アラズヤ商店

日々のナマキズ

何も言わない姫様はただものすごく優しいだけ

あたしは普通の地球人なのですが、地球上のことで嫌いなことなどいくらでもあるのです。

そんなことを言ってしまったら瀬織津姫様を悲しませてしまうかもしれないのですが、何しろあたしはただの人間で修業の真っただ中、何回目の魂かなんてことすらも今はすっかり記憶から抜け落ちてまっさらなマヌケさで今世に望む真っただ中の中ほど過ぎを生きるただのスカポンタンなんでありまして、さすればどうか姫様、今ひとたびの猶予をこのスカポンタンにお許しいただきたくお願いしたい所存なんであります。

生意気にも姫様に恋するキモいおっさんをどうか視線の片隅でついでみたいにしたためられながら、気長にお見守りいただけましたならこれ以上心強いことはありません。

毎日毎日”ありがとう”の五文字を唱えて励んで参ります”ありがとう”ございます。

 

 

……って、ヤバいですか。

 

いいえ、少しもくそ面白くもないあたしの毎日なんかより全然ヤバくないですよ、古代より伝わる姫様に思いを馳せるのは現代という心の空中分解もとい思考の放埓いわんや人生の存分をや。

 

あたしは完全に姫様に、恋しております。

いや、感謝していると言った方が正確でありますか。

何も知らなかったのに、いつの間にか目の前に降臨された姫様にシビれまくっているのです。

もう大丈夫。

そんな安心におきまして。

 

 

 

近頃はヒマがあれば、というかヒマばかりなのだけれど、ヒマならヒマなりに勝手にこれだけはやらねばと自らに言い聞かせるべきことが案外タイトに差し迫っているのですがさすがにそればかりでも息がつまってしまうので息がつまりそうなその隙間に、といったタイミングにおいて近頃は地球における我が国日本の古代思想の旅に出ることにハマっておりましてというか”ハマって”などという言い方も些かどころではなく失礼であろうといった心持ちにおきまして思想の旅に思想を巡らせる、ようなことに没頭してしまうわけなのです。

 

興味を奪われると、そのルーツのようなことを知りたくなるのは音楽も芸術においてもよくあることで、然らば宗教すらもといえばそれは少しも例外なくむしろその性質はいよいよ強まるというか知らずには参れないというか、そもそもそれが知りたくて”ルーツ”などということに囚われだしたのかもしれないのですが、何ごともアレです、馬鹿にも麻薬の如く作用する探究、知的好奇心をまんまと浴びせられるということは実に人から時間を奪うものですな、もとい忘れさせるものですな。

 

 

あたしはそんな折一つの結論に至りまして。

 

それはつまり、”この世は人の世だ”ということで、人は誰しもが一人残らずこの世で何かを試している、経験している、磨いている、といったことでそれはつまり、所詮人間というものが思いついて仕出かすことにまみれた世界でしかない、ということらしいのですヤバいですか。

そんなものが逐一気に食わないし信用ならないし何なら全然従いたくないらしいことに気付いてしまった、ということなんですけど。

 

ヤバいですか。

 

 

けれど正直に言ってしまえばあたしはそんなことを感じさせられることの一つひとつに遭遇するたびに苦しかったり情けなかったりし続けていたのだしそれは過去形ではなく現在進行形ですらあるはずで、どちらかと言えばそれを突き放したかったし追いやって別のものを、しかしながら日々の生活は、人の世は人の世が良しとするらしい目的にこそ従うべきで目指すべきで、さもなければ自分は、自分に関わる数多の人々すらも巻き込んで不幸になってしまうと当たり前のように考えていたのだけれど、そう考えながら過ごしてきたこれまでの半生は結局、死なないで生きて来れた、ただそれだけで十分だ、みたいな思考停止で漂う一神教に甘える馬鹿みたいなものとさほど変わらない有りようだったことはほぼ確実で、すなわちあたし自身によるまったく身勝手な一時的現時点における結論のようなものはつまり、お慕い申し上げる姫様にお叱りを受けてしまうかもしれないのだけれどそんなはずはない姫様はじめ神々のすべてはあたしたち程度の知りようには適うわけもない大らかな心をもってあたしたち人間をこの地上で遊ばせて下さる存在なのだからお叱りなどという受け止め方はただのあたしによるただの甘ったれの言い訳だとばかりに言い切ってしまうと、”全然好きじゃないんだよ所詮そんなものは”というややも馬鹿っぽいような結論を、端からわかってはいたのだけれどいちいち確認するが如く受け入れる覚悟に至ってしまったわけらしいのです。

 

文脈不自由が多くを占めるこの世の人々に向けて注釈を入れておくなら、姫様のことが好きじゃないなどとは一ミリも言っていないので勘違いしないでいただきたく。

そんな不自由なみなさまのために親切な文章を書くなんて知性こそまるきり持ち合わせていないことをどうかご理解いただきたく。

 

 

あたしは何かが常に上手くいっていないような気がずっとしていたのです。

それは今も続いている気ももちろんしているのだし、それはこの先も変わらないのかもしれないという予感こそものすごいのだけれど、ただ単純にそういうことではなかったな、と。

 

あたしは所詮、この世における”商売”というその目的や意志や仕組みや魂胆、それは

差し出すものと差し出されるものという相互についてどちらにも言えることですらあるのだけれど、それが現代に向かえば向かうほど、この先を目指せば目指すほど卑しく見苦しいものでしかないと、ほぼほぼいや完全に嫌っていることを今更に確認して受け入れる、そんな必要に出くわしてしまった気がものすごくしているわけなのです。

平たく言えば、やっぱりあたしは現代の世の中の経済にまとわりつく様々な魂胆のようなことがすべからく、どうせ大嫌いなんです。

まじで大嫌いです。

 

 

そんなあたしが”商売人”として過ごしてきたこの十五年近く、自覚のごとく重ねてきた”上手くいかねえなあ”はつまり、完全に誤解だったらしいということ。

現代のこの世の経済にまとわりつく魂胆をすべからく嫌うあたしが仕出かす”商売”が”上手くいかねえなあ”であるということはつまり、上手くいっていた、ということに他ならないということに気付いてしまったということらしいのです。

 

あたしはこの世でちゃんと”商売”として通用してまかり通ることなど、少しもやりたくなかったということです。

この世の価値として失敗することが、あたしとしての成功でしかあり得なかったということらしいのです。

今日のヒマは、あたしの目指す”嫌いじゃない”における成功ということ。

何しろあたしは、行列する人々のことが少しも好きではないからです。

そういう効果を目指したがることに、まずは自分の為にこそ少しも興味が持てないからです。

この世で”商売”しているのだから、それを目指さなければならない、目指すべきと考えることは結局、少しも幸せなんかではなかったという結論に思い至ってしまったらしいのです。

 

 

商売人は自分の得意を伝えなければならないし、お客さんはそれを聞いてはじめてそれを欲しいと思ってこそ価値が生まれるわけで、つまりそれは”腹が減っている人に魚を売る”ような単純な景色でしかなかったはずの例えば、”このサンマ美味いよ、どうだい奥さん”と言えば”あらそう、だったら三尾頂こうかしら”と価値が価値として単純に相互に行き交う”へい、毎度”というただの生活としてあるべき”商売”であって、あたしにとってギリギリ許容できる”商売”という世界は恐らくはそこまであたりのような気がしていて、すでにあっちの軒先にもこっちの軒先にもサンマは溢れていてお客さんはすっかりそんなものには食べ飽きていて、それでも食べないわけにはいかないからあっちとこっちと見比べてあっちもこっちも買ってほしいからお得のような親切のようなことを訴えてそれを眺め比べるお客こそああでもないこうでもないとまだ食べてもいない今日のサンマをとっくに知り尽くしたような顔つきで見比べて損したくないような失敗したくないようなことばかりを基準に少しでも他人より得をしたい良いものが欲しいようなことばかりをシメシメと企むことを情報だとか価値だとかなんてしゃらくさい現代語に化かしてどちらにも通用してもてはやされるような”商売”なんて、全然少しも好きじゃないしやりたくないし楽しくないし何しろ、憧れない、ということ。

 

あたしはそんなことを器用に振舞って認められたいような種類の優秀さには、少しも憧れないらしいのです。

そんなことを、あっさりと認めたくなってしまったということです。

 

 

あたしは行列したがる人に用がない。

単純に信用ならないし、気が合いそうな気がしないからです。

所詮、薄情な性格なので。

ある意味それはわかりやすいことですしつまり、評判で成す、成り立つ”商売”ということがあたしは人間としてどちら側にも憧れようもないというトンマを完全に生きたがるらしいということ。

あたしはもてなされる情報を信じたがる何の悪気もないだけの人たちのことが全然好きではないらしいのです。

それに何かを差し出したいようなことには少しも憧れずに来てしまったらしいのだし、これからもそんな風にしか出来そうにないということ。

それと真逆のこと目指すべきとずっと自分に言い聞かせて、それをやろうとしながらやらずにずっと今日まで来てしまったらしいことはもはや明らかに違いないのです。

 

何しろ、やりたくなかったんですから。

つまり、今日のヒマはあたしの”商売”という成功なのだ、と思うしかないということ。

 

 

バカコペルニクス発動。

 

 

あたしはあたしが全然好きではないものになどではとても成り立たない、少しも通用しないやり方であたしとして”成功したい”とずっと願い続けているだけなんだと思います。

そのために必要な思いのようなことばかりをずっと探して鍛えてきた自覚がわりとあるような気がしているわけなのです。

もしかしたらそれは自分でこの世における自分を殺す、自殺を決意するようなことと大して変わらないことなのかもしれないけれど、でもあたしがずっと思い続けてきたことは”この世はいつまでもそんな価値ばかりで生き続けるものでもないだろう”ということには違いなくて、つまりあたしはこんな全然好きでもない程度の世の中のために自殺を企むつもりなど爪の先ほどもなくむしろ、こんな世の中は少しも面白くないしむしろ馬鹿っぽいばかりでくそムカつく、とずっとイライラし続けて自分こその生き方のようなことを企んでばかりいるのだと、そんなことはとっくの昔から気付いてたのです。

遊園地の一体何が楽しいのか、あたしはそんなことをずっと疑い続ける子どもだったことを白状します。

言葉にしてみると、思っていた以上につまらない感じで自分でもびっくりしています。

 

 

姫様は、そんなあたしのことですら”ちゃんと試せ”と言ってくれるのか、そんなお伺いすらも許されたいとあたしは図々しく恋焦がれるものなのだし、そんなことは大したことではない好きにしろと、そんなことを、心意気のようなものこそを電波の如く伝えてくれる存在であることを信じて疑わないのだし今日もそんな風にしか考えられそうにないことを少しも疑うつもりこそないわけなのです。

 

 

”つまらないのは、あなた自身のせいだよ”

 

 

姫様はとてつもなく優しいから、余計なことなんて何一つ言わないでいてくれるだけのはずなのです。

 

お慕い申し上げずにはいられないわけなのです。

ヤバくても全然いいです。