アラズヤ商店

日々のナマキズ

与えられたいやつを蹴散らす方向に舵を切る

毎日こんなことをしていて思うのは、やはりネットの世界も人の世界と変わらないということで、当たり前ですよね、ネットの世界に住むのは人なんですから、そこにうごめく感情や興味や理由や嫌悪も含めてそれは人によってもたらされる反応するものなのだから、似ているのではなくてそれそのものに決まってますよね何言ってんだってハナシですよね。

 

けれど、それがシステム上で採取される”人”というデータでもあるということさえ当たり前のように理解してやはり”似ている”ということを考えると、やっぱり何だか気持ちが悪いというか、ほとんど気味が悪いような気がしてこないでもないですよね実際のところ、ということ。

 

何言ってるかわからないですか。

それはそうです、あたしなんかみたいのはすっかり世間とズレていますから、軸が違うなら考えること感じることが違うのは当たり前でしょう、この世が快適な人にはわかるまいわかられてたまるかい。

 

 

例えばこの編集ページを開く前に、サイトのトップページを通るわけなのだけれど、あたしはそこにピックアップされている人気記事のタイトルにほとんど気味の悪さと似たようなことを思いつかずにはいられないわけで、それはそのタイトルが気味が悪いと言っているのではなく、そういうタイトルこそが読者にリーチするその構造や興味のようなことがほとんど気味の悪いものでしかない気がするということを言っているだけなので誤解なきようお願いしたいところです。

わかりづらいですよね、眺めるだけなら仕方のないことですよね。

 

一時期流行ったラノベのタイトルのような定型とか、してみた的な動画タイトルやサムネイルなんかもそう、単なる”手法”ということでしかないことはわかるのだけれど、なぜ”手法”というものが存在するのかといえば、それに反応してしまうオーディエンスがいるから、目的はそれしかないからで、それを絶対数としてより多く獲得することがユーザーやフォロワーという形で顕在化されて具体的な経済を生む、というのはここ数年来鉄板の如く使いまわされてきたこの世の人間という本能の仕組みで経済で、つまりあたしはそれを掴まえて”気味が悪い”と言っているつもりのはずなのです実に生意気なことですねどうもすみません。

 

けれどそれは何もここ数年来だけに限った話などではなく、むしろそもそも人間はずっとおなじ理由なり本能に従って社会を効果的に発展させてきたはずで、それがインターネットが普及することによってより効果的に、より露骨に発揮されて顕在化することで、”気味の悪い”多くの人たちがただの本能を本能として認識するまでもなくなったことをまるきり恥じらうことすらしなくなったことが丸出しになっているだけに過ぎないのだと思うわけです。

まるで催眠術にでもかかったかのように行列をしたり掌を見つめたまま街をウロウロしたり、個人の時代だと言いながら所詮同じパイを我先にと奪い合うばかりだったりすることを”世代”なんて呼びたがるばかりなわけでミレニアルもゼロ世代も知ったことではないです、それに有効に操られるのは所詮、本能を本能とすら認識しなくなった”気味の悪い”その他大勢のような人たちであることはいつの時代も変わりなく、興味や期待を焚きつけてかき集める、そのための気持ちの悪いタイトルやサムネイルというただの”手法”で実際に提供されるコンテンツはすべてとは言わないまでもクオリティの高いものが溢れていることは間違いないのだし、個々にレベルの高いものが自由に発信できる今現在の世の中のシステムやテクノロジーは本当に素晴らしいと思うのだけれど、そういったものが目的の末端として単純にかき集める、かき集められるものは所詮恐ろしくレベルの低い、自らクオリティを生み出すことには決して挑もうとしない鈍い感性と欲求というただの行列で、システムの目的の末端というエサに群がるばかり、ただの数値に成り下がるばかりのフォロワーというただの指標で無思考の磁石のようなもので、そんなものをかき集めることを”評価経済”とか”しなやかな循環”なんて名付けられて尻尾を振るその他大勢が眺めたがる”手法”の先端なんて、所詮気味が悪いだけの物乞いのまじないか何かにしか見えない気がしないでもないじゃないですか気味悪くないですか? なんて何様が言ってるんだってハナシですよねすみません。

 

 

何が言いたいのかって、つまりあたしはそんな”手段”のようなことやそれに引きずり回されるだけの”気味の悪い”人たちがキライだとかそんなことを言いたいのではないはずで、ただ単純にあたし自身が手に入れたいと未だかつてずっと思い続けてきたものが、そういう”手法”のようなことでまんまと手に入るようなもの入れたいものではないはずとか、何しろそんなことばかりに引き寄せられたがる人たちの興味になど到底適わないものだということが、すっかりわかったというか諦めがついたということで、それはとても身軽なことではないのか、というある種のひらめきのようなものとしてすら感じているということなのだと思うわけです。

手法や魂胆のようなものでかき集められるものになど、所詮一過性の価値しか備わらないことはもはやどんなに鈍らな感性の人間の目にあっても明らかなことなのだし、だからこそほとんどの人間は我先にとその先を争いたがるのだしそうしなければ誰かより優位に立てないような気がしてしまうのだろうし、過ぎ去るものばかりを争いながら離れられないものやことばかりを延々と増やし続けてしまうからこそ、”断捨離”なんて言い訳をまたしてもただの行列のごとく唱えださずには、影響されずにはいられないということなんじゃないんですかねアタマおかしいこと言ってますか。

 

物事やもちろん人間にこそ理由やそれにまつわる循環の如く需要のようなことは必ずあるわけで、ほとんどの人はそれを思いつくのではなくそういうものなのだと示されて与えられて従うことがつまり”時代”というこれまでの歴史として語られてきたことには違いないはずで、つまりは歴史とは大衆で、時代とは手法や魂胆で大衆を操ることが出来る一部の人たちが彩った行列のタイトルで、この世の中はインターネットによってそれが露骨に顕在化しただけのやはりただの歴史、人間というその他大勢が操られる時代という何も変わらないただの”気味の悪い”人々の行列、掌に眺めるのは時代に引きずられたがる無思考にとって何よりも甘いサムネイル、といったことに過ぎないような気がしてまったくただひたすらに”気味が悪い”ばかりのような気がやはりしてしまうわけなのですがあなたはどうなんですか、付き合い切れませんかこんな愚にもつかないような屁理屈など。

 

 

もっとシンプルで、根源的なものを理由にして生きたい。

なんていったらもはやすっかりアタマおかしいみたいに思われてしまうのだろうし、何様が言ってんだっつうの恥ずいんだよ黙れ馬鹿、なんて言われてしまうのに決まっているのですが困りました、こっちこそ、そんなことをどんな脳みそ引き摺ったやつが言ってんだっつうのすっこんでろこの足踏み馬鹿、なんて言い返したいばかりでしかないことがかなりはっきりしてしまった気がするのです。

今の時代がとても便利で、それをとてもよく理解しているようなつもりの人に、1ミリも興味も需要も信頼も思いつけない。

今の時代の便利さをよく理解して、その便利さの意味を適正な態度でちゃんと疑いたい。

ファストパススマホで簡単、ということを便利と呼びたがるならそれは大好きな行列を嫌うだけのダブルスタンダードでしかないでしょう、といった具合であたしには結局、掌に暮らすような満足など所詮理解出来そうな気がしないのです。

そんなことを便利と受け止めたがる”気味の悪い”本能こそを疑うことに忙しくて、それを操る時代こそを観察することに忙しくて、その他大勢の本能を理解して付き従う気になど少しもなれそうにありません。

 

 

手法や魂胆で操れるような需要など積極的に嫌って、もっと恒常的な理由こそを焚きつけて芯こそを喰らって、遅まきに訪れる”気味の悪い”行列をまんまと蹴散らす。

すでに”時代”の欲求はそんな方向に舵を切り始めている気がして仕方がないのですが、どうなんですか。

 

あたしはあたしに出来る限りのアイデアで、やはりそちらに舵を切るべきだとずいぶん昔からずっと、イライラし続けているんですけど、どうなんですかアタマおかしいですか。

ずっと一人でみじめなような気がしていたんですけど、少なくとも時代は同じ方向に進んでいるらしいと思うと、何だか元気が出ます。

自分に出来ることとそうでもないことを嗅ぎ分けながら、幾つかやりたいことが思いつくのだけれど、それには時間とお金と、何より仲間が必要だと思っていることに我ながらかなり驚いているのですが、たぶんそれがなければ出来ないというか、そうでなければ意味がないことはハッキリとわかっている気がしているので、わりと納得しています。

 

欲しがるばかりで、所詮退屈してばかりの”気味の悪い”その他大勢が操られがちな期待にリーチしながら、そんな態度では決して加われない手法をカジュアルに生んで、経済を生んで、”時代”を楽しみたい。

その”芯”に加わりたい。

 

その欲求は、少なくとも気味の悪いタイトルやサムネイルで表現できるようなものではありえないはず、ということしか今はまだわからないのだけれど、少なくともその理念や方向性だけはずっとこれまでも憧れ続けてきたことだから、イメージは思いのほかシンプルなもののはずなのです。

あたしみたいなおっさんですらまだまだやり足りない気がしているというのに、あいつらはどうしてあんなにつまらなそうな顔つきでいるのだろう。

その気持ちは痛いほどわかるのになあ、なんて言ってしまうのは”時代”錯誤でしかないのでしょうかアタマおかしいですか。

あいつらが”気味の悪い”だけのその他大勢でしかないのなら、仕方ないよなあ。

 

どうしようかなあ。