アラズヤ商店

日々のナマキズ

自分が自分以外に何かが出来るなんて、そんな下品なことは考えるものじゃなかった

そもそも不真面目に出来ているので、努めて不真面目に照らして振舞わないと死にそうな気がする、っていう側面を当然の如く抱えてこそ案外まともな気がする、なんて書いているだけでもアタマおかしい感じのことがわりと絶対的な判断として機能してしまう、そんな思考回路をかなり信頼して生きているだけのややこしい人間だって世の中には、たまにはいるものらしいんですよ。

 

まあ、あたしのことなんですけれども。

 

 

小学生の頃、まともに宿題をやらなかった性分を、今も変わらずずっと生きているだけなんです所詮。

キッチリとやることをこなして、それをやらなければいけないと学んで理解して進んできたような人とはそもそも違うんですよ、その信頼度のようなものが。

 

自分自身に対する信頼のようなものが。

 

目の前に差し出されたものをしっかりと受け止めて考えて真面目に取り組むことを怖れずに信じて苦しみ続けられるタイプの人が苦手です。

目の前に差し出されたものに対する興味の有無とそもそもやりたいのかやりたくないのかとかやりたくなくてもやらなければならなかった結果やっぱりそもそも興味がなかったり苦しいだけだったりせっかく乗り越えてみたけれど所詮自分の人生にそれを活かす方法なんて思いつけないしそんなものこそを基準に取り沙汰されるいちいちの仕組みが単純に苦痛なだけでいつまでもやってられるはずもないことくらいさっさと決めつけてしまえるような臆病で乱暴で馬鹿なだけのタイプの人間としてはそんなもんいちいち真に受けていられるはずがないということなのですけれども。

 

 

”べき論”だの”ねば論”なんてそんな全体論のようなことはつまりプラットフォームにハマれるのハマれないのかを探るための物差しのようなものには違いないはずで、あたしみたいな馬鹿はそもそも計られることからすでに苦痛を感じる、見かけたら取りあえず逃げる野生動物みたいな習性で、例えば檻の中で暮らす動物を眺める動物園があまり好きではないようなむしろ感心するようなつまり勝手に生きてるより毎日ご飯もらって死ぬまで毎日同じ毎日に飽き飽きしながらとはいえ安心して生きられるには違いないからこいつら案外ボロく幸せなだけなのかもなってじゃあこれってこいつらってまじで動物なのかなもしかしたら四本足で歩いているだけの何かの比喩とかイミテーションとかって休日のアンチジョーク、いやいや七面倒臭すぎるユーモア、アミューズメント的ブラックジョークとかなんちゃってそんな感じのことを所詮檻の中のことをあたしらは和気あいあいと親近感抱きながら確認したり安堵したり見下げたりしながら楽しんだ気がしてさあ明日からも俺たちはそうじゃないって、とりあえずそんな感じで自分ダマして頑張っていこうかね所詮つまんねえけど、なんて溜飲下げるための場所だったりするのかな実際のところもしかして、ってもはやあなたには楽しむ資格がありませんからどうぞお引き取り下さいませとか丁寧に入場料払い戻しされかねないようなことを騒がしいサル山なんか眺めながらうっかり考えかねないスカポンタンみたいな脳みそを日常的にバグらせながら生きているようなものなので実に生きづらいものなんですもちろん優秀な皆さんにはくそほども関係のないことではありましょうが一先ずはご迷惑おかけして申し訳ありません休日の動物園においてまで。

 

 

反省しようと思います。

例えば、我が子に依存しなくてすみませんでした。

我が子の部活動の成果に一喜一憂してあげられなくてすみませんでした。

受験勉強の結果が全てというこの世の中の仕組みを適切に我が子に脅迫せしめなくてすみませんでした。

そもそも自分がそういうタイプの親に育てられたことにまんまと甘えて恨みの一つも思いつけないようなのんきさで自らも子育てを仕出かしてすみませんでしたしかもポンコツの片親風情において。

そうして我が子の成長こそが全てで自分のことなんか差し置いて望むものだと信じてあげることすら出来なくてすみませんでした。

受験が済んだら次は就職、いい頃合いには結婚、出産、孫の世話まで見通して準備して心配してまだまだ死ぬわけにはいかない、なんてどこまで優しいんだか思いやりなんだか所詮どうかしてるレベルの依存体質でしか実現出来そうにないほどの献身的執着的妄信的愛情にこの身を捧げられなくてすみませんでしたまじでクズですよね自分でもわかっているんですけどどうにもなりません野生のサルみたいなものなので気分でしか動けないみたいです発情してお尻真っ赤にするとかそこまで本能に奔放なつもりはないんですけど所詮どうかしてるっぽいらしいことは自分でもわかってるんですどうにもならないだけなんであって。

反省するんでしたすみません舌の根も乾かないうちに。

近頃は鼻詰まりが酷くて睡眠時は口呼吸気味のじじ臭さでもって朝起きると口の中カラッカラに乾き過ぎで恥ずかしいくらいなんですけどそれでも乾いたうちには入らないみたいですからなかなか生きづらいものなんですね人間ってものはやっぱり。

 

 

そんなに立派なモノじゃないんです、あたしみたいなのは所詮。

お手本になれるような生き方なんてこれっぽっちもしてきていないし、アドバイスしてみたところで何の説得力もないことくらい自分で一番よくわかっているし、やることなすこと全部人の道外してるんだしそんなもんこそお手本にしてくれるなよとまるきり反面教師であることでしか伝えられないなら迷惑だから死ねばいいのにみたいな生き物でしかないこと謝りながら毎日生きるくらいしか示し方のないボロ人間として今日まで死ななかったアンテナとそんなもんが見透かすお上品の汚らしさやら信じて疑わない気味の悪さにせめて自由を掘り出すアナグマみたいな正義くらいしか食らえない馬鹿馬鹿しさみたいな清潔だけほんのり覚えといてよこの世はそんな息苦しく求めたがるばっかでもないはずなんじゃないの人間なんてそうやって虐殺して生き残ってきたホモサピエンスでしかないんでしょ頑張りすぎなんだよ今頃になって土掘って北京原人の研究したがったってさ一体何の反省のつもりなんだよ自分が殺したその他大勢の墓掘り起こして歴史の研究とかまだ足りないみたいな自画自賛思いつきたくてそんなこんなのための大学受験かよ、なんてさ、きみの父さんはこんなにも馬鹿なことばかり考えて生きてるんだよわかるでしょ、言わなくたってわかるでしょ、きみの人生はきみばっかのものでしかないんだぜ、父さんに何やら手助け出来るらしいことなんてせいぜいお腹を空かせないことと清潔な暮らしを整えることそんな生活感を身に付けてちゃんとした幸せな家庭を今度こそ、きみ自身できみ自身の為に生きてよねきみらしく、ってどんなJ-POPだよ今どき幼稚園児の鼻歌にしても物足りねえよみたいなことくらいしか考えらんないことくらいわかってるんですはっきりと。

 

 

我が子が部活の試合で勝とうが負けようが、親に何の関係があるんですか。

そういう人間です、所詮あたしは。

”おつかれさん”くらいしか思いつけない素っ気ない親ですどうもすみません。

 

 

我が子のために歯を食いしばってぼさぼさアタマにボロ着て眠い目こすって飲みたい酒も我慢してラーメン食べ歩きしたいけどそれは定年後の楽しみに取っておく、なんて美しすぎる親の辛抱を我が子は有難くちょうだいして次の世代に引き継ぐものなんですよねそうですよねあたしはそれをすっぱりとぶっちぎってしまったから、あたしのムスメもきっと将来そんな親になるんです清々しいですね。

 

よかった。

きみが親なんてものになる頃には、いちいち我が子にそんな面倒な依存をゆだねることなんて常識的に生物的にこそ許されない今とは比べ物にならないような自立した時代にとっくになっているから心配しなくていいよ、むしろきみ自身の生き方そのものこそをいよいよ執念深く与えられて試されるキビしくて苦しいけど絶対にもっと楽しいそれぞれの生き方が許される、そうあるべきであることが当然として認められる時代に絶対になっているからいつまでも我が子に依存してハラハラソワソワしていたがるような犠牲を誇るような一方的で押しつけがましいような生き方なんて信用するな欲しがるな甘えたがるな言い訳すんなもっと楽しめ散々楽しめ。

 

あたしは子どもの部活が終わるからといって寂しがったことなどないし、我が子の恋愛なんて気持ち悪いから勝手にしろと思っているし、別々に暮らすようになって穴の開いたような気分なんて思いついたことこそないしむしろ好き勝手に、例えば朝っぱらからこんなくそくだらない文章を書きつらえる毎日を満喫してるゴミクズみたいなただの物体です。

我が子について喪失感なんて思いついて堪るかと思ってます。

さみしいとか、そんな気色の悪いこと思いついて堪るか、というよりはそんなことを思いつかれる我が子の方が溜まったものではないだろうと普通に思っています。

あたしはあたしなりに、我が子のために我が子から常に距離をとって、時期が来たから手放しただけです。

あたしなんかそんなもんで充分だって知ってるからです。

世話を焼いてみたところで、自分程度が我が子にどれほどのことをしてやれたものか、その程度や出来や不出来なんてことではなく、それに精一杯努めることが親としての努めだろう、などと自らの口から吐きたがるような、自分に言い聞かせたがるようなクソ自惚れたイキモノになんかなって堪るかと思っているだけです。

 

そんな渋み利かせた親の顔なんて、いつまでも見せていられるか。

今日の我が子は昨日の自分のことなんか軽々と飛び越えてる。

親の愛情なんてそんな面倒なものはただの欺瞞だと嘘でも決めつけてすり潰してでも大人になってしまう自分のことばかりが面倒で仕方なくいるのだから、そんなものにたかだか親というだけの分際が所詮敵うものか。

こっちの不安や心配や混乱なんて、そんな程度のことはもっと前の反抗期辺りですっかりみっともなく惨敗を食らったはずじゃなかったのか。

そんなものに不屈も葛藤もあるか頭でっかちみたいなことばっか親心らしく垂れ流したがりやがって。

 

親が苦しんで行かせたがる行かせなければならない学校なんて、社会なんて、一体誰のためだ。

そんなものにいつまでも当然として従わせたがることが我が子に対して親が仕出かすべきことか。

そうして一番苦しいって嘆き苦しんでいるのはどこのどいつだ。

そんなものを押し付けて感謝を植えていつか感動のお手紙でもしたためて万感極まりたがるのが整いたがるのが親子の絆だとか言いたいつもりならそんなしゃらくさいようなことばかりが美徳のつもりなら、あたしなんか娘の結婚式くらい軽々とすっぽかしてブログ更新してお風呂入ってビール飲んでそのまま寝てやる。

 

 

何で親がいつまでも我が子に責任なんてことを押し付けて依存したがらなければならないのか、そんな魂胆を親心とか親の責任とか愛情とか我が子のためとか何でもいい、そんな薄暗いような寡黙な一方通行に閉じ込めてしかも一本道で押し付けてこれが愛情だとばかりに植え付けておまえもそうするべきなんて言えるのか。

 

あたしは我が子にあたしみたいな大人になってほしくないだけだ。

そのために大学に行くことが必要だなんてことは爪の先ほども思わないだけだ。

おまえはそんなにも勉強熱心なんかじゃなかったじゃないかと、ただの人間同士として客観的にその馬鹿馬鹿しさを伝えただけだ。

そんなことのために親なのだから当たり前とばかりに苦しめられることなんて辛抱ならないと普通に思って白状しただけだ。

社会の決まりらしく従って苦労してみたところで、ただ生きているだけで大して面白くも楽しくもないことに、あまり意味がないらしく感じてしまったことを正直に打ち明けただけだ。

親として、あたしはそう思っただけだ。

行きたかったら自分で苦労していくべきだ、必要以上に学びたがるなら、と当たり前に思っただけだ。

子どもの未来を捻じ曲げたなんて、そんな自惚れたこと、そんなにも影響力のあるものだなんてあたしは自分のことを思っていないし、我が子がそんな柔な人間だなんてことこそ思っていないだけだ。

勝手に生きて行けるものとしか思っていないだけだ。

それが出来る人間だと信じているだけだ。

 

 

意思もなく、覚悟もなく、信じられもしないものに常識だからそれが社会の仕組みだからと従いたがって、それが親の努めだからと我が子に授けたがる親心とかそんなくそ面倒くさいもののためになんて、そんな下品な魂胆で生きてるつもりなんてこれっぽっちもないからあたしはあたしなりに我が子に恥ずかしくない態度でくそみっともなくても自分らしく生きて見せびらかしてやるつもりでくだらなく生きてる。

この世の様々にいちいち反発して疑って馬鹿馬鹿しく生きたいとさえ思っているだけだ。

 

年老いてきて体力も気力もなくなってきてそうもいかない、なんて泣き言はやり切って無理だと気付いて諦めた方がマシになるときまで全力で完璧にシカトしてやる。

いつか突然事故みたいに死ねればよほどマシくらいのつもりで馬鹿馬鹿しく自分をだまし続けたいと思っている。

少なくともそのために、社会だの務めだの役割だのと自分以外が勝手に要求することを自分の意志らしく化かしたがって自嘲するような生き方なんかに整って堪るかそんなもんくそつまらんと本気で思っている。

 

 

ああヤバい、やっぱり反省し損ねた。

いいじゃないか、何しろこの世はサタンがそそのかすらしい試しの場所に過ぎないらしいのだから、自分らしく自分を試してその答えを神さまに差し出して断じてもらえなければ、この世に生まれた意味なんてないじゃないか。

ただの手抜きみたいな、カンニングみたいな生き方なんて神さまに差し出せるわけないじゃないか叱られてしまうじゃないか。

 

 

”そんなことどうでもいい”なんて、自分以外に言われる筋合いなんてない。

やっぱりそうとしか思えないです。

 

それぞれの苦しみ方が、挑み方があるだけだ。

 

気付かせてもらってありがとうございました。

そんな役割でいてくれたことに心から感謝します。

これは皮肉でも嫌味でもなく、正真正銘の本音です。

ありがとうございました。