アラズヤ商店

日々のナマキズ

ゴリゴリでヘトヘトでムチムチな道端の諸君と今日

何かをしていないと心細くなってしまう、というのは多分思い描くらしい目的があるからこそには違いないのです。

だからこそ、何かをしているつもりに逃がして実際には何も進んでいない、という状況もけっこうありがちで、つまりそれは目的ではなく、“安心”に向かいたがっているだけに過ぎないのだろうと。

 

努力しているから大丈夫、と。

 

 

ランニングやウォーキングに励む人たちを、通勤途中の道端でよく見かけるのですが、いや、よく見かけると言ってもわりといつも見かける名前も知らないいつもの人、ということの方が多い気もするのですが、ものすごくお節介なんですけど、そんな姿一つとっても“目的”なのか、“安心”なのかと例えばそんな意地の悪いベクトルで分類して、傍目にもその効果のようなことが推し量れてしまう気がしてしまうことはまあまあよくあることのような気はするわけなんです。

 

 

もっとも頻繁に見かける人は背が小さくて中学生みたいな体つきをした細身の女性で、その方から伝わってくる雰囲気には“エクササイズ”といった日課的カジュアルな取り組みの気配は皆無で、完全にアスリートであることを自身に打ち込みたがるらしい気概や意地のようなものばかりに溢れた気迫のランニングであることは傍目にも明らかなものなのです。

昨日の夜も、厚手のネックウォーマーに顔をうずめながら寒風吹きすさぶ国道をいつも通りの小刻みなピッチで走っておられました。

全然知らない人であるのにもかかわらず、ついつい観察してしまうキモいおっさんの視線などお構いなしで相変わらず清しく疾走しておられました。

あの中学生のような体型は、日頃からゴリゴリに鍛えられたエンデュランスランナーならではのそれということに違いなく、“目的”に付随して加速してする代謝が結果的にもたらしてしまうばかりの造形、という研ぎ澄まされた機能美のように傍目にも感じさせられてしまうわけなのです。

 

あるいは、やはりときどき見かけるそれは背が高くてがっちり体型の男性なのですが、タイトなアンダーシャツに少し派手めの色遣いのTシャツ、ショートパンツにスパッツ、黒く顔面を覆うサングラスと後ろ被りしたキャップ、というその出で立ちのみからも積極的に自らの身体能力に挑む意気込みを感じさせられるナイスなガイさん。

ナイスなガイさんは、スマホ首。

つまりは、長身でスタイリッシュなその外観は傍目にも明らかな猫背かつそのせいで突き出た顎の感じが何とも苦し気で、勝手にあたしが思い描きがちなイメージといえば多分、エクササイズに励む苦し気なエヴァンゲリオン、とかそんな感じでつまりパロな感じで、いまいち効果を感じない走りっぷりではあったりするのです。

全然知らない人を観察しがちなキモいおっさんが勝手に気持ちの悪いこと言ってます。

先の小さな女性ランナーと比べると、“ランニング”という目的における洗練度のようなものはそれほど高くない印象で、コンペティティブな場面で一緒に走ったらもしかしたら女性ランナーの方が勝ってしまうのではないか、なんて気すらしなくもありません。

勝手なことを言ってまあす。

 

はたまた、その方は完全に地に足の着いた感じのフルコミットな“エクササイズ感”を体現したような妙齢のご婦人で、ランニングでありながら文字通り“地に足の着いた”、つまり左右どちらかの足が常に着地している競歩的アプローチにおいて励まれるムチムチの日常的エクササイズ感をむんむんに発揮しておられるご婦人です。

おウチに帰ったら、真っ先に炭酸水飲み干して気分爽快でメシもウマい、みたいな感じ。

ポカリなんか飲むわけないっつうのせっかく走ったのに意味ないじゃんナメてんの? なんて心の活舌こそ爽快な感じ。

嘘です。

キモいおっさんがヒドいこと言ってます。

でもやっぱり何だかビール大好きみたいな感じだし、ランチにおススメみたいなお店に詳しそうだし、印象的にはエクササイズというよりは質のいい畑の土を耕してる感じ。

肉質の良い家畜を生産し……もういっか。

 

 

体を泣かせて目的に徹するのか、目的と捉えて体を泣かせるのか、泣いたら何だかスッキリしたな、今夜何食べようかな、みたいな朗らかさであるのか、アプローチこそ同じでもその姿勢が発する“目的”のようなものを傍目にも想像させられてしまうことは、案外ゾッとするハナシではある気がしないでもないわけなんです。

 

アスリート女子がストイック過ぎて怖いとか、ナイスなガイがへとへとのエヴァンゲリオンであることは資本主義が実現させる快適な疲労だよなとか、せっかくの肉質を流行りの如く絞りたがってはみるものの所詮ごはん美味しいんでしょとか、そんなこんなのいちいちはそれぞれに対する皮肉でも揶揄でも口減らしでも何でもなく、所詮あたし自身にこそ想像するべきことでしかないでしょう、とはやはり思わされるわけなのです。

ついでみたいな調子で悪口言ってすみませんでした道端の心のアスリートの皆さん。

 

 

目的に即して鍛え上げられるなら本望だし、鍛えてみてもなかなか能率が、効果が上がらないことなどよくあることなのだし、目的は眺めてみるけれど案外理由は別のところを向いていたりなんかして、何てことこそむしろ人間らしくありがちなことのような気がしなくもないのだしつまり、あたし自身こそどうなんですか、と。

アスリート女子派ですか。

へとへとエヴァンゲリオン属性ですか。

地に足ついてごはん美味しい種族ですか。

 

朗らかな幸せなら"地に足ついてごはん美味しい”ですけど、理想はやっぱりアスリート女子。

エヴァごめん、って感じです。

 

 

何かをしているつもりで、それだけで安心していられるならそれに越したことはないのだけれど、実際には“目的”を誰もが思いつきたがるのだし、出来れはそれに効果的にコミットしたいとは思うはずなので、“安心”とはつまり何ぞや、と。

 

あたしにはアスリートの気質は完全にないので、たぶん無理でしょう、というのは諦めのため息でも自嘲の戯言でも何でもなく、そんな才能ばかり欲しがって傷付くばかりの時代なんてとっくに終わってら、ということでしかありません。

それを言霊の手法と呼びたがるなら呼べばいいし、何なら呼ばれる前に自分からさんざん叫んでやりましょう、くらいのつもりではいたりします。

世間には恐らく、へとへとエヴァあたりが積極的研鑽の最先端というか絶対的多数らしく存在するもののような気がするので、そんなことこそあたしは苦手だな、と。

資本主義なんて、へろへろに愛称悪すぎだもんな、なんてな。

地に足ついてる人とは生涯通じて同じ日本語使いこなしてる気がしねえし、ってそれは悪口ではなくてあたしがぐりんぐりんにひん曲がっているばかりに、ということを言ってるだけなので誤解なきよう。

 

 

折衷案で生きてやる、とは言いません。

しかしながら、"発明しなければ簡単に死ぬだろう”くらいのことはやはり思うのだし、それがイヤなら必要なものなど答えはカンタン、“安心”を当たり前の如く所有することに尽きるはずで、もちろんあたしみたいな人間はそんなものこそこれっぽっちも持ち合わせていないことこそイヤというほど自覚しているのでやっぱり、発明だ、爆発だ、と。

知恵も火薬もないけれど。

 

 

何かをするために、何かをして安心するだけなら、それは平和で無責任なだけのただの自殺です。

いきなりなんて物騒なことを。

 

 

今日は何をしようか、というのは仕事の話などではなくその前段階とか、前段階どころではなくただの自分自身ばかりの話でしかないだとか、所詮通用しないところを自分ばかりでも通用させたがるような取り組みとかそんな意地とか、なんだそれはつまり自分ばかりの安心のことか、などとぐるぐると回ってちびくろサンボ倫理ギリギリアブナイあぶないみたいな感じにもなりかねないのですが、例えばそんな事態を恐れるのか、恐れながらもとりあえずやってみるのか、恐れるのも馬鹿らしく当たり前の如く突き進むのか、たぶんそんな"心意気”のようなことが透けてしまうことを怖れるのではなく、むしろ透かして叩き上げるようなことを日々心掛けたくあるようなつもりではいるもので、しょんないながらもちびちびと実行するわけです。

そうして予約が予定外に舞いこんだり、これまでとはお客さんの意識がちょっと変わったり、そんなことであたし自身こそ手応えのようなものを感じさせられたりとか、つまりせめて得られそうな"安心”のようなものは、自分自身で思いつきたがるようなことなんかでは全然なく、所詮あちこちからやってくる、そこここから懸命に拾い集めるものでしかないんだよな実際、そんなことこそを面倒くさがっていたら、あれもこれも全部つまんないことになってしまうばかりだよな実際、なんて柄にもないようなことを結果的なのか代謝的なことなのかはわからないですけれど、所詮感じさせられてしまうものなのです、頑張りたいらしいつもりならせめて、ということなんですけど。

 

今日は何をしようか。

 

頑張って、へとへとになって、美味しいご飯が食べたい。

それにビールも。

 

誰だって頑張っていることには、違いないのですな。