに適うような知性と理性を持つべき時代に急速に進化しつつある気がしているのです。

 

いよいよものすごい勢いで進化を遂げようとする時代にあって、まだまだ未完成であるらしい昔から存在する“商売”とか“ビジネス”といったものにまだまだ存在し得るらしい進化の余白を、何ともなく期待感高く想像させられた、というおハナシでありました。