アラズヤ商店

日々のナマキズ

態度など所詮作業である

仕事帰りによく立ち寄るドラッグストアが、今日はやけに混んでいました。

一体どうしたことかと、行儀の悪さに任せて他のお客さんの買い物をする様子や会計前のカゴの中を観察してみれば、際立って共通するものは特にない様子で好きずきに買い物をしているように見受けられたものですから、思わず”なんだそりゃ”と。

 

いやいや、おまえこそなんだ、と。

 

徐々に迫りつつあるらしいウイルスの脅威に、脳みそが縮みあがっているのでしょうか、疑心暗鬼もほどほどにしておけ、といったところでありましょうか。

情勢に応じて再びマスクを買い漁るなり、今後あるいは行動制限が余儀なくされることを想定して今のうちに買い溜めに走るなり、つまりそういったややも過剰な反応を取りがちな人々を揶揄するが如く観察したがって自ら好き好んでイライラしたがる、といった粗忽な振る舞いを仕出かしがちなのは例えばあたしのような極めて何かと逆張りすることを好む性悪人間にこそ見受けられがちな少しも面白くない我欲には違いないのですけれども、それにしても消毒関係の商品へのニーズが集中しすぎて供給が間に合わない、とメンテナンスにお出でになったダスキンさんがおっしゃられていました。

やっぱりねえ、と嬉々としながらあたしは。

 

 

決して望ましくない事態であることは誰にとっても明らかなのだけれど、それにいちいち過剰と思えるほど反応してしまいがちな人々を掴まえて見下げるが如く今後の事態の推移についてあたかも楽観的であるべきのように鷹揚な態度を見せつけたがる態度というものは、つまりそういったポジショントークというものは一体誰得といったハナシなのでありましょうか、ええ、もちろんあたしのような人間がついつい仕出かしがちな日和見的アプローチと言ってしまえばそれまでのことには違いないのですが。

 

 

世の中は気が抜けません。

一つの事態に対して、すべての人が同じ理解や興味を示すとは限らない、というよりはそんなことはほぼありえないのが世の中というものではありましょうから、ポジショントーク、つまりは良かれとした”計らい”のような態度といったところでありしょうか、あまりにも直球型において自らのスタンスを標榜してとある一定方向からのみあからさまな球を放るものではないよ、といったことをあたしたちは義務教育もろくに終えぬうちから日々のコミュニケーションにおける適切な態度あるいは良識として大怪我を嫌うが如く熱心に身に付けて振舞うことを望み、要求してきたはずのものなのです。

 

しかしながら、”何かがおかしい”と日々の些細なコミュニケーションの中でもやもやとした感触をつぶさに拾い上げてしまうことも実は少なくなく、よもやの”アレ、ちょっと今のアレですか? アレな感じでした?”なんて、口を開いた先から話し相手にややもくぐもるような様子を認めてしまったときなどはついつい、次に繰り出すべき言葉を算段する心のワードパッドがにわかに珍妙な書き損じをあたふたと繰り返す計らいのディストラクションあるいは良かれとして触れぬアンチゴシップいわんや退屈のトラッシュトーキングをや、などと語彙に詰まるとついついやらかす読点無視の空虚な長文こそついつい生み出しがちなあたしは日々そんな違和のはざまにおいてこそ自らのコミュニケーションスキルという孤高のディストラクションを些細に頻繁に猛烈に嘆き悲しみがちであることをあまりにも日常的ノットコメディーという所詮腐ったような客観に逃がしつつ所詮大した反省もなく繰り返しがちであることこそのっぴきならぬこの半生、といったところではあるのですが皆様におかれましてはどういった調子でおられがちであられましょうか。

 

やっぱりアレな感じですか。

ですよね。

 

 

何が言いたいのかってつまり、つまらないことを読んだり汲んだり逆張りしたりなんて世間のディストラクションに晒されて退屈を食む商売なんて稼業は所詮二の次三の次であることだな、などと腐っても熟さぬ態度において世の中の風評のつまらなさとか滑稽さとか、そんなさなかに我こそがおろおろと言葉を継ぐことすら難儀するという未知なるウイルスに対する葛藤のあまりのみすぼらしさよ、といったところではあるのですが所詮大した意味はありませんので読み捨て上等でございます。

 

酔っぱらって気絶したため更新が間に合わなかったかもしれない、という由々しき事態こそ大いに嘆くべき現状のように思われるわけなのです。 

 

とくに意味なし。