アラズヤ商店

日々のナマキズ

おっちょこちょいさんやねんジャマせんといて

ウイルスがどうしたこうしたと騒いでいるうちにとっくに死にそうなものは世の中にずいぶんとあるらしいようなことをここのところよく見聞きするのですが、そんなものあたしンち以外にまじであるんですか? 全然信じられないんですけどそれって都市伝説ですか? 悪意を持って捏造されたあたし向けのバッドトリックですか? それにしても仕掛けえげつなくないですか大丈夫なんですか? なんてもうすっかり精神ヤラレ気味のアラズヤさんです一体どうした自分。

 

恥ずかしいです。

 

 

一人暮らししているムスメのところに留守中にご飯を届けて勝手に掃除してくるという親子間マナー超絶スルーみたいなネガティブキャンペーンを今日も強行して参ったわけなのですが、道々のサロンさんは普通に盛況で商売をされていてうらやましいことだなあ、なんてかなり破壊力のある”やっぱ引きこもってりゃよかった”後悔に押しつぶされつつへとへとになりながら家に辿り着いたきり猛烈な眠気に誘われるがままに小一時間ほどストンと眠りについてしまいました。

おかげでお腹が空きませんどうせ昨日の残りのカレーだからどうでもいいんんだけどな。

 

 

正直なところ、ここのところあたしはかつてなく身軽で快適な人生のターンに入っていて、それはまじでビビるくらいに開放的で楽天的な、つまり生まれてから今日までたぶんあり得なかったような何ごともなさ、と言ってしまったら突然意味わからなくなりそうなんですけどつまり、めんどくせえこと何一つねえ、というもしかしたら人類史上くそほども珍しくもない珍しくないのかもしれない解放にまんまと打ち震えていたつもりでいたんですが、ですが、何なんですか。

そんなタイミングで一体、何なんですか? という日々をがちゃーんとぶつけられたような気がしてむしろやっぱり自分らしいぜ何だか正気でやる気なくなっちゃうぜ、という感じで完全に不貞腐れてますまじでやってられん瞑想もままならんぜまじで、と。

 

 

何て言うんですかね、もう近頃は完全にアレです。

目を瞑っているときが一番いいです。

イイです。

 

ヤバいですか。

 

 

気が向いたらあなたもぜひやってみてほしいんですけど、”思い浮かべる”ということは案外難しいことなんだなあ、って今さらのごとく実感させられます。

普通に暮らしてるレベルってたぶん、想像力ヤバいです。

あたしだけですかねえ、貧困なんですかねえ脳の映写機みたいのが。

かなり解像度低くてびっくりするんですよ。

 

で、だからと言ってそのままでいるわけにもいかないのでジッと踏ん張って思い浮かべてみるんですけど何だろ? やっぱりアレですね、五感というものに我々はとても助けられて毎日を過ごさせていただいてるものなんですけど、同時にそうして鈍らせている部分というものもあるのだなあ、ということなんですけど何となくわかりますかね。

 

せっかく目を瞑っているのに、人間っていうものは思いうかべるものすら”目”で見ようとするものなんですね。

目、瞑ってるのに。

何となくわかってもらえるかと思うんですけど、目を瞑っても何も見えないわけでもないじゃないですか?

何か光がチラついたり、視神経がバグったみたいな電気流れてるのが見える感じとか、残像に化かされてついつい追いかけがちな何かが揺れ動いたりとか、あるじゃないですか。

アレを見ているうちはつまり”思い浮かべる”ってやつはいつまでも解像度が低いみたいなんですよね。

辻井伸行くんが見たこともない鍵盤を手足の如くイメージする、使いこなすあの感じとは真逆のぼっけぼけの落書きみたいな想像のなかでずっと掠れたり滲んだりしてばかりなんですよね。

 

”目で見ない”って意識的に心掛けると、要するに日常生活の中でふとした瞬間に”思い浮かべる”あんな感じの領域で映像がだんだんと見えてくるんですけど、見えてくるとまたしても”目”が見たがっちゃう。

追いかけたがって、またぼっけぼけの落書きになって掠れて消えちゃう。

 

 

そんなぼっけぼけととある領域が見させるもののはざまでゆらゆらしている時間がいまは一番楽ちんなので、何すか、めちゃくちゃヤバい感じじゃないですか、自分で言うのもアレなんですけど。

これまでずっと早起きした時間はこうして日記? を書く時間に充てていたんですけど、朝というのは寝ぼけているので案外コスパがよくないことに気付いてきてしまって近頃はルーティンを変更して過ごしています。

だから何だかシャキッとしないのかなあ、なんて気もかなりしているので実際には改善の余地かなりアリ、と思っているのでどうにもとりあえずはやる気出したいですねえ何とも。

 

 

自分では全然心当たりがないようなことが突然訪れて、こうして何となく大事なことが乱されているような気にさせられなければならないのは、何か意味があるんですかね。

なんてことを考えたがるのは何よりの心の不幸だと思わないでもないところもあるので、出来るだけ思わないようにするんですけど、何しろ鬱陶しいじゃないですか。

あたしは努めてでもあまり働かない暮らしをしたいと思っているのに、こんな風に世の中がショボくれた感じになってくると、わざわざ心掛けて働きたがらない正義みたいな価値が意味わからなくなってくるというか、まるきり何かに否定されているような気分になって、ものすごく不愉快なんですよね。

 

何かものすごく狂ったこと言ってると思うんですけど、本音なので仕方がないと思います。

 

けっこうなストレスですよ、これは。

毎度言うように、あたしはこの世の大概の当たり前とされがちなことについてほぼ反射的に否定的な立場をとりたがる人間なので、今このタイミングでそれらしく慎重になりたがるらしい世の中の流れが本当につまらなくて居心地が悪くて怠け甲斐がなくて、本当にストレスで仕方がないです。

 

 

そんなに働く必要はないっていう意識は、たぶん最低限っていう願望にかなり近いですし、”守る”といった意識には極めて無責任の如く無頓着な状態ですし生きていくうえで脆さのようなものでしかないこともわかっているんですけど、逆に言えばかなり執着のようなものからは解かれた状態であることも自覚しているので何だろ? この世の謎に立ち向かうようなエッヂには事欠かないというか、かなりソリッドな思想を自分自身に押し付けられるし、それは誰のせいでもなく自分の為にすらならないようなわけのわからなさでしかないんですけど、手の平で指先を滑らせるだけで見つかるようなものとは真逆のベクトルでごく稀にぶち当たってハッとしてしっくりくるみたいな出来事の理解や共感や発見の体感がケタ違いに濃いような気がしてしまうので、個人的には所詮そんなことくらいにしか”やっぱそうか”なんて思い当たれないタチなものだからそうなんです、そんなに働かなくてもいいや、なんて考えてしまうんです。

 

 

だからってやっぱり不安にはなりますよね、働きたくないっていう希望通りにあまり働かないでいる毎日というのは実現力ハンパなくてもはやまじで引くレベルです。

意味が違うぜ神さま、なんてミス発注呪ってみたところでそれってあたし自身のことだよなあまじかそうかそうか、なんて。

 

もっと正確に扱えよ自分っ、なんてな。

 

 

正確に”思い浮かべる”ことが出来ないことと、目指したい程度のことがミス発注に化けがちなことは何となく似ているというか、再現力、実行力の不正確のようなことは確かに感じさせられるわけで、つまりは多分やっぱり願望に正確じゃないし、素直じゃないのだと、勝手にそんなことばかり思っています。

ちょっと普通の思想ではないっていうか、異常に違いないのは自分でもわかっているので仕方がないです。

 

つまり、正しくなくても異常でも怠け者でも何でもいいので、たった自分ばかりの願望にも正確に集中を発揮できない奴なんて格好わりいなあ、って落ち込むばかりです。

 

 

自分の考えを間違っているなんて本気で思いながら生きている人なんてたぶん、いや絶対いないはずと思うし、だからあたしはたしの考えを否定してしまうことにはあまり積極的ではなく、それと同じくらいにこの世の中の大体のことに共感を思いつけないし、全然好きではないということにれっきとした理由を思いつけるのです。

 

思い付けるなら、どうして”思い浮かべる”ことを正確に使いこなせないのだろう。

 

 

そんなことばかりがやけにみじめで悔しいばかりなのです。

アレがない、これが買えない、なんてことにはこれっぽっちも集中を奪われたくないのです。

 

実にみじめな気分なんであります。