アラズヤ商店

日々のナマキズ

今言えることなんか、まるきり当てにならない気がしたはずじゃなかったのか

”緊急事態宣言”も、近く解除になるらしいです。

 

すっかり飽き飽きしてましたから、誠に結構なことでありますね。

”第2波”などという見通しもすでにチラつかされつつ、束の間の休息と言ったところでありましょうか。

折り込み済みの平和も平穏もあったものではありませんね。

 

とはいえ、なし崩し的方策も個人的にはキライではありません、というよりはむしろ得意なくらいです。

あたしの人生ったら、そんなことばかりだったりします。

ゴロンゴロンと音がしそうなほどのなし崩し人生。

われながら、まったく外連味なき生き様であります。

”あっぱれ”と自ら言わせて欲しい、こんなときくらいはまじで。

 

 

”アフターコロナで伸びる職業、消える職業”

 

みたいな動画や記事を頻繁に見かける昨今。

世間の怯えがまさにおびただしいばかりといったところではありますまいか。

まったく当てになるのか実際、などといぶかしがりつつもついつい引き込まれてしまいがちな”その手”の話題。

まんまと取り込まれる自分が甚だしくみじめな感じではあります。

ネガティブホイホイお得意様丸出しであります。

 

 

とはいうものの、個人的にはそういった記事につきましてはやはり、”ミミハンブン”にて聞きかじる程度の受け止め方であったりもするわけなんです、当然ながら、といったところでありましょうか。

みなさまの見識は、いかがなところでありましょうか。

 

 

目の前にある景色は壮観なものであります、いつだって。

何しろ目の前に明らかなのですから、明らかであることは眺めが良くて当たり前なのです。

しかしながら、明らかなら見映えがするものばかりかと言えばそうでもないことも世の理でもありますから、あるいは壮観オン戦慄。

あたしは例えば、自分ちのネコのお尻の穴を見ることが未だに照れ臭かったりしますよね。

 

清濁併せのめよ世界、なんてな。

 

目に余る事態は美しさといかがわしさを綯い交ぜにして、生身の目玉には押しなべて刺激的なモノであるべきらしいです。

よきことですね、ずっと退屈してたんでしょ。

緊急事態だか自粛だかって、正義の下に。

 

 

この先のハナシをするのに、目の前の価値観やら常識で一体何が見通せたものなのか。

個人的には、そんなことばかりを理由に”アフターコロナ予言”の類について、極めて懐疑的な、いえ、ポジティブな受け止めとして懐疑的な立場を取りたがるものだったりします。

 

だって、こんなことになるなんて誰も思わずにいて、大変なことになってるんでしょ。

バタバタしてるんでしょ。

バタバタしてない人ももちろんいながら。

そんな有り様が、まんまと世界中で。

 

予測や想像の範疇を超えた事態の中で、これまでの価値観や需要や精神性のようなことを見通してみたがったところで、何だか説得力ないじゃないですか。

ペストやスペイン風邪に習ってみたところで、その教訓が生かされたような成果は今のところ庶民レベルで伝えられていないじゃないですか。

歴史と教訓が見事に共存して、人間はたぶんウイルスとすら共存出来るはずなら、やっぱりなおさら”アフターコロナ予言”なんて何だか胡散臭い。

というか、所詮わくわくするものが足りない気がする。

 

 

ライブや観光やイベントが衰退する。

それが予測であることは結構なのだけれど、人間のハナシではないことくらい一言付け加えて欲しいものだと思う。

 

居酒屋もレストランも敬遠される。

三密を避けたいからだと言うけれど、理屈を踏みつぶす感情のハナシはどうした、と言いたい。

大切な人たちと、ガヤガヤした空気の中で焼き肉くらい食べたいではないか。

それはウイルスとかマナーとか責任とかいう話ではない。

ただの感情とか欲求のハナシだと思う。

 

 

全てにおいてオンライン化が望ましく、合理的で、衛生的で、プライバシーやコストにも優れていることが、どれほど人間本来の欲求や感情に即したもの、寄りそったものなのかと考えると、個人的には時世におもねる気配ばかりに辟易してしまう、と言ってしまえば厭世的に過ぎるというものでしょうか。

 

未曽有の危機と言われるこの渦中において、これほどの混乱と不安と辛抱の中で、現時点で想像出来ることや予測に適うことが、一体どれほどの価値があるというのか。

見識者と言われる人たちの見解が疑わしいとか当てにならないとか、そんな生意気なことを言いたいわけではなく、そういうことではなく、ただ単純にこんな未曽有の事態にあって人間は、世界はまだそんな話をするのか、という違和感のようなことを言いたいだけのつもりです。

 

 

この先の有利や不利のハナシは結局、これまでの世界と同じ匂いがするだけ、というハナシ。

また繰り返すのか、というハナシ。

個人的には、とてもつまらないハナシのような気がしてしまうということです。

 

 

せっかくこんな経験をこんな規模で過ごしてしまったのなら、それに見合ったダイナミックな変化を見たいなあ、感じたいなあ、というサル並みにすっとぼけたハナシです。

これまでの延長線で眺められる、想像し得る景色が待っているだけなら、何だか物足りない気がしてこないですか。

この度の騒動はこの先もまだ続くらしい見通しであるらしいのだし、その先ではこんなのんきなことなど言っていられない事態さえ待ちかまえているのかもしれないのだけれど、たぶん気持ちは変わらない気がするのです、個人的には。

 

もうそう言い切ってしまわないといけないだけの事態だと、認識したいということです。

今から想像に足る感覚で、この先の事態を世界中の民衆レベルの意識は乗り越えられるものなのか。

それは幸不幸というハナシではなくて、勇んで食らいつくべきこれ以上ない経験に向かう覚悟のハナシのようなものであるべきという気がどうしてもしてしまうのだけれど、極端だろうか。

職業的な有利不利とか、その程度のことでどうにかなりたがるような所詮ケチ臭い世界のハナシしかないのか。

個人的には、そんな程度の話はどうにも信用ならない気がしてしまうのです。

 

まったくどうなってしまうものなのか、個人的には不安よりも少しだけ背伸びをしたがる期待のようなものにこそ望みを託したい気がしてしまうのだけれど、そんな考えは不謹慎なのだろうか。

 

このまま元通りの世界に帰りたいとは、何だかどうしても思えないのです。