アラズヤ商店

日々のナマキズ

一本道は一本じゃないから一本なんですよ気付くものとして

自分で言うのもアレなのですが、かなりどころではない人並み外れた方向音痴です。

 

初めて向かう場所には、十中八九無事には辿り着けません。

初めて向かった場所からは、十中八九無事には戻れません。

 

そんなあたしが近頃、奇跡の如く、一本道を辿るが如く、初めて向かう場所にもかかわらまんまと辿り着いてしまった場所があります。

一つは、自宅から近所と言う程でもないけれどそう遠くもない場所にある神社さんで、わかりやすい場所にはあるのだけれど、所在がへんぴなものだからそこに辿り着くまでのアクセスが意味不明ほどにわけがわからないのです。

そもそも普通の人は通らないような、そもそも出来ることなら車では進入したくないような細道を辿って辿り着くその神社さんに、何とあたしはド一発でひらひらと辿り着いてしまったわけなのですが、そんなばかりに何だか、つまり導かれて辿り着いてしまったような気にさせられてしまった上に、その神社さんは実に質素ではあるのだけれど地元に方にとても大切にされていることがひしひしと伝わってくるような凛とした趣に満ちていて、とても思い入れを持たされてしまったわけなのです。

 

今日も一人暮らしをしている娘の部屋の掃除に行った帰り道にその神社さんに向かう交差点の手前でふと思い当たりまして、短い時間ですが参らせて頂いた次第でありました。

枯れた木の色と土と石しかないのはどの神社さんでも似たようなものなのですが、その神社さんはさらに枯れた気配がなんとも素朴でいい感じなのです。

まめに参ってご挨拶のみに留めることが吉なのだそうで、名乗って感謝を伝えて帰って参りました。

 

 

もう一つは昨日のことだったのですが、まったく知らない場所である上に、へんぴな上にもへんぴな場所と道のりにもかかわらずやはり一発で辿り着いて、視界の先に目的のその場所がちゃんと現れたときには若干昂るものがありました。

大袈裟と思われるかもしれないですが、人並み外れた方向音痴にはほぼ奇跡と変わりません。

 

 

”何となく”という感覚は確かにあるようで、その感覚がわれながら近頃は若干神がかっているとまで言えばさすがに大袈裟とは思うのですが、それにしても因縁めいて的中することにささいながらもここのところちょこちょこと出くわしまして、若干スピってんな、と(きも

 

 

 

あたしはとにかくここのところ何かにつけ感じが悪いですし人間性も最悪なところばかりが浮き出して本当に嫌な感じなんですが、イヤなだけで間違っているつもりは少しもないものですから案外ふてぶてしく何らかの手応えのようなものを思わされることが少なくありません。

もちろん、ただの思い込みに過ぎないのですが。

 

思い込み。

ザッツライトですな。

それしかない、と言えるようなこと、ものにこそこだわりたいような気がここのところずっとしていて、むしろもはやそんなことしか信じるに値しないような気すらしているあたしとしては、気持ち悪がられようが趣味を疑われようがそんなことは関係ありません。

自分の意思と判断で生きてます、なんて爪の先ほども自惚れたくない確かな自覚に基づきまして、これは自分の仕業ではねえな、という突きつけられる事態や気持ちにこそ敏感に、従順にそれを観察し損ねまいと半ば面白がったりしてばかりいるわけなのです。

 

 

きびしいぞ、目の前に現れるいちいちどもが。

 

とはもちろん思うのですが、ダメもとです、という嘘でも本当でもどっちでもいいようなことに本音なんかほっかむりさせて今日も悶々としています。

耐え忍ぶなんてことはただのまぬけの知恵だ、と嘯きつつどんな嘘でほっかむりしてこのなかなかの局面を乗り切ろうかと、悶々としています。

 

 

わかりやすいと思いませんか。

結果の話ではない話でも、差し向けられた気がするならそれはそれで一先ず悪くない、などと嘯きながら今日も何とか生き延びたのかなとりあえず、と言ったところなんであります。