アラズヤ商店

日々のナマキズ

幻想の今日に思う明日はいつかの今日という幻想に過ぎないらしい今日というすなわち今日による幻想のこと

三月に入りました。

 

三月に入るまでに、二月を毎日更新で埋め尽くしました。

管理画面のこよみモードを眺めると、勝手に個人的に壮観です。

毎日続けることをひと月続けたことが、果たして人生で一つでもあっただろうか、と振り返ると案外思いつかないのだから驚きます。

 

あたしの人生は、あまりにも集中力が、持続力がないらしいのです。

そんなことを何を今さら、というものです。

 

習慣的に続けていることと言ったら、朝、仏壇に手を合わせることくらいでしょうか。

それもうっかり忘れててしまうことは度々ありますから、自信はありません。

それでも人生において最上級に継続している習慣ではあるはずです。

 

わりと意識的に努めているのはトイレ掃除で、自宅のトイレはまあまあ努めて、お店のトイレはルーティンの如くサボれないイメージです。

トイレの神さまです。

掃除を済ませたら、柏手を打ちます。

というか単なる邪気払いです。

 

近頃なら、Youtubeでタロット占い、でしょうか。

毎日気になったタイトルの占いを試します。

主にお世話になるのは、”お肉さんのママ。”さんです。

飾らない関西弁と、クールに透ける誠意が魅力です。

 

 

占いというものは万能文書のようなものなのでしょうか。

観る者が万能を使いこなすのか、訊くものが万能染みて連想を紐づけるのか、どちらでもあってどちらでもないような偶然が見させるものは常に何だか神秘的らしく似通って、もはや聞き慣れてしまったようなアドバイスのあれこれが、やがてまるでこの先に約束された自らのスペックのようにまごうかたなき事実のように沁み込んでくる気にさせられるのだけれど、明日は明日、また占ってしまうので所詮約束もスペックもあったものではないことこそを無意識の如く知っているわけで、所詮求めるものは占いではなく事実らしい偶然とか根拠無視の万能みたいな何かで、理由こそ無視の加速か安定を授けて欲しいばかりのようなものなのです。

 

馬鹿なあたしはもうすっかりその気で、例えば明日なんかはけっこうな運命の日だったりするのかもしれなくて、確かになかなか運命的な、自分次第でどうとでもなれるような白でも黒でも可能のような分岐点なのかもしれなくて、それは単なる事実についてなどではなく、すでに今このタイミングにおいて決着がついているような仕組みとか、そもそもそんなことでしか占えないような巻き起こりえないようなまったく人生のことを、これまでの毎日の習慣という試行錯誤の中で鍛えてきたその結果のようなことでしかない現象をただ確かめるだけ、その心境ということには違いないただの手続きの先にある今後、ということを占うための明日を控えて、ただ普通にお酒を飲んで、今日のパスタはいつもより少しだけ旨くいって、傍らでは猫が自分でも何がしたいのかわからないような調子でキュルキュルとうるさい日曜の終盤、自分でも意味がわからないくらい平坦な気分でその習慣とか毎日という成果を見るともなくみるような観察の如く過ごしているわけなのです。

大丈夫ですか、ついてきてますか。

 

自分こそ適当なので大丈夫です。

 

 

 

何しろ今日の目の前にあるものは幻想で、幻想に思い描く明日がこの先のいつかの幻想として出現するらしいのですからもうすっかり意味なんて分かりません。

つまり今あたしはどこにいてどこに向かおうとしているものなのか、全然わかりません。

そうでもなければ、人なんていちいち生まれて生きて、死ぬようなことをみすみす受け入れたりはしないのでしょう、と思えばやはり、明日もまたいつかの今日が生んだ幻想にすぎないと思うと明日はこの先のいつかになるためのことであって、つまり今日見据える明日はすでに明日の為なんかでは少しもない、という自己責任自動回避のカラクリいわんやジレンマをや。

 

今日という幻想のなかで思い描く明日はすでに明日よりむこうのいつかのことなのだから、つまり明日はすでに過去なのかもしれないと思うとつまりはそれは諦めということに過ぎないのかもしれなくて、期待しない、とはつまりネガティブでも消極的でもないただの冷静さのようなことでしかないのかもしれなく、ならば焦るなり構えるなりするよりは安心を、リラックスを心掛ける方がせめては何かしらのコスパに優れていそうな気がしないでもないという単純な理解において、明日は明日で坦々と幻想を眺めてその先のいつかのことこそに意志を傾けて慎重に安心して臨みたいものだなあ、と何だか日本語として破綻していなくもなさそうなゆるゆるとした決意を誰にともなく例えば猫にでもひけらかしつつ、もう一本ビール飲んじゃおうかな、とけっして深刻な気分にならないことばかりを優先したがる日曜日の終わり近くのやっつけ仕事だったりするわけであります。